第2話 天翔る風のように
ルミナス国首都、エルクレスト。
この街で二十年ほど前から営まれている、街のパン屋『エブリデイ』ここに一人、下宿人がいる。
しかし、彼はパン職人の見習いではない。
いつものように『魔女っ娘ナース・マーガレット』を観ていると、お店の玄関から白い鳩が、筒状の封筒を咥えて入ってきた。希望者限定ではあるが、魔術師合否を伝える伝書バトである。合否通知の受け取り方法は、受験者が色々希望が出せる。なぜ彼が最も面倒な伝書バトを選んだのかは不明なのだが。
ソファでテレビにかじり付いて見入っている二十二歳の男…ワイヤット・クルフィートの頭に、その筒を落とした。
白かった筒が赤く染まる…不合格だ。
彼はC級魔術師、昇進試験を受けていた。筒が青く染まれば合格だったのに。
パン屋の看板娘、十七歳のエルシーがハトにエサをやった。
やらないと帰らない。
テレビから目を離さないワイヤットに呆れつつ、頭をつついて催促される前に、エサを与え、お帰り願った。
「落ち込むことないわよ。また半年後、受験
できるんだし」
エルシーは気を遣ったつもりだが、当の本人落ち込んでいない。
魔術師は昇進制。五段階の評価があり、それぞれ手がけられる仕事内容が異なる。
一番下がE級。一番上がA級。彼自身はD級免許を持っている。もし命がけとか、国家の一大事とか、そのような大きな事件を手がけられるようになるには、A級免許が必要不可欠。D級の彼には、例えば迷い猫探しとか、落とし物捜索とか、代行で忘れ物届けに行くとか『便利屋稼業』が彼の主な仕事であり、やりがいもある。
好きなアニメも観る時間が確保できるし、危険なことはしたくない。
が、彼の師匠はそう思っていないようで、やれ参考文献だの、魔術講座だのと、やたら薦めてくる…迷惑だ。
店内にもう一羽、ハトが入ってきた。今度は赤いリボンを首に巻いている。
師匠専用の伝書バト。
赤いリボンは『至急来られたし』
しかしワイヤットは動かない。次回予告まできっちり観ている。
呆れつつ、エルシーは再びエサやりをする。
前回同様、帰らないからだ。
そもそも、D級とはいえ魔術師である。ハトなんか飛ばさなくても、連絡手段はいくらでもある。しかし、こんな有様では用件が伝わりそうなはずもなく『エルシーに伝われば、伝わっているよね?』『エサもらえたなら、OKでしょ!』という見なしルールが、いつからか適応された。
番組が終わったので、ワイヤットはしぶしぶ愛用のホウキに乗って寺院へ向かおうとするが、服装についてエルシーが見とがめる。
「おじ様からの呼び出しでしょう?その格好で行く気?」
エルシーはあり得ないって目で訴える。ヨレヨレのデニムシャツに、ジーンズ姿…訪問着とは言いがたい。
彼女は十七歳。彼は二十二歳。
年下に説教されている。
「…気にならないけどなぁ…」
「貴方はね!!」
「はいっ!そこまでぇ~」
エルシーの母親である、パン屋の女将が袋に入った衣類を差し出した。
「こんなこともあるかなって、クリーニング出しといたのよ」
「さすがお袋さん!ありがとうございます!」
ワイヤットは衣類を受け取り、袋から灰色の三角帽と、同色のくたびれたローブを羽織った。杖を手に持ち、ホウキに乗って出発する。
一方、寺院を出たカミューは空に、別の空間を繋げ、結界をアジトとしていた。
カミューの元に、水晶越しにカーペンターから『寺院へ来るように』との連絡が入った。水晶玉は魔術師達の連絡手段だ。
カミューは入国してからずっと、趣味であるガーデニングに勤しんでいた。彼が今育てているのは故郷の花々。肥料は、やらねばならないが温度管理はしなくても良い。
結界はアジトというより、ビニールハウスと化していた。
区切りをつけて、そろそろ寺院へ行こうと準備を始めたとき、結界の外で非常事態が起こる。
何者かが、結界を破ろうとしている!!
すぐに気づいたカミューは急いで杖を持ち、腰に力を入れて、その一撃を魔力で食い止めた。しかし、思うように魔力が入らない。
「ぐっっ!」
結界の一点が次第に歪みを増し、彼が押され気味になってきた。
“カミュー!どうしたの!?”
紫水晶のペルセウスが耳元で声を荒げた。通信しやすいように、ピアスとして身につけている。
「相手の魔力の波長が、私の波長を乱してい
るようで、上手く力が入らないんです…っっ」
カミューは肩で荒く息をしている。
甲高い声で、ペルセウスは否定する。
“んなこと、あるわけないじゃん!”
「でも、現実なんです!」
カミューは更に押された。
限界を感じたペルセウスが警告を発した。
“…結界は諦めて”
「い…や…です!」
息も絶え絶えにカミューは言い返す。
「ここ…は、草花…生き…だ、だ…から、逃
げ…わけに、行かないんですよ!」
彼は、ありったけの魔力を込めた。
その時、何故か攻撃が止んだ。
「?」
カミューは急に攻撃が止んだため、反動で前に倒れる。
「どうなって、いるんです?」
ペルセウスは信号をキャッチする。
“攻撃の主から通信が入ってきたけど、どうする?”
ペルセウスの問いに彼は答える。
「つないで下さい」
カミューは耳を澄ませた。
“おめぇ、強ぇぇなぁ!”
のんきな声だ。さっきまで、結界をぶち壊そうと攻撃してきた張本人とは、とても思えない。
カミューは水晶越しに話しかけた。
「今、何ておっしゃいましたか?」
あまりに、くだけたルミナス語だったため、瞬時には理解できないでいた。
男は答えた。
“ああ悪りぃ。お前強いなって言ったんだ”
何故だかとても、うれしそうに話す。
カミューは問い返した。
「何故、攻撃してきたんですか?」
“いやぁ悪りぃ”
彼が言うには、空間に違和感を覚え、とりあえず攻撃してみたのだ、という。
その言葉にカミューのプライドが疼く。結界は彼が得意とする術の一つ。それが、たかが二、三日程度で簡単に見つかるとは、ずいぶん腕がなまったものだと。
“いや、違うんだ”
カミューの沈黙の訳に気付きでもしたのか、
男は慌てて訂正を入れる。
“結界の、つなぎ目は完璧だった。すげぇ精巧に出来ているよ。ただ、完璧過ぎたんだ。そこだけ空気がビリビリしててさ”
男は笑っていたようだったが、不意に笑みを封じた。
結界の外で、何かあったようだ。
“悪りぃ、野暮用ができた。またなっ!”
通信が切られた。
カミューは結界から飛び出した。
「待って下さい!」
ここは空中である。
カミューは黒い魔法陣の上に立ち、相手の前に出た。男はホウキに、またがって浮いている。カミューは相手の第一印象をこう思った。
…本当に魔術師なんだろうか…?
男はカミューをこう思った。
…人形みてぇ…。
カミューがこう思われるのは、ともかくとして、カミューが相手を疑ったのは、男の服装や装備品のせい。
銀色の髪、空色の瞳。灰色の三角帽に、くたびれたローブ。上下ジーンズ、靴はスニーカーと、ホウキ・ドライブでも、しているのかと思うような軽装。その上、魔術師必須ともいえる杖が、いかにもおもちゃみたいな、可愛いらしいハート型のピンクの宝石に、柄の部分にはリボンが付いている。さっき攻撃された際に、使用した物とは思えない。全く魔力が感じられない。
ルミナス国の流行なのかとも思ったが、違うような気もする…。
「あの私も、ご一緒してよろしいでしょうか?」
カミューの言葉に男は、にやっとイタズラっぽい笑みを浮かべた。
「ついてこれたらな!」
彼は猛スピードでホウキを飛ばし、カミューも自身の杖に乗り、その後に続いた。
魔術師らしからぬ男は、ターゲットの気配を追って行く。まだ姿は見えない。男は一度もカミューを振り返っていないのだが、ターゲットを追いながらカミューの力量を肌で感じていた。
…へぇ、この速度に余裕でついてくるとはね。
うれしそうに笑った。
…もうちょい、飛ばしてみっか!
彼は青水晶のペンダントに尋ねた。
「シリウス!ターゲットとの距離はどうなっている?」
“差は縮まる一方よ。そろそろ肉眼でも確認できるわ!”
二人の目に、人影が飛び込んできた。
「奴だ!!ミルキー・ウェイ!三秒で追いつけ!」
男の指示に、ホウキは更に加速した。
「待てぇぇぇ五千万!」
男の言葉に疑問を感じ、カミューはペルセウスに尋ねた。
「あの人、五千万って言うんですか?」
ペルセウスは呆れた。
“そこ、ツッコむところじゃないと思うよ…”
続けて男が叫ぶ。
「待ちやがれ!メシぃぃぃ!」
カミューは、ようやく理解した。
「そうか!五千万って食べ物ですね!」
“…そうじゃないんだよ…”
ペルセウスがツッコむうちに、男はターゲットと接触。
「くらえっ!ラリアート!」
男はすり抜け様に、腕で相手の首を引っ掛けた。ターゲットは、なす術もなく墜落。
とはいえ、相手も魔術師である。地面に激突する前に、ふわりと降り立った。
「誰だ!!」
ターゲットの問いかけに、男は応じない。カミューは、固唾を飲んで見守る。
「ビリー・ギャゼットだな」
男は一枚の紙を見せた。
「あんたは連続殺人の容疑で、連邦警察から懸賞金、五千万ギンガが掛かっている。大人しく捕まれば良し。手向かうとあれば、容赦しない!」
男は、可愛いらしいハート型の、ピンクの宝石がついた杖を突きつけた。
…意気込みに反して、その杖からは魔力の欠片も感じられない…。
ギャゼットと呼ばれた、連続殺人の嫌疑がかかる男は、薄ら笑いを浮かべた。
「…お前、偽者だろう」
ハート型の杖を突きつけたまま、男は動かない。
「そんな、ふざけた追跡者の噂一つ、聞いたことがない」
魔術師は、連邦警察が音を上げ、懸賞金が掛けられた人物に対し、逮捕権が与えられる。しかし、その権利はA級魔術師に限られている。男が持つその紙は、本物の逮捕状なのだろうか…。
それに加え、くたびれた灰色のローブに、同色の三角帽をかぶっている。これほど特徴的な追跡者がA級魔術師であれば、噂話の一つや二つ、あってもおかしくない。
ギャゼットは確信した。
「偽者め!!」
男が仕掛けないことを良いことに、ギャゼットは光のブーメランを数十発、彼めがけて放った。
「避けて!!」
カミューの呼びかけと同時に、ペルセウスが叫ぶ。
“ダメ!間に合わない!”
カミューは援護しようと、杖を構えたが遅かった。男は直撃を喰らっている。
大きな爆音と共に爆煙が上がり、衝撃の強さを物語っていた。男の姿も見えない。
“…死んじゃった…”
小さな声で、ペルセウスが呟いた。
男が着ていた衣装は、衝撃に耐えられる術師専用のバトル・スーツではなかった。例え一流の魔術師であったとしても、あの刹那にシールド等を張る余裕はなかったと思われる。となると、あの可愛いらしい杖で応戦できるはずもなく、あっけない最期を迎えてしまったのだ。カミューは爆煙をじっと見つめる。
「…勝手に殺すなよ」
炎の中から悠然と、男の声が聞こえる。なんと、そのいでたちは、蒼いマントに蒼いバトル・スーツそして、手には魔力みなぎる本物の杖が。光のブーメランが当たる寸前に変身していたのだ。
右手の甲を見せる。彼は指の部分が切れた白い革手袋をはめている。
A級免許の紋章が浮かんだ。
「申し伝える。あんたは連続殺人の容疑で、連邦警察から懸賞金五千万ギンガが掛かっている。大人しく捕まれば良し。手向かうとあれば容赦しない」
空色の瞳が冷たく煌めいた。
すると、さっきまで余裕そうだったギャゼットが、真っ青になって叫ぶ。
「蒼の魔術師…」
ギャゼットは逃げ出そうとしたが、男は指をパチンっと鳴らした。
「縛れ!ビンド!」
ギャゼットは強制的に動きを封じられた。
「よっしゃ!五千万!」
男は歓声を上げた。
蒼の魔術師…?
カミューは、何かを思い出した。
…月の出る頃、あまり目立たないが恒星が瞬く。ちいっっとも、目立たないからな。見落とすなよ…。
彼は心の中で笑った。
…恒星…ねぇ。
「お疲れさま!」
突然上空で、パチパチと拍手をしながら、優雅にパラソルで降りて来た男が、にこやかに話しかけてきた。
「後は僕に任せて」
術で縛られているギャゼットを、運搬用で空気の球体に閉じ込めた。
彼は、にっこり微笑みながらカミューに手を差し出した。
「カミュー・ランバートさんですね。初めまして。僕はリューク・アッテンボロー。我が師カーペンターから貴方のことを頼まれております。見ての通り風使い」
握手を交わした後、リュークと名乗る青年は、ひらひら両手を振って見せる。
ペパーミント・グリーンの髪、深緑の瞳。
紺色のケープにマント、ベレー帽…天文学者で風使いなんか、そうそうお目にかかれない…。
カミューは、スルーの力を手に入れた。
「ちょっと待て!俺は何も知らねぇぞ!」
蒼の魔術師が、リュークに食ってかかる。彼は肩をすくめた。
「そりゃそうだよ。僕が君達のメッセンジャーだったのに、君が勝手に先に接触して、勝手に事件に首を突っ込んで、勝手に彼を巻き込んだんじゃないか」
…蒼の魔術師は沈黙した。
「それじゃ、またあとで!」
さわやかな笑みを浮かべつつ、リュークは言葉を続ける。
「二人とも、早く師匠のところへ行った方が良いよ。朝からずっとカリカリしてたからねぇ」
爆弾投下級の発言を残し、ギャゼットを連れて去って行った。
「…忘れてた」
蒼の魔術師は必死に言い訳を考える。
…五千万のことは伏せて、連続殺人犯を捕らえ市民の安全を守った…よし、このシナリオでいこうではないか。
知ってか知らずか定かではないが、思考を遮るようにカミューは、声をかけた。
「蒼の魔術師」
「ん?」
「さっき、なぜ攻撃をやめたのですか?」
結界の件について、カミューは今のうちに聞いておきたかった。
「んー、声がしたんだよ」
「声?」
魔術師は笑った。
「声にもならない声さ。『壊さないでくれ!』って祈るような願うような。上手く言えねぇけど、そんな感じ!ああ、それから…」
彼は手を差し出した。
「ワイヤット。俺はワイヤット・クルフィート。親しいヤツは、そう呼ぶよ」
「カミュー・ランバートです。よろしくお願いします」
二人は握手を交わした。
この戦いの様子を観察していたのは、リュークだけではなかったようだ。
一羽の金色のオオワシが、長い黒髪の男の肩に留まった。
「ご苦労。どうであった」
キイ、キイとワシが鳴いた。
「そうか。手間を取らせたな」
黒髪の男は、ワシの頭を軽く撫でてから、放してやった。
男は別の者に声をかける。
「そちらは?」
「ええ。順調に」
もう一人の男は、にやっと笑った。
「もうすぐさ、もうすぐ…」
魔術師ー闇の呪縛ー(上) 華月 @tsu-ki
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