魔術師ー闇の呪縛ー(上)

華月

第1話 闇夜の訪問者

 水瓶の刻、東洋でいうところの丑三つ時に、大神官カーペンターは祭壇で祈りを捧げていた。

月のない夜。

ここ、ルミナス国においては占星術が国の行く末を決める。大神官とは国内において五名おり、カーペンターは筆頭を務める。国防庁長官であろうか。彼の務めの一つが水瓶の刻に祈りを捧げ、国家の安穏を願う儀式がある。

…何かが違う…?

寺院内は二重の結界が張られ、第一結界が突破されたとしても大した被害はない。結界とは、悪心を持つ者は全て拒むという魔術が込められた、見えない壁のようなものだ。第一結界は結界師が総力を挙げて術をかけ、今まで突破されたという実例はない。第二結界はカーペンターの術であるが、全容は誰にも知られていない秘術。当然、突破させない自信はある。しかし…

彼は白い絹のマントを翻し、祭壇から離れ神殿の外廊下へ出る。

 秋風が心地よく、金糸の短髪をなびかせる。白い大理石の柱が、巨大樹木の並木道のように続いている。ここだけは窓や壁もなく吹き抜けで、すぐそばは磁場をも狂わす森になっている。外部への行き交いは寺院に住まう者にしか分からない。

!?

彼は立ち止まり、森の奥の方をじっとみつめる。

…誰かいる…?

手の中で光の玉を作り出し、灯りにする。

森の奥を紺碧の双眸で、じっと見据える。

人影がこちらに二歩、歩み寄る。

 黒い羽帽子を、目元まですっぽり覆うように被り、暗くもありハッキリと顔は見えない。黒いベルベットのような生地のマントを着ているようだ。髪は黒っぽく、風のたなびきで腰まで長く伸ばしているようだ。

男か女か。旅人だろうか。

「おい」

カーペンターは、ぶしつけに呼びかけた。

 黒づくめの人物はスッと闇に溶け込んで消えたが、大理石の柱から再び姿を現した。

カーペンターは低く呟く。

「魔術師…か」

 答えの代わりに、黒い羽帽子をとり、静かに真下へと手を放したが、地面に落ちる前に帽子は音もなく闇に溶ける。

「大神官、アーサー・カーペンター殿とお見受け致しますが」

流暢なルミナス語での挨拶。青年は深々と頭を下げた。

 声はとても穏やかで、よく通る澄んだ低音。刺客ではなさそうだ。

「そなたは?」

「私はレ・ムーブ国の、カミュー・ランバートと申します。このような夜更けに参りました非礼を、どうかお許し下さい」

 片膝を立て、深々と頭を下げた。使者だろうか。

 レ・ムーブ国…聞く前から、そうではないかと予見していたが、彼は眉をひそめた。

 ここは二重の結界が張られている寺院だ。

外部の者が結界を破らずに堂々と、入ってこられるような場所ではない。まして、レ・ムーブ人…闇使いと聞きし彼が、この結界内で術を使えるなど、あり得ないことだった。他の者が来たら、即刻捕まえてしまうことだろう。

 事が大きくなる前に、彼は客人として自身の執務室へ通した。

「どうやって入った?」

カーペンターの問いに、カミューと名乗る青年は答えた。

「木々が道を標してくれました」 

その答えを聞き、カーペンターはますます顔を曇らせる。紺碧の双眸が、カミューを捉えて離さない。

 この森には守護聖霊がいる。

悪心を持つ者ならば、たちまち木々が、うごめき道をふさぎ、寺院までたどり着くことなど、できなかったはずだ。

…導かれた…?

カミューは、そんな彼の眼差しなど、臆することなく言葉を紡いだ。

「我が国レ・ムーブが、混沌と混乱の渦に呑まれようとしております。私は、何としてでも、その災禍を止めたいと願っております」

カーペンターは、眉一つ動かさずに話を聞く。

カミューは言葉を続けた。

「貴国と、我が国との位置関係は、例えるなら鏡の中と外ほどの距離。祖国の混乱は、貴国にも影響を及ぼします。どの程度かは存じませぬが、確実に」

…確かに。

カーペンターは胸の内で呟く。

結界が弱まっている感覚はあった。しかし元凶はなんだ…?

「祖国の均衡が破れ、その影響力は計り知れません。通称『神に等しき力』をお持ちである貴方様ならばと、参上した次第にございます」

「それらは全て、貴公の企てではないのか!」

彼は一瞬で杖を呼び出し、ひたとカミューの額に突きつけた。形は剣そのもので、刃は水晶のような宝石でできている。しかし彼は動じない。ふっと柔らかな微笑を浮かべる。

「これが名だたる名杖、神に等しき力ですか」

カーペンターは杖を収めた。

「今夜は見逃してやる。早々に立ち去れ」

カミューは深々とお辞儀をして、闇に消えようと思ったのだが、何故かカーペンターの視線は彼から外れていない。立ち止まり、言葉を待った。

「…月の出る頃、あまり目立たないが恒星が瞬く。ちいっっとも、目立たないから。見落とすなよ」

カミューは一礼して、スッと闇に溶け込んだ。

 恒星の輝き。それは一人の重要な人物との出会いを示すのだが、それが分かるのは少し先のこととなる…。

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