懲罰大隊より有翼人へ愛を込めて

@Tito_66

懲罰大隊より有翼人へ愛を込めて

ヒト同様の知性を持ち、その背の翼で戦場上空や国土の端から端まで飛翔する有翼人。


 その能力によってゼーラシアの発展は助けられてきた。広大な国土を守るため国境警備には有翼人が用いられ、また、燧石銃を武器としていた戦列歩兵時代にはその連絡手段として重宝されていた。


 通信革命が起き、電信が使われるようになってから、有翼人は戦場から姿を消した。彼らは今でもゼーラシア帝国においては少数民族である。




 ───『現代帝国事情』より抜粋───




 俺は有翼人には会ったことがなかった。彼らは南方の高山地帯に居住し、その地域では〈天使〉と同様に崇められているらしい。彼らも彼らで、戦場に居場所がなくなってからは下界に降りてこなくなった。


 つまり、今回が初めての邂逅ということになる。


「シスイ大尉、大隊本部から呼び出しです」


 執務室の扉を開け、そう報告したのはリー中尉だった。彫りの浅い顔立ちを含め、シスイとは共通点が多い。この大隊には珍しい東方系だった。リー中尉の灰色の外套の肩には雪が薄く積もっていた。雪が降っているらしい。


「ああ、それと、大尉宛です」


 リーは小包を持っていた。中身は分かる。配給の煙草だった。将校は一ヶ月辺りの嗜好品点数が決まっている。懲罰大隊ではその与えられる点数が低い。シスイは煙草にその点数のほとんどを使用していた。


 執務室、徴発した村の家屋が彼の部屋だった。村には民間人は誰もいない。全員が避難しているのだ。加えて、ここは帝国の土地ではない。帝国軍は先月の冬季攻勢によって旧国境から共和国軍を圧し出し、共和国内に攻め込んでいた。


 大隊本部は隣の一回り大きい家屋に存在する。数十人を収容可能なその家屋は三角屋根の木製だった。家畜小屋を併設していた。家畜は一匹としていない。


「シスイ大尉、入ります」


「おう、来たか」


 その老齢の大隊長、ファルケ大佐は琥珀色の液体をグラスに注いでいるところだった。大将のような口髭は彼がもともと騎兵出身であることを示している。


 ファルケは反体制的言動が原因でこの大隊に転属させらたのではない。むしろ最前線を望んで自ら舞い戻ってきたのだった。『戦場で死なない騎兵はゴミだ』。その信条の信奉者だった。


「呼び出しに応じ参りました」


 シスイは右掌を伸ばし、軍帽のひさしに接着させた。帝国式の敬礼だ。つばの上に星があしらわれた軍帽を深く被り、如何にも厳正な指揮官の姿だった。


「座りたまえ。君もどうだね」


 ファルケはもうひとつのグラスを出した。


「ありがたくあります」


 琥珀色の液体、その瓶には〈ユグラシア・モルト〉とラベルがされていた。南部の酒らしい。


「聞いているとは思うが、我が九〇一懲罰大隊に有翼人が配属される。主に中隊間の伝令に使うつもりだ。我々は中隊数が多いからね」


 ファルケは机上の地図と書類に目をやった。地図には方形と線で兵科記号が幾つか書かれていた。九〇一と書かれた歩兵中隊を示す記号が七つある。大隊にしては保有する中隊が多い。それも懲罰大隊の特徴だった。


「まず、七中隊に配属して戦場と任務について理解させる。ちょうど君のところは再編中だからね」


 シスイの率いる第七中隊は冬季攻勢で損害を受け、補充を待っていた。本国には政治犯が多数いるためすぐに補充されるだろう。前線の方が収容所よりはマシだった。


 三回のノック。


 大隊本部の扉を開けたのは小柄な少女だった。軍服のサイズは最小だろうが、それでも掌の半分辺りまでが袖に覆われていた。子供が衣装を着たような、そんな不格好さだった。


「セレン・ロッシナ軍曹、着任いたしました!」


 女性特有の高めの声だった。ここ数年聞いていない。異質な点が目についた。可愛らしい雰囲気は考慮には入れないとしても、短い銀髪と金色の瞳。そして何よりも背中の辺りから現れる巨大な翼。純白の羽毛のようなそれだった。


 有翼人。


 生まれつき飛翔するための魔法を使うことができる人種。ヒトには魔法使いは滅多に存在しないのに。


「良く来た。私が大隊長のファルケだ。


 戦場に慣れてもらうために七中隊長に君の世話を任せる」


 ファルケはシスイに目配せした。早く出ていって案内でもしてやれ。そう言いたげな眼差しだった。


「第七中隊長、シスイ・トージョー大尉。よろしく」


 シスイは敬礼をした。セレンもそれに答えたが、その敬礼はおぼつかなかった。初年兵の方がマシな敬礼をするだろう。


「案内しよう」


 シスイはセレンを連れ出した。


 まず、現状の説明から入る。九〇一懲罰大隊は二十五師団の左第一線を担任し、敵高地を攻略中である。現在は第一から第五中隊までが塹壕戦を展開中で、第六、そして第七が予備兵力で、第七は半壊したために現在補充待ち。そしてその第七中隊長が俺。理解したか?


「はい!」


 元気があるのは良いことだが、ありすぎるのは問題だ。そういったやつほど死にやすい。


「まずは軍隊に慣れてくれれば良い。部屋は、そうだな、俺の使っている家の一室でも使ってくれ。流石に兵士たちと同じ天幕に入れるわけにはいかない」


 ああ、そうだ。失念していた。


「銃の使い方は分かるか」


「一応、少しは」


「なら良い。その服は軍服だ。共和国兵士に見つかったら撃たれるということだけ理解しておけ。ここは最前ではないものの前線だ」


 その日は平穏に終わった。その次の日も。問題はその次の日だった。


 補充兵が来た。数台のトラックに荷台に乗せられ、外套を来た兵士たちの一団が到着した。おそらく政治犯や逃亡未遂兵、軽犯罪者、等々。監獄から送られてきたものも多数いるはずだ。


 彼らは雪の中、小隊ごとに編成、そして整列させられた。中隊長訓示が始まる。


 中隊長に敬礼。


 中隊長、訓示お願いします、とリー中尉。


「補充兵の諸君、第七中隊長のシスイ大尉だ。よろしく。君たちはこの前線で一年働けば晴れて無罪放免だ。幸運なことに、この第二戦線は北部の最前よりははるかにマシだ。


 中隊には有翼人がいるが軍曹だ。その階級に見合った扱いをするように。以上」


 中隊長に敬礼。


 中隊長訓示を終わります、と同じくリー中尉。


 整列は解散させられた。その後は小隊ごとに集まり、教育が行われる。


 シスイは大隊長のもとに行った。兵が補充されたならば、任務が付与されるであろうことは容易に想像できる。おそらくまた前線勤務だ。


 その夜に事案が発生した。ある補充兵が散歩していたセレンに襲いかかったのだった。戦場での強姦で投獄されていた兵士だった。リー中尉と数人の古参兵連中が発見したのはその最中だった。


 懲罰大隊に軍事法廷は存在しない。存在するのは指揮官権限による銃殺のみ。その補充兵も翌日には上半身裸で丸太に縛り付けられていた。


「当該兵士は更正の意思無く、あまつさえ前線の規律を乱し、国家を危険に陥らせた。よって処罰する。構え!」


 リー中尉の号令によって五人の兵士たちが十数歩先の違反兵に照準を合わせる。その手に握られているのは五発装填のボルトアクション小銃だった。


 銃殺執行者、シスイ大尉。銃殺隊指揮官、リー中尉。簡略軍事法廷、判決、死刑。


 軍にはそう報告される。


「撃てっ!」


 中尉が手を振り下ろすのと同時に、銃弾が発射された。しかしどうやら直撃は無かったらしく、まだ当該兵士は生き残っている。


「有翼人を犯して何が悪い!北部の戦場じゃ皆やってた!俺がチクられたのは嵌められたんだ!皆やってた!」


 当該兵士は唾を飛ばしながら叫ぶ。本当のことだった。北部戦線は共和国の人口密集地帯で行われている。逃げ遅れた共和国市民は奴隷の有翼人を差し出し、自分の身の安寧を獲得していた。共和国は〈ヒト〉による民主主義国家である。例外は存在しない。


「ここは北部じゃない」


 シスイが軍刀を抜いた。極東人種が良く使う形式の、片刃の両手刀だった。歩み寄り、右上段に構えた。降り頻る雪が目障りだった。


 振り下ろす。左鎖骨から右脇腹にかけて鮮血が噴き出した。返す刀で左から横一線。首が落ちる。シスイの軍刀と外套は


 刑の執行は中隊が整列する眼前で行われた。セレンもそれを見ていた。


「リー中尉、兵士たちの練度が低い。射撃姿勢を点検しろ。俺は執行完了を大隊長に報告してくる」


「了解です」


 執行は終わった。シスイは膝下までの革の軍靴で雪を踏みしめながら大隊本部へと向かった。その場に残されたのは死体処理のための兵士とリー中尉、そしてセレンだけだった。


「軍曹、済まなかった。未然に防げなかったのは俺の責任だ」


 リーは頭を下げた。彼の本心だった。


「いえ、良いんです。過ぎたことですから」


 セレンの声はひきつってはいたものの気丈だった。古参兵たちに可愛がられていることも良い影響なのだろう。


「ところで大尉のこと、どう思う。取っつきにくい人だろう?」


「その、良くわかりません。でも厳しすぎると思います。自分にも、他人にも」


「あの人は元政治将校でね、上官の失脚に連座してここに送られたんだ。俺も、ね。真面目な人だよ。失脚してなければ、将来有望だったのに。


 一回腹を割って話してみると良い。君がどつして前線に来たかどうかは知らないけど」


 リーは全てを見透かしているかのように笑った。そう言えば、中尉は占いが出来るらしいと古参の下士官に聞いたことがある。それかもしれない。


 その夜の事だ。


 第七中隊には前線への移動命令が出された。大隊は予備兵力を投入し、現状打破を図るらしい。弾薬の補給はまだ来ていない。おそらく前線も同様だろう。祖国の生産能力は長期戦に耐えられていない。弾薬さえまともに配分できていないのだ。


「軍曹、明日は戦場、英気を養え」


 シスイの手には丸い缶に入ったチョコレートが握られていた。今月の嗜好品点数の残存分だ。セレンへの贈り物らしい。


 彼はショットグラスに火酒を注ぎ、軍刀と指揮官用回転拳銃〈ナガン・一八五五年式〉の手入れを行っていた。久しぶりの戦場。武人らしい心構えと言える。


「ありがとうございます。……これは何ですか?食べ物ですか?」


「チョコレートだ。南部には無いのか」


「南部は昔からの生活を続けていますから。納められる農作物しか食事には出てきません。文明的なものはなにもありません」


「話は聞いている。君が軍に入ってきた理由も大体は」


 セレンの入隊は、彼女が家出紛いの南部脱出を目論んだことによって引き起こされた。南部における彼女たちは南部に住むヒトによって崇められ、一種の宗教共同体として南部の精神的支柱になっている。それが帝国の後進性を助長しているのだ。そうした中で有翼人を国家の一員として再認識させ、南部文化を前進させようとした上層部は有翼人の前線投入を決定した。表向きは志願制だ。無理矢理行えば、南部の大反乱が引き起こされるかもしれない。戦時中にそれをやろうとする無能はいない。白羽の矢が立ったのがセレンだった。


 伝統に嫌気が差し、南部を脱出した彼女を保護したのも、そういった連中だった。


 宗教共同体において、個人は否定される。そういったところに彼女は嫌気が差したのかも知れなかった。近代文化はそうして形作られる。農村にいられなくなった大多数の人間が都市に流入し都市文化を創造する。彼女も有翼人におけるその第一人者なのだろう。


「しかしそんなことはどうでも良い。ここは軍隊だ。出自は一発の弾丸よりも意味がない。君が義務を果たすなら、それに見合ったように扱う。それが軍隊だ。良いところだろう?」


「はい。とっても!」


「それなら早く寝ると良い。明日は初陣だ」


「そうします。おやすみなさい、大尉」


「おやすみ、軍曹」


 出発は朝の〇二〇〇。夜明けと共に前線の塹壕に到着し、前線残存部隊と共に攻撃を開始する。そういった計画だった。大隊長は前日に出発していた。前線指揮のためだ。第六、第七中隊は出発する。残されたものは自ら歩けない負傷兵と少数の衛生兵、そして一部の大隊本部員のみ。間違いなく懲罰大隊の全力だった。


 到着は〇六三〇。塹壕には散発的に迫撃砲弾が飛来している。兵士たちは弾薬を撃ち尽くし、塹壕の中に座り込んでいた。


 塹壕の一部が地中深く延長され、指揮官壕が構築されている。そこには大隊長と各中隊長が集まっていた。


「第六、第七中隊は第一、第二中隊担任地域に展開完了、先任部隊と交代します」


「了解。で、弾薬の補給は?」


「有りません」


 大隊長からの問いにシスイは無機質に答えた。結局、攻勢発起を命ずる命令は来たのにも関わらず、弾薬の補給は無かった。上級部隊は懲罰大隊を肉弾として使用するつもりらしい。


「加えて、追加命令です。先刻、大隊本部への電信を有翼人に持ってこさせました」


 シスイはセレンを大隊本部に〇七〇〇まで残置し、追加命令があれば、それを届けさせる算段だった。今回はそれが的中した形になる。


「読み上げます。


 第九〇一懲罰大隊は〇八〇〇、前方敵陣地に攻撃発起、これを奪取せよ。この命令に対する反対等は不許可。同大隊はこの攻撃を断乎決行し、目的を達成せよ。なお、重ねて反逆は不許可。第二十五師団は必成を望む。


 以上であります」


 その声は徹底的なまでに無機質だった。いつものことだった。前回第七中隊が半壊したときと同様だった。常に上級部隊は懲罰大隊を無無理矢理に使用する。


「了解した。命令通り、大隊は〇八〇〇、攻撃を発起する。弾薬予備が存在しないため、戦列を組み、銃剣によって制圧する。各指揮官質問は?」


「有りません」「三中隊了解」「無し」「特には」「いつものことです」「異常無し」「なしです」


 各中隊指揮官は首肯した。もはや逃れることは出来ない。我々はただ突撃するのみ。それだけだ。


「神のご加護を」


 ファルケは胸の前で十字を切った。彼は敬虔な信徒だった。


 来る〇八〇〇突撃発起、三分前。〇七五七。


「リー中尉、中隊整列だ」


 中隊兵士たちは敵に背を向け、塹壕の中で直立した。その視線の先にはシスイがいる。軍刀を抜き放ち、散発的な迫撃砲弾と機関銃弾の中を歩き回り、中隊員の顔を一人ずつ見据えていた。


「第七中隊諸君、時が来た!


 我々は前進する。あの高台の敵を銃剣によって撃破する。我々に後退は無い。ただ前進あるのみ。


 祖国の敵を倒すために前進する。我々の意地を示せ!


 着剣!」


「着剣!」


「着剣!」


「着剣!」


 各小隊長が着剣を命じる。兵士たちは右腰の銃剣を抜き、銃口に嵌めた。


「前へッ!万歳ウーラッ!」


「「「万歳ウーラッ!」」」 


 兵士たちが塹壕を乗り越え、分隊毎の横列を組織する。迫撃砲弾が飛来し、機関銃段幕が濃密になる。幾人もの戦友が倒れる。


 シスイはその戦列の最中にいる。指揮官先頭が彼の信条なのだ。


「大尉、流石に前に出過ぎです。貴方は指揮官ですよ!」


 リー中尉だ。言い分はもっともだった。しかし、シスイには関係の無いことだ。


「中隊ラッパ手は?」


「は?」


「中尉、中隊ラッパ手を連れてこい!前進ラッパを吹かせろ!」


「了解。


 中隊ラッパ手!前進ラッパだ!」




 中隊本部の二名のラッパ手がシスイの直後で演奏を始めた。その曲は〈帝国親衛行進曲〉だった。悲壮な調べだ。


 戦列は停まらない。彼ら懲罰大隊の行く末は二つに一つ。銃殺か、戦死か。それならば、戦死の方がはるかに上等だ。なにしろ戦死には恩給が出る。


 セレンはその光景を塹壕から見ていた。何も命令を受けていなかったから。


 彼女は気づく。私の役目は何か。伝令だ。ならば指揮官の横に居なければならない。中隊長の横に!


 結局は大隊長は私のことをあまり使わなかったけれど。私は私の義務を果たさなければ。


 有翼人を前線に投入しなかったのはファルケの信条によるものだった。戦争は男がやるものだ。そうした観念は非常に強かった。


 セレンは飛翔した。目的地はシスイの傍。中隊本部員が随伴しているであろう場所。到着したのは直ぐだった。


「軍曹、お前来たのか!」


「これが私の役目であります、大尉!」


 シスイの顔には笑みが浮かんだ。心底嬉しかった。こいつは俺と一緒に死地に入ってくれる。


 その時、一発の凶弾が舞い降りた。鮮血が撒き散らされる。肩から入り、羽の付け根辺りを食い破ったのだ。セレンは崩れ落ちる。


 くそったれ。こいつも死んでしまうのか。


「衛生兵、なんとかしろ!


 ラッパ手、突撃ラッパだ!」


 中隊兵士たちはその惨状を目の当たりにした。ああ、可哀想に。あの少女は俺達よりも神の御元に先に逝ってしまった。可哀想に。許せねぇ。共和国の狗どもめ。


「第七中隊、突撃に、移れッ!万歳!」


「「「万歳!」」」


 結果として、その突撃は成功した。敵軍の損害よりも遥かに多い、大隊の半数を犠牲にして。


 高台は占領された。死屍累々の雪原。


 戦争は終結した。まったく彼らの預かり知らぬ所で。北部戦線における春期攻勢〈コルニロフ攻勢〉が決定的成功を納め、共和国は白旗を振った。


 戦争終結直後、戦争に疲弊した労働者たちを引き連れ、帝国上層部の一部派閥〈労農評議会〉は決起する。その中心人物はシスイの元上官だった。




 なお、懲罰大隊に関する書類はすべて破棄されたため、懲罰大隊兵士たちの行く末は旧ゼーラシア帝国、そして、現在のゼーラシア評議会共和国の歴史には残されていない。

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