第53話 懺悔

 甲高い笑い声が秘密基地に響く。その声は、途中から笑っているのか泣いているのか分からなくなっていた。


「マリン……」


 リンには、大野真凛おおのまりんが気の毒に思えた。同じような感覚を以前――、まだお互いに生きている頃に、何度も覚えたことがある。

 いつも一人ぼっちの大野真凛。

 名前だけじゃなく、孤独という点でもリンと大野真凛はよく似ていた。だから、リンは決して居心地がいいとは言えない大野真凛の家を定期的に訪れていた。


「大野も。本当にすまなかった」


 達哉たつやは、大野真凛の笑い声とも泣き声ともいえない声が止むのを待って、改めて深々と頭を下げた。

 迷いのない動きは、リンの目には潔く映った。対して、ここへきてもまだ本心を語らない自分はどうだろうか、本当はもう気がついているのに、と後ろめたい気持ちがこみ上げる。


「謝らないでよ。もう……遅いよ。私にはもう、こうすることしかできない」


 そう言うと、ずっと握りしめていた太い縄を強く引いた。梁からぶら下がった輪っかが、背を伸ばせばギリギリ届くくらいの位置まで持ち上がる。


「おい!! やめろって!!」


 達哉の叫び声を無視して、踏み台を登りはじめる。


「ダメ!!」


 硬直したように身体を動かすことができない四人の間を縫って、飛びかかったのはリンだった。

 勢いよく飛びついたリンは、大野真凛を抱きかかえたまま地面を転がった。


「マリン。ごめんね。本当にごめん。ごめんね。ごめん……」


 リンは、謝り続けた。その様子を達哉たち四人は、ただ見守ることしかできなかった。まるで、見えない何かに全身を拘束されているかのように身動きが取れない。できることといえば、声を発することだけだった。


「あたしのせいだよ。マリン……。あたしのせいなの」


「どういうこと?」


 訝しむ大野真凛に対して、リンは優しく語りかけた。


「マリンもみんなの仲に入れてもらいたかったんだよね? 大好きなたっちゃんがリーダーで、いつも楽しく遊んでるみんなに加わりたかったんだよね? あたし本当は分かってたのに……。マリンはあたしとは違うって勝手に決めつけてた。

 本当は死にたくなんかなかったんでしょ? 今度こそみんなの仲に加わろうと思っただけなんでしょ? マリンの言うとおりだよ。それがあたしの望みでもあったんだよ」


「違う!! 私はただ……浅川くんが——、」


「知ってるよ!! 大好きなんでしょ? みんなのリーダーでカッコいいたっちゃんが、大好きなんでしょ? あたしと一緒だよ」


 大野真凛は、もう何も言わなかった。


「……たっちゃんは、拒絶なんかしてないよ」


 リンは、なおも優しく大野真凛に語りかける。母親が幼子をあやすような口ぶりだった。


「マリン。ちゃんとたっちゃんに言ったことある? 仲間に入れてって言った?」


 ふるふると首を振る。


「でも、浅川くんは私を見捨てたあとも、私のことを好きになってくれなかった。リンのことは、あんなに可愛がったのに……。私のことは、忘れちゃったんでしょ? 拒絶されたとしか思えないよ」


「忘れてなんかないよ。ね? たっちゃん」


 それまで、呆然と二人のやりとりを見ていた達哉は「あぁ……、うん」と曖昧に頷いた。


「たっちゃんはね、ずっと気に病んでたんだよ。自分のせいで、マリンが大変なことになっちゃったって。きっと、あのときはマリンのことが仲良し四人組を壊そうとする敵みたいに見えてたんだと思う。それでも、やっぱり助ければよかったって、十年以上後悔してたんだよ」


 大野真凛の目からポロポロと大粒の涙が溢れた。それをリンの指が優しく拭う。


「ねぇ、さっちゃん」


 リンは振り返って、紗雪さゆきの名を呼んだ。

 同じように涙を溢していた紗雪は、「なに?」と髪を揺らす。


「どうしてこうなっちゃったのかって訊いたでしょ? やっぱり、あたしのせいだったんだよ」


 リンの顔に、もう迷いや恐れはなかった。凛とした姿に全員の目が釘付けになる。


「どういうこと?」


 声が震えてうまく話せない紗雪に変わって、弘大こうだいが尋ねた。


「あたし、本当は最初から分かってたの。マリンは、みんなと仲良くしたかったんだよ。マリンは、みんなと仲良し人組になりたかったの。でも、あたしがその邪魔をした。まだ起こってもいないのに……。マリンは心の内側で願っただけなのに……。あたしはそれに嫉妬したの。だって、あたしは猫で……。人間とは絶対に仲間になれないから」


「そんなことない」と紗雪は首を振る。


「ありがとう。もちろん、今はそんなことないって分かってるよ。でも、猫だったあたしは、そう思えなかった。マリンに五人目の席を取られちゃうのが怖かったの。だから——、」


「それは違うと思うよ」


 リンが言い終わる前に雅臣まさおみの声が重なった。


「それは違う」


 ゆっくりと繰り返す。


「それなら最初から僕たちを秘密基地になんか連れて来なければよかったじゃないか。けど、リンちゃんはそうしなかった。それって、たっちゃんが言ってたとおり、やっぱり大野さんを助けたかったからでしょ?」


 黙ってしまうリンに向けて、雅臣はさらに続ける。


「誰か一人の責任じゃないよ。僕だって責任を感じてるし、たっちゃんだって、さっちゃんだって、こうちゃんだって……それに、大野さんだって――。みんなそれぞれに責任がある。それを薄々分かっていながら目を背けてきたことが、一番の原因なんじゃない? そして、その集大成みたいな形で、大野さんの首吊りのときには、ここにいるみんなが無意識にたっちゃん一人に責任を負わせちゃったんだ」


 リンはハッとしたように顔を上げる。


「でも、今はみんなそのことが分かってるんじゃないかな? ね? 大野さん」


 雅臣に問いかけられた大野真凛は、小さいけれど確かに頷いた。その表情は、どこか嬉しそうだった。


「でも、それじゃあどうしたら……。どうしたらみんな元に戻れるの?」


 リンは泣き出してしまいそうな気持ちをグッと堪えて、誰にともなく尋ねた。


「俺に、任せてくれないか?」


 鼓膜の奥を刺激するような力強い声がした。それはかつて、子供のころにみんなが頼りにしていたリーダーの言葉だった。

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