第31話 揺れる

 チリンッ——、とひときわ大きく鈴が鳴る。リンは、考えるより先に駆け出していた。

 秘密基地が揺れるのが見えた。四本の足が、地面を蹴る。湿った土が、一握りふわりと舞った。


 大丈夫。思いは届いている。達哉たつやたちは、必ず自分の後を追ってくる。リンはそう信じて、振り返ることなく全力で走った。首元で鳴る鈴の音が、規則正しく鳴っていた。


「おい!! リン!! どこ行くんだよ!?」


「ねぇ……、秘密基地が……。今、なんか揺れなかった?」


「うん。リンちゃん、ひょっとして、秘密基地に向かってる……?」


「俺たちを秘密基地まで連れていきたいのかも。ついていこう!」


 遅れて、四人が地面を蹴る音が聞こえる。リンは確信した。やっぱり、思いは届く。もう祈ったりはしないし、いちいち安堵なんかもしない。


 走りだしてすぐ、入口の扉が閉まっているのが見えた。視認するやいなや、最短距離にある入り口を諦めて、走る方向を変える。

 いつも忍び込むときに使う隙間に向かった。体の小さなリンは、難なく通ることができるが、他の四人は通ることができない。

 大野真凛おおのまりんの目的を考えれば、入口の扉は施錠されていないだろう。

 だから、心の中で四人に向かって呼びかける。


「そのまま入口に!! アタシは一足先にこっちから入るから!!」


 後ろを走る四人は、そのまま入口の扉へ向かったようだった。それを背中で感じて、リンはやっぱり思いは伝わるのだと嬉しくなる。初めて自分が仲良し人組の一員である実感が湧いた。

 それを祝福するように首の鈴が鳴る。

 ——けれど、まだ早い、とリンは思った。

 大野真凛を助けなければならない。大野真凛のためにも。達哉のためにも。仲良し五人組のためにも——。


 小さく開いた隙間から身体を滑り込ませると、秘密基地の内部は一段と蒸し暑かった。外と中では、空気が違う。それはなにも、気温や湿度だけの話ではない。

 まとわりつくような熱気と湿気の中、リンはすぐさま大野真凛の姿を探した。


 無意識に視線をやや上に向けると、白く細い棒が二本、静かに揺れているのが見えた。棒だと思ったものは、途中で折れ曲がり、死にかけのミミズのようにうねうねと動いている。

 その先端には、真っ赤な靴。そこで、ようやく棒だと思ったものが、人間の足だと分かる。

 真っ赤な靴の反対側を辿るように視線を上げると、白いプリーツスカート、ピンクのTシャツの順に目に入った。目の前にあるものが、間違いなく人間なのだと確信する。

 そして——、さらに上に視線を向けると、顔があった。大野真凛だ。

 目をきつく閉じ、苦しそうにゆがめた口を中途半端に開けて、大野真凛は宙に揺れる。それを支えているのは、太い梁に括りつけられた一本の太い縄だった。Tシャツから伸びる首には、その縄が容赦なく食い込んでいる。


 リンは思わず声を上げていた。誰に訴えるでもない。悲鳴とも違う。ただ、意味のない声を出す。それ以外にリンにできることはなかった。


 ガコンッと大きな音がして、秘密基地の扉が開いた。

 達哉たつや弘大こうだい紗雪さゆき雅臣まさおみの順で四人の姿が現われる。

 少し距離があるにもかかわらず、リンは、外と中の空気が混じりあうのを感じた。リンの目には、蜃気楼のように朧げな四人の姿が映っている。

 入るのと同時に、四人の目は、宙に揺れる大野真凛の姿をまともに捉えた。


「えっ……」


 嘔吐えずくようにこぼした紗雪の声が、リンの元まで届く。


「大野……?」


 遅れて達哉が呟くように言った。

 それに応えるように、ゆっくりと四人のほうへ向いた大野真凛の顔は、笑っていた。相変わらず足は苦しみにもがくように動いていたが、顔は不釣り合いなほど柔らかく穏やかに笑う。


「——助けないと!!」


 一瞬の間のあと、何かに弾かれたように、最後部から雅臣が大声で叫んだ。雅臣は、誰の返事を待つことなく駆け出していた。

 弘大と紗雪がそれに続く。

 達哉だけが、その場から一歩も動こうとしなかった。

 リンは達哉の口元が、何かを訴えるように動くのをはっきりと見た。

 雅臣たちは、達哉を振り返ることなく、大野真凛の救出に動く。三人が協力して大野真凛を地上へ下ろそうとしているなか、達哉の口が再度動いた。今度は、全員の耳にその言葉が届く。


「——そのまま、放っておこう」


「えっ……?」


 三人が声をそろえて振り返り、達哉を見る。

 三人と同様、リンも衝撃を受ける。あまりの衝撃に、元々大きい目をさらに大きく見開いていた。

 まさか、達哉が、大野真凛を見捨てるようなことを言うなんて——、思いもしなかった。あの優しい達哉が——。

 リンは混乱する頭をぶるぶると振るった。体が硬直するのが分かる。全身の毛が、頭の先から尻尾の先までザワリと総毛立つ。


「い、今、なんて……?」


 弘大の唇は震えていた。


「そのまま放っておこうって言った。だって、そいつは、こうちゃんをいじめてたやつだろ? 助けることないって」


「でも……放っておいたら……死んじゃうかもしれないんだよ?」


 紗雪は声を震わせて、大切なことを確認するように言った。その隣で黙ったままの雅臣は、達哉の言葉を待つように動きを止めている。


「それが、なんだっていうんだよ。見る限り、自殺……だろ? 死にたいなら死なせてやればいいんだよ。そいつが死んだら、こうちゃんはいじめから解放されるんだぞ? それに、俺たちがここに来たのは偶然だ。もともと死ぬ運命だったんだよ」


「そんな……。たしかに、大野さんには酷いことたくさんされたけど……。死んでもいいなんて。そんなこと……」


「そうだよ。いくらなんでも……それは酷いよ」


 弘大と紗雪は、そう言いつつも、硬直したまま動こうとしない。雅臣も言葉を発さず、やはり動きを止めたままだ。

 三人の気持ちが揺れているのは明らかだった。


 殺したいほど憎いわけじゃない。だから、殺したりは絶対にしない。

 でも、結果として、死んでしまうのを見過ごすくらいなら——。

 殺しはしないけど——、のは構わない。

 でも、それはあまりにも——。いくら嫌な思いをさせられた相手でも、見捨てるわけには——。


 まだ未熟な三人の心は、善と悪の間で大きく揺れ動いていた。

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