第30話 伝わる思い

 後ろを振り返って、四人の姿を確認する。誰かを気にして走るのは初めてのことだった。


 リンは、達哉たつやの家を出ると、雅臣まさおみ弘大こうだい紗雪さゆきの順に家を回っていった。その先々で達哉は「リンにを盗まれた」と言って、一緒に追いかけるよう頼んでいた。

「盗まれた」という言葉にリンは少しだけ心を痛めたが、気にしている場合ではない。


 盗んだわけではない。

 あとで返すつもりだ。

 達哉のためにしたことだ。


 いくら弁解したところで、達哉には届かない。永遠に誤解を解くことはできないのかもしれない。けれど、それでもかまわない。リンは、自分のなすべきことをしようと思った。


 流れていく景色の中で、口に咥えた鈴の鳴る音だけが聞こえていた。

 やかましい蝉の声も、たまに通る車の走行音も、達哉たちの足音でさえもリンの耳には届かない。ただ、鈴の音だけが、口元で心地よく鳴り響く。


 遠くに秘密基地が見える場所まで来ると、リンはわざと走る速度を落として、振り返った。リンにとってはなんてことない山道だったが、達哉たちはそれまでと同じペースで走ることができないでいるようだった。

 あまり運動が得意ではない雅臣が、遅れだしているのが見える。他の三人は、雅臣に合わせて、それほど険しくはない山道を進んでいた。

 リンは、四人との距離を確認すると、そばにあった切り株の上で静かに腰を下ろした。四人からは、ギリギリ視界に入るくらいの場所だった。


 大野真凛おおのまりんは、もう秘密基地にたどり着いたのだろうか。まさか、もうすでに首を吊ってしまってはいないだろうか。大野真凛が、あのまま寄り道などせずに歩き続けていたとしたら、十分あり得ることだった。

 間に合わないかもしれないと思うと、リンは焦った。かといって、達哉たちを置いて、リン一人で秘密基地に行くわけにはいかない。一人で行っても意味がない。


「リン!! 急に……どうしたんだよ。それは……食いもんじゃないぞ」


 息が上がり気味の達哉の声が、鈴の音意外の音としては久しぶりにリンの耳に届いた。


「もしかして、お前……。それが……欲しいのか……?」


 四人を見下ろすように、切り株の上に座ったリンに向けて達哉が尋ねた。

 考えたこともなかった。だが、達哉にそう尋ねられると、なんだか欲しいような気がしてくる。涼しげに鳴る鈴をリンは気に入っていた。


 首に付けた鈴は、飼い猫の証。


 リンの首にその証が付けられたことは、生まれてこの方、一度もない。

 縛られるのが嫌いだった。自由でいたいと思っていた。

 でも——、達哉になら飼われてもいいと思っていた。達哉とずっと一緒にいられるのなら——、多少の不自由はかまわない。


 気持ちを伝えようと「にゃおん」と鳴く。口に咥えた鈴が邪魔で、うまく鳴けなかった。誰かにしばられるとはこういうことか、と妙に納得する。煩わしいが、悪い気はしなかった。

 リンは、「これが欲しいのだ」と、保険をかけるように鈴を鳴らした。

 伝わりっこないのは分かっていた。達哉やみんなの言っていることは理解できても、リンの言っていることをみんなが理解できないことは知っている。

 自分は猫で、みんなは人間だから——。

 それでも、届いてほしいと精一杯祈りながら、ありったけの気持ちをこめて鳴いた。


「鈴か……?」


 達哉は息を整えながら、優しく微笑んだ。リンは、達哉に自分の気持ちが届いたのかもしれないと思った。そんなことあるはずないと分かっているのに。


「それ、そんなにほしかったのか……? なら、そう言ってくれよ。それなら別に盗まなくたって……お前にやるのに……」


 その言葉を聞いて確信する。リンの気持ちは、間違いなく達哉に届いている。

 だって、自分が欲しいと思って鳴いた次の瞬間には、それをくれると言っているのだから。リンは、誰かに今の状況を説明したかった。喜びを知ってほしかった。

 

「ていうか……その鈴って、もとから……リンちゃんに……あげるつもりだった……んでしょ? 野良猫のリンちゃんが……嫌がるんじゃないかって……いつまでも……誤魔化して、あげないでいるから……だよ……」


 息を切らせて途切れ途切れになった紗雪の言葉に、リンは耳を疑った。紗雪の隣で弘大と雅臣が膝に手を付きながら、「うんうん」とうなずいているのが見える。


「リン。こっち来いよ。つけてやるから。別に怒ってないし、とっ捕まえてお仕置きしてやる、なんてことも思ってないからさ」


 ようやく息が整ってきた達哉は、照れたように笑いながらリンに向けて手招きをしていた。

 リンは、そっと切り株から飛び降りると、達哉のそばに寄った。


「まったく。急に飛び出していくから、何かと思ったじゃないか。この鈴、本当につけていいんだな?」


 リンはそれに応えるように一度、「にゃおん」と鳴いた。

 

「分かった。それには、これ。これを首に巻いてもらうことになるけど……嫌じゃないか?」


 そう言って、達哉はポケットから赤い革製の首輪を取り出した。

 少しも嫌じゃないリンは、さっきよりも力強く鳴いた。

 達哉が、いつでもリンを歓迎するつもりでいたことが分かって、リンはさらに嬉しくなった。少しの間、大事なことを忘れてしまうほどに。


「よし、それじゃあ付けるぞ。くすぐったいかもしれないけど、我慢してじっとしててくれよ」


 達哉の言葉どおり、少しくすぐったかったが、リンは、じっと動かずに達哉の手が止まるのを待った。リンの首に回された手が、何かをひっかけているのが分かる。

 カチッと金属がぶつかる音がしたかと思うと、その音を追いかけるようにチリンと、リンがぶら下げるには少し大きい鈴が首元で鳴った。


「よしっ、できた! リン。似合うじゃん!」


 鈴を離したその手で、達哉はリンの頭を撫でた。リンは、感謝の気持ちを伝えようとその手に頭をこすりつける。


「それじゃ、帰るか」


 達哉は、にっこり微笑むとゆっくりと立ち上がった。

 それを見て、リンは慌てて大きな声で鳴いた。幸せのあまり、ほんの少しだけ忘れていた大事なことを思い出す。


「ん? どうした? 欲しいものは、手に入っただろ?」


 リンは、達哉に向けて何度も鳴き続けた。

 必ず伝わる。大事なこと——大野真凛のことも、必ず伝わるに違いない。そう思って鳴いた。


「なんだ、リン? もしかして、まだ何か俺たちに言いたいことがあるのか?」


 必死に鳴き続けるリンの様子を見て、達哉は一度伸ばした膝を再び折った。リンの顔に自分の顔を近づけて尋ねる。

 リンは達哉に背中を向けて、今度は秘密基地の方を向いて鳴いた。

 リンの視線を追うように、四人も秘密基地に顔を向ける。


 ちょうどそのとき、小さなズシンッという音とともに、ボロボロの秘密基地が揺れるのを全員の目が捉えた。

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