第28話 マリンブルー

 リンは、もうじき始まる——、らしい夏休みを心待ちにしていた。

 大好きな達哉たつやが、自分の相手をしてくれる時間が増える。その親友である雅臣まさおみ弘大こうだい紗雪さゆきと会う機会も増える。

 リンは、達哉やその仲間と過ごす時間が大好きだった。


 だから、リンは普通であれば苦手なはずの夏も大好きだった。

 容赦なく照りつけ、体力を奪う太陽も。どこに隠れていても身体を濡らす、激しい夕立も。達哉たちと過ごせる濃密な時間を思えば大歓迎だった。


 ——とはいえ、リンは分かっていた。


 自分は、達哉たちと対等な存在ではない。対等な存在にはなりえない。見下されているとか、甘く見られているとか、そういうことではない。そもそも住む世界が違うのだ。

 でも、リンはそれでもよかった。楽しい時間、幸せな時間に変わりはない。リンの大好きなものは、そんなことでは変わらない。


 夏休みを目前にした放課後、仲良し四人組は久しぶりに秘密基地に集まっていた。中学に上がってからは、集まる機会が少なくなっていた。リンはそれがどうしようもなく寂しかった。仲良し四人組がいなくては、秘密基地もただの古ぼけた山小屋だ。

 その久しぶりの秘密基地に、もちろんリンもいた。そこで、達哉は突然、思いついたように言った。


「いい加減、リンも俺たちの仲間だよな?」


 雅臣も弘大も紗雪も、それに即答する。


「もちろんだよ。最初からリンちゃんは当然、仲間だよ」


「じゃあ、俺たち仲良し五人組だな」


 飛び上がるほど嬉しかった。一生忘れることはないだろうと思った。

 自分のような存在に仲間ができるなんて夢にも思わなかった。

 だから——。


 リンが日頃巡る家々の中には、達哉の家のほか、大野真凛おおのまりんの家もあった。達哉の家と違って、特別居心地がいい場所ではなかったが、比較的歓迎されているようだったから、毎日ではないけれど定期的に訪れていた。

 その家でリンを出迎えるのは、決まって大野真凛だった。ランダムに、特に訪問時間を決めずに訪れても、待ち構えていたように出迎える大野真凛は少し不気味だった。不気味ではあったものの、歓迎されることが珍しく、それ自体はありがたいものなので受け入れていた。


「ねぇねぇ~。浅川達哉あさかわたつやくんって、知ってるぅ?」


 大野真凛はリンにそう尋ねた。リンは何も応えずに首を大きくかしげる。


「知るわけないかぁ~。あ~ぁ……。どうしたら浅川くんと近づけるのかなぁ~。恋人……ううん、せめて、お友達でもいいから近づきたいなぁ」


 なにも応えないリンにも、特に焦れた様子を見せることなく少女は話し続ける。


「真凛ねぇ~。浅川達哉くんのことが大好きなの。でも、浅川くんは、真凛のことなんて、なぁ~んとも思ってないみたいでさぁ~。前に、はっきりとフラれちゃったこともあるし。もちろん、諦めてはないんだけどねぇ」


「大好き」という言葉に、リンの耳がピクリと動く。自分と同じ感情を持つ少女に、リンは少なからず共感していた。決してライバルになどなりえないからこそ、心の底から共感することができる。


「だから、嫌われるのも覚悟で色々やってみたんだけどぉ、なんかもう色々無理っぽくってさぁ~。どうせ叶わないなら、もう死んじゃおうかなぁ~、なんて……」


 リンは再び首をかしげる。とめどなくあふれる少女の脈絡のない言葉に、少なからず戸惑いを覚えていた。

 一人で話し続ける少女は、リンの反応などは求めていないようだった。達哉と同じように自分の訪問を歓迎してくれているが、達哉と違って少女はひどく独りよがりのように思えた。


「もしっ! もしだよぉ~? もし、目の前で真凛が死にかけてたら、浅川くんは真凛のことを助けてくれるかなぁ?」


 リンは少女の発した仮定の話にすぐさま首を縦に振った。優しく正義感にあふれる達哉が、目の前で死にそうな誰かを助けないわけがない。その誰かが誰であっても結論は変わらないと思った。

 事実、リンはそれに近い施しを受けていた。リンにとっては、それがゆるぎない証拠と自信になる。


「肯定してくれるの? そうだよねぇ? 浅川くん、優しいもんねぇ~。ありがとう。真凛、決心がついちゃったかも。もうすぐ夏休みだよねぇ? 最近ではあんまりみたいだけど、夏休みならきっとあそこに集まるよねぇ? ほかの人たちは、まぁいいんだけどぉ……。どうせならあそこがいいよねぇ。浅川くんにだけは、絶対に見つけてもらいたいなぁ~」


 何を言っているのか分からずにいると、それを察したかのように、少女は具体的な話で自らの言葉を補足する。


「決めたっ! 真凛、夏休み初日にあそこで首を吊って死ぬことにする。あそこなら、絶対に浅川くんに見つけてもらえるよねぇ? 早めに見つけてもらって、お姫様みたいに助けてもらえたら一番いいんだけどぉ……。もし、死んでても浅川くんに見つけてもらえるならそれでいいやぁ~。それだけで真凛はもうオッケーかもぉ」


 言葉の内容とは裏腹に少女は嬉しそうだった。死ぬことを望んでいるようだった。


 リンに少女の真意は分からない。けれど、達哉に関係する何かを、目の前の少女が企てていることは分かった。そして、その企てが遠くない将来、実行に移されることも。

 リンは、なぜだか少女を可哀想に思った。自分とは全く似ても似つかない少女の輪郭に自分の姿が重なる。


 少女の微かな願いを叶えてやりたい。

 少女の家は、数ある訪問先の一つというだけで、特別な場所ではなかったが、それでもこれまでの恩がある。

 

 少女が用意したマリンブルーの容器に口をつけると、水はすっかりぬるくなっていた。

 もうここに来ることはないのかもしれない。このときリンは、漠然とそんな予感を覚えていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る