第27話 鈴の音

 気が付けば外は暗くなり始めていた。

 日中、容赦なく照り付けていた太陽は、ついさっきまでオレンジ色に染まっていた秘密基地を群青色に変えていく。

 意識していないと気付きにくいが、夏至を境に日照時間は日に日に短くなっている。まだ大丈夫だろうと油断していると、思いのほか暗くなっている。

 日が暮れ始めても、気温だけは蒸し暑いままだ。しかし、日照時間の短さは、夏休みの終わりを暗示していた。


 薄暗く群青に染まった秘密基地で、やり場のない感情を抱えた達哉たつやは、ただ黙ってうつむくことしかできなかった。

 すべての感情を吐き出してしまったはずなのに、達哉の胸にはまだ言葉にできない感情があった。それは、後悔とともに、達哉の胸に残り続けていた。


「たっちゃん。元の世界にね、戻らなきゃいけないんだよ。いつまでも秘密基地ここにはいられないの」


 そんな達哉に向けて、リンは諭すように言った。


「たっちゃんだけがって思ってる? でも、それは違うよ。たっちゃんだけが、まだ頑なにだけなんだよ」


 仲良し四人組には、気付かぬうちにできたきずがあった。致命的な疵ではないから大丈夫だと思っているうちに、取り返しがつかないほど大きくなった疵。

 一度暮れた日は、再び明けるが、一度できて、四人の間に広がった疵は放っておいても修復しない。何もしなければ化膿して、じくじくと痛み続け、時間の経過とともにどんどん修復が難しくなる。

 普段は意識をしなければ、その瑕による痛みに悩まされることはない。普通に暮らすことができるだろう。しかし、その瑕は何かの拍子に、突如としてその存在を主張し始める。できたときよりも大きな痛みとともに——。


 達哉は、四人の中で一番大きな疵を負い、完治とは程遠い状態だった。

 達哉は、結果として仲良し四人組が背負う十字架を一人で背負うこととなった。達哉を除く三人は意図せず、達哉の犠牲のもとに平穏な生活を送っていたのだが、そのことから目を逸らし続けていた。


 本当はみんな気が付いていた。気が付いた上で見ないふりをしてきた。

 触れてしまうことで、その瑕を致命傷としてしまうことを恐れていた。

 夏休みの終わりに気が付かないふりをして、まだ暗くないからと遊び続ける子供のように、自分たちはまだ仲良し四人組だから大丈夫だとその瑕から目を背け続けてきた。

 自分たちの手で終わらせてしまうことが怖かったから——。


「思い……出したく、ない?」


 リンの言葉に達哉は薄い反応を示す。達哉にとっては思い出せていないことがすべてであり、その理由はあまり重要なことではなかった。それでもリンの言葉は、どこか引っかかる。


「そうだよ。たっちゃんは、思い出したくないだけなんだよ。それくらい傷ついたの。みんなももちろん傷ついたと思うけど、たっちゃんはその深さがみんなとはちょっと違ったんだよ」


「それは……そうなのかもしれないね。たっちゃんの言うとおり、僕たちは心のどこかでたっちゃんのせいにすることで、どうにか心の安定を保つことができたのかもしれない。でも、たっちゃんは……」


「自分のせいだって、思っちゃったんだよね。そこに追い打ちをかけるように私たちは……」


「そうだね。なにも言わずに離れちゃった。たっちゃんを一人にしちゃった。本当はもっと言うべきことがあったし、するべきことがあったのに……なにもしないで……」


 三人はリレーをするように言葉をつないでいく。


「それは違うよ」


 しかし、リンが三人の言葉を短い言葉で否定する。


「覚えていないだけで、みんなはできることをしたんだよ」


「えっ? どういうこと?」


 三人の声がそろった。


「まさくんは、どうにかたっちゃんに立ち直ってもらおうって、遅れちゃいがちな勉強の力になろうとしたんだよ。結局たっちゃんは、それを拒絶しちゃったけど……。それでもめげずに中学卒業まで何度も何度も……。それに、大きな会社に入ったのだって。そこで偉くなったら、もしかしたらたっちゃんを引き上げることができるかもしれないって考えたからなんだよ」


 自分のことを指摘されているにも関わらず、雅臣まさおみには心当たりがない。


「こうちゃんだって……。いつもたっちゃんに助けられてばかりだったから、今度は自分がたっちゃんを助けるんだって。それで身体を鍛え始めたんだよ。覚えてない? 大工さんになったのも、そう。もちろん、お父さんのこともあっただろうけど、自分の手で、今度はずっと立派な秘密基地を作るんだって、そう言ってたよ」


 弘大こうだいは思わず「俺が……?」と声を漏らす。


「さっちゃんもだよ? さっちゃんは、時々たっちゃんに手紙を書いてたでしょ? それに、かなちゃんを通じて、たっちゃんの様子を聞いたりもしてた。その効果もあってか、たっちゃんが唯一、中学を卒業してからも連絡を取ろうと思ってたのがさっちゃんだったんだよ。結果としては、たっちゃんが動くことはなかったけど……。でも、たっちゃんがみんなを忘れなかったのは、さっちゃんのおかげが大きいと思うよ」


 紗雪さゆきの目から大粒の涙がこぼれ落ちる。紗雪は、次から次へとあふれ出る涙を拭うことなく、ただ静かに声も上げずに泣き続けていた。


「それに……。悪いのは、アタシなの……」


 リンは最後に言葉を詰まらせた。


「全部アタシのせいなんだよ。たっちゃん。もういいんだよ。思い出して。みんな、たっちゃんの仲間でしょ? 仲良し人組でしょ」


 リンの言葉とともに首飾りの鈴が鳴る。

 夏の終わりに吹く北よりの風のように、涼しげに響くその音が達哉の心を震わせた。


 ——と、フラッシュバックする。


 インターホンに映る、たくさんのプリントやポストイットが貼られた教科書を抱える雅臣の姿。

「人殺し」と罵る同級生の胸倉を掴んで、達哉の目の届かないところへ連れていく太い腕の弘大の姿。

 読んだものも読まずにいたものも綯い交ぜにして、無造作に引き出しの中にしまわれた紗雪の書いた手紙。


「まさくん。ありがとう。せっかく、毎日来てくれてたのに、俺……。ごめん」


 気付けば達哉は泣いていた。


「こうちゃん。俺、あれから結構絡まれたりしたんだよね。そのたびに……ありがとう」


 頬を伝う涙は、生温かかったが、心地よいものだった。


「さっちゃん。手紙、ありがとう。せっかく声かけてくれたのに、髪、切りに行けなくてごめんね。本当は分かってたんだよ。みんなが俺のこと気にかけてくれてるって」


 達哉は忘れていたものをすべて思い出していた。

 もう一人の、小さな大切な友達のことも——。


「リン……。お前のせいなんかじゃないよ。お前は悪くない。リン。いつもどおり、母さんが窓、開けてるから。おかげでエアコンが効かないよ。リン。今日も飯はうちで食っていくんだろ?」


 そう達哉に語りかけられて、リンは嬉しそうに微笑んでうなずいた。リンッと鈴が鳴る。

 四人の耳には、猫の鳴き声が空耳のように聞こえていた。

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