第26話 責任

「見殺し……に……?」


 ため息とともに雅臣まさおみの口から漏れたのは、リンと同じ言葉だった。

 言葉は同じであるが、その声音は大きく違う。雅臣のそれは、今にも消え入りそうなほど小さくか細かった。


「そんなこと……」


「できない?」


 リンは、途切れた雅臣の言葉を強い口調で引き取った。


「それなら、元の世界には戻れないよ。残念だけど……」


「俺は別に元の世界に帰れなくてもいいよ」


 達哉たつやは突然、呟くように、けれど、その場の全員が聞き取れるほどはっきりとした声で言った。


「たっちゃん?」


 弘大こうだいは、心底意外だとでも言いたげな顔を達哉に向ける。達哉はそんな弘大を無視して、それ以上は何も語らなかった。


「たっちゃん……。どうして、戻りたくないの?」


 紗雪さゆきの言葉にも達哉は反応を示さない。


「てっきり、みんな元に戻りたいのかと思ってたよ。もちろん、たっちゃんも……。でも、たっちゃんは……違うの?」


 訊かれても、達哉はただじっと足元を見つめて黙っている。


「…………僕は、戻りたいよ。せっかく、希望の会社に就職できて、これからってときだったのに……」


 雅臣は秘密を打ち明けるようにそう告げた。達哉の意志を聞いて、その態度を見たうえでそれを告げるのは多少気まずいものがあったが、弘大と紗雪の様子から二人も自分と同じ気持ちなのだと考えての発言だった。二人が同じ気持ちなら、問題ないだろう、と。

 

 しかし——。

 雅臣の言葉が引き金となって、達哉は、


「お前はいいよな!! 充実してて!!」


 それまで見せたことのない、明確な敵意を雅臣に向けた。


「たっちゃん!? どうしちゃったの?」


 あまりにも突然の激昂におろおろと達哉に近づく紗雪。達哉はそれを拒絶するように押しのけた。


「さっちゃんだって、そうだろ? 美容師。子供のころからなりたかったんだもんね」


「それは…………」


「こうちゃんだって!! 元の世界のほうがいいんだろ?」


「……」


 達哉の敵意は雅臣だけに向けられたものではなかった。


「だよな? こうちゃんにとっても、元の世界はいいもんね。こっちの世界では、これから始まる予定のいじめも終わってて、もう大野はいないもんね。俺のでさ!!」


「たっちゃん!! 言いすぎだよ!!」


 思わず口を突いて出た達哉の言葉を雅臣がたしなめる。達哉自身、言ってしまってからまずいとは思ったが、吐いてしまった言葉を元に戻すことはできない。

 そして、一度決壊してしまった気持ちをせき止めることもできなかった。


「みんなは、いいよな。それぞれが充実した毎日を送っててさ!! 忘れてたんだろ? 大野がここで首を吊ってたこと。タイムスリップとか関係なく、昨日、思い出すまでずっと忘れて、なかったことにして暮らしてたんだろ? 思い出したら、それでオーケーか? どうせ、俺のことだって忘れてたくせに……。だって、俺のだもんな。みんなは、俺に従っただけ。むしろ、俺が大野を見捨てようって言ったのを止めたんだろ? 思い出せないけど、そうなんだろ? 俺は……。あれからの俺は、惨めだったよ。あのとき何があったのかは、まだ思い出せないけど、そのあとのことは……覚えてる」


 堰を切ったようにあふれ出る達哉の言葉に全員が黙り込む。


「中学校でも。高校でも。その後も——。あの日以来、俺の周りには誰もいなくなったんだ。あんなに仲良しだって、親友だって思ってたみんなもいなくなったよな? その理由が、大野の首吊りなんだろ?」


 誰も答えることができない。


 三人とも意識して達哉だけを避けたつもりはなかった。しかし、心のどこかで達哉に責任を被せていたのは事実だった。大野の首吊り事件の影響は、三人と達哉とでは大きく違うものとなっていた。


 主犯と従犯。主役と脇役。

 対等な共犯関係ではなかった。


 三人は、無意識のうちに達哉と自分たちとの間にそんな線を引いていた。三人は決して意識してそうしたわけではないし、それを表出させた覚えもない。また、達哉は達哉で、責任の大半は自分にあると考えていた。こちらもやはり無意識に近いものだった。

 大野真凛の首吊り事件以来、その立場の違いから四人の間に微妙なすれ違いが起き、それが四人の関係を壊してしまっていた。


「たっちゃん……。それは、違うよ……」


 唯一、敵意を向けられていないリンが誰よりも苦しそうな表情を浮かべ、達哉に語りかける。


「違うんだよ。たっちゃん。みんなは、たっちゃんを……」


「お前には関係ないだろ? 何が違うんだよ? 違わないだろ? 違うって言うなら、まさくんが、こうちゃんが、さっちゃんが……自分の口でそれを説明してくれよ」


 説明しろと言われても、三人には何を説明したらいいのかが分からなかった。リンの言った「違う」の意味も分からない。

 三人は、少なからず達哉の言うとおりだと思っていた。少なくともあの事件をきっかけに疎遠になったというのは疑いようのない事実だ。それぞれがバラバラに離れていったのだが、四人の中で一番遠く、距離を取られたのが達哉だった。


「みんなは……説明できないよ。たぶん、まだそこまでは思い出してないから……でしょ?」


 リンは寂しそうに言った。三人はそんなリンの表情を申し訳なく思い、しかし、ためらいながらうなずいた。


「俺たちは、この期に及んで、まだ、思い出せてないことがあるのかよ」


 達哉は吐き捨てるように言って、下を向く。


「リンちゃん……。いつから……いつの間に……?」


 紗雪は呆然としながらも辛うじてリンに尋ねる。


「さっちゃん? 何が?」


 質問の意図が汲み取れずリンは反対に尋ね返した。


「いつの間に、私たち……。いつから、どうして、こんなことになっちゃったの?」


「分からない。でも、きっかけは大野真凛の首吊りだよ。みんなを取り巻くことの元凶は、すべてあの事件がその中心にあるの」


 リンは静かに答えた。

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