第25話 恨み言

『絶対に許さない』


 ボールペンを使って書かれたと思われる手紙には、ただ、それだけが書かれていた。宛名もなければ、差出人もない。

 書き手——大野真凛おおのまりん——の筆圧の強さが、異常なほどインクの滲んだその文字から見て取れる。それは怒りそのもののように思えた。


「絶対に……許さない……」


 達哉たつやは、思わず声に出していた。

 手紙を渡してよこしたときの大野真凛を思い出す。にこやかな表情と、手紙のインパクトがあまりにも不釣り合いで、じわりと速度の遅い寒気を覚える。


 誰を、どんな理由で、許さないというのか——。


 当時もこの手紙を受け取ったのだろうか。そんなことを思う。

 記憶は定かではなかったが、小学五年生の達哉であれば、「全く心当たりのない言いがかりだ」と言って、まともに取り合わなかっただろう。

 

 しかし、今の達哉は記憶こそ戻ってはいないが、二年後に大野真凛が起こす首吊り事件を、その過程から顛末まで知っている。

 首吊り事件のことを考えると、その意味合いは大きく変わってくるような気がした。もっとも、小学五年生の大野真凛はまだ首吊りをしていないし、障害を負ってもいない。だから、この手紙が『達哉たちのせいで障害を負ってしまった。許さない』という意味合いであるはずがない。

 それでも達哉は、この手紙は首吊り事件のことを指しているのではないかと考えた。


 ふと、大野真凛もタイムスリップしているのではないか——? という考えが達哉の頭に浮かぶ。


「これって……。真凛ちゃんを見捨てた私たちに向けての……手紙……なのかな?」


 この手紙は、死んでしまっても構わないと仲良し四人組に見捨てられたことへの恨み言だ。自ら首吊りを選択したことを棚に上げて、大野真凛は達哉たち仲良し四人組に強烈な恨みを抱いている。

 そんな考えが秘密基地に渦巻いていた。


「俺もそう思う。俺たち全員に対する強い恨みを感じるよ。でも、大野はまだ……っていうのもおかしいけど……首吊り、してないよね? なんでだろう。それなのに絶対そのことだって言い切れる」


「分かるよ。僕も同じ気持ち。この手紙は、間違いなく僕たち全員に向けたものだよ」


「——っていうことは、真凛ちゃんも……?」


「そうじゃないと、説明がつかないよね」


「向こうは知ってるのかな? つまり、俺たちがタイムスリップしてるってこと」


「分からない。……けど、この手紙の雰囲気からして、その可能性も十分にあると思う」


 達哉は最初、みんなの言葉は達哉を気遣ってのものだと思った。しかし、それぞれの様子からどうやらそうではないらしいと悟る。

 もちろん、手紙から感じる強烈な負の感情が、達哉一人に向けられたものではないと安心させる意図はあったのだろう。だが、それ以上に、全員が直観的にその負の感情は自分に向けられていると感じ取っていた。それを偶々達哉が受け取ってしまっただけだと、それぞれが思った。


「リンはどう思う?」


 達哉は、ふいにリンに向けて疑問を投げかける。それまで黙っていたリンは、唇を噛んで、「——まさか、直接接触するなんて」と呟いた。


「リンちゃん……?」


「……ん? あっ、ごめん。ね? 言ったでしょ? 大野真凛はやっかいなの」


「うん。あのときは、何を言ってるのか分からなかったけど、今はなんとなく分かる気がするよ」


 雅臣は神妙な顔で言った。大野真凛のことは今だってよく知らないが、手紙が醸し出す尋常じゃない雰囲気からだと言うのは理解できた。


「そういえば……」


 弘大が思い出したように口にする。


「リンちゃん。大野をどうにかしなきゃいけないって言ってたよね?」


「言ってた!」


 それに紗雪がすぐに反応した。


「どうにかするっていうのはさ、具体的にどういう意味なの?」


 弘大はリンを真っ直ぐに見据えて尋ねた。リンはそれを受け止めると、ゆっくりと微笑んだ。


「殺さなきゃならない……って言ったらどうする?」


 思いもよらない答えに弘大は思わず息を呑んだ。弘大だけではない。達哉も雅臣も紗雪も、みんな揃って絶句する。


「……なんてね。そんなことは言わないから安心してよ」


 一瞬で広がった緊張を和らげようとリンは明るく言った。しかし、一度広がった緊張は緩まない。「殺さなきゃならない」と言ったときのリンの目が、声が、決して冗談を言っている人のものとは思えなかった。


「リンちゃん……。こんなときに……変なこと言うのはやめてよ」


「ごめんね」


 力なく抗議する弘大に、リンは表情を変えることなく謝った。


「でもね……。結果としては、そういうことになるかもしれない。直接誰かが手を下すわけではないけど……。そうしないと、みんな永遠に秘密基地ここに囚われることになるの。元の生活に戻りたかったら、結局は大野真凛を……殺すことになるんだよ」


「ちょ、ちょっと……ちょっと、待って!!」


 取り乱した様子で割って入ったのは、雅臣だった。


「僕たち元に戻れるの? それで? そのためには大野さんを殺さないといけない? ……ごめん。色々と情報がありすぎてすぐには飲み込めないよ」


「分かった。もう少し分かりやすく説明するね? ——といっても、今まさくんが言ったとおりのことで、それ以上でもそれ以下でもないんだけど……」


 リンはそこで一度言葉を切った。そして、迷いを払拭するように首を振ると先を続ける。


「たぶん……ううん、間違いなく大野真凛は秘密基地ここで首を吊るよ。そのとき、みんなは何もしちゃダメ。あのときみたいに助けちゃいけない。発見もしちゃいけないの」


「それって、つまり……?」


「うん。大野真凛を完全に見殺しにしなくちゃいけない。そうすれば、みんなは元の世界に帰れるよ」


 リンは、四人の顔を順番に見回して、そう断言した。

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