第17話 蘇る記憶

「リンちゃんは大野じゃないし、俺をいじめてたやつでもないよ」


 弘大こうだいは、はっきりとそう言い切った。と過去形になっているあたりで、その中身が弘大であることが分かる。


「こうちゃん……。よかったぁ」


 真っ先に紗雪さゆきが安堵の声を漏らす。弘大の口から告げられた内容よりも、弘大の様子が元どおりになったらしいことを受けてのものだった。


「こうちゃん。どういうことか説明してくれる? 正直言って、僕たちはリンちゃんがこうちゃんをいじめてた大野さんなんじゃないかって疑ってる」


「そうだよ。こうちゃん。夏菜子かなこがリンって名前を聞いて、大野だって言ってたんだ。あいつはムカつくやつだけど、しょうもない嘘はつかない」


 雅臣まさおみ達哉たつやは、揃って弘大に疑問を投げかける。弘大はそれをまっすぐに受け止めた。


「それはたぶん、かなちゃんの勘違いだと思う」


「どういうこと!?」


 急かすように問い詰める達哉を雅臣が制した。


「たっちゃん。とりあえず最後まで聞こう。こうちゃんも。なるべくもったいつけないで、僕たちにも分かるように説明してね」


 達哉と弘大はほとんど同時にうなずく。


「俺をいじめてたのは、大野で間違い無いよ。思い出したって言うより、今日学校で普通に嫌がらせされたし。その瞬間、フラッシュバックっていうのかな? 当時のことが蘇っちゃって……。自分が自分じゃ無いみたいに思えたんだ。そしたらもう何も考えられなくなってた。いじめの後遺症かもしれない。克服できたと思っても、心の深いところにはいつまでも残っちゃうのかな?」


 弘大の心の傷の深さに気づかされる。普段そんなことを感じさせない弘大の笑顔の裏には誰も知らない傷があり、それはかさぶたで覆われてこそいたのかもしれないが、決して完治することのないものだった。


「その大野だけど。下の名前は真凛まりん。大野真凛っていうんだよ。って呼ばれたりもしてたみたいだから、かなちゃんは、それを勘違いしたんじゃないかな?」


 弘大の言葉がきっかけとなって達哉の記憶が急速に蘇る。


 オオノマリン……大野真凛。大野真凛。

 達哉の頭の中で何度もその名前が響いた。

 名前を思い出すと同時に、その顔も鮮明に思い出す。それは弘大の教室の前で達哉に向かって微笑みかけたあの女子だった。


「あれが、大野だ……」


 雅臣も紗雪も、達哉の言葉の意味を察してうなずく。二人も達哉と同じように弘大の言葉をきっかけに記憶を蘇らせていた。


「私も思い出した。真凛ちゃん……。そうだよ。大野さんって、なんかピンとこなかったんだけど、女子はみんな真凛ちゃんとかリンちゃんって呼んでた。私は全然仲良くはなかったけど、それでも話すときはやっぱり真凛ちゃんって呼んでた」


「僕は逆。当時もたぶん、大野さんって苗字しか知らなかったと思う。話したこともほとんどないと思うし……。でも、こうちゃんをいじめてたのは間違いないね。はっきり思い出したよ」


 二人はそれぞれの記憶を確かめるようにうなずきあう。


「だな。俺、あいつに告れらたんだ。すっかり忘れてて半信半疑だったけど、間違いないよ。それで俺はあいつをフった。「そんなに仲良くないだろ?」って。思い返せばかなりめんどくさそうに、適当に言ってたと思う」


 少しの照れから達哉は汗に湿った頭をかく。

 一般的に女子の方が精神的な成熟が早いのだろう。恋愛というものに積極的な大野をめんどくさく感じ、邪険に扱ったのは当時の達哉の精神年齢を考えれば仕方がないことだ。

 ただ、大野は諦めなかった。


「そのあと……。あいつ、俺たちの仲間に入れてくれって……言ってきたよな?」


 達哉の問いかけにリンを除く全員がうなずく。

 大野は、「そんなに仲良くない」という理由を真に受けた。仲良くなれば付き合ってもらえると考えた。しかし、達哉は、いや、達哉たち四人はその可能性を封殺した。


「俺たちは断ったんだよな。別に悪気があったわけじゃ無いけど、四人の関係を壊したくなかったんだ。俺たちからすれば、夏菜子でさえ入れてやらなかったんだから、当然といえば当然なんだけど……。だから、あいつは嫌がらせ……いじめを始めたんだ」


「そうだったね。そういえば、こうちゃんほどじゃなかったけど、私も結構嫌な思いさせられてたよ」


 初めて語られることだった。


「私の場合はクラスが違ったし、仲のいい女子のグループも違くて。それにほら。亜紗美あさみがいてくれたから……」


 亜紗美というのは紗雪の親友だ。

 達哉や雅臣、弘大に匹敵するくらい仲のいい友達だが、達哉たちとは違う小学校に通っていた。スイミングスクールでできた友達だと同じ中学にあがったときに紹介されて、初めて達哉たちは亜紗美のことを知った。


「まぁ、そんなことは、もういいんだけどね。ごめん、暗くなるようなこと言っちゃって。とにかく、こうちゃんをいじめてた大野さんは、リンちゃんじゃないってハッキリしたよね? 二人はリンちゃんに何か言うことがあるんじゃないの?」


 わざとらしいくらい明るい声で、紗雪は達哉と雅臣に謝罪をうながす。その手は腰に当てられている。


「リンちゃん。疑ったりしてごめん」


 真っ先に頭を下げたのは雅臣だった。リンは下げられた雅臣の頭に向かって、優しく微笑みかける。


「いいよ。まさくん。誤解が解けてよかったよ」


 その言葉を聞いて雅臣は顔を上げた。それを確認するとリンは達哉の方を向く。急かすでもなく、ただじっと達哉のことを見つめていた。

 達哉は威勢よく問い詰めてしまった手前、なかなか素直に謝ることができない。それでも、非は完全に自分にあると理解していた。弘大がそっと達哉の背中に手を当てる。それを見た紗雪と雅臣も弘大に倣って重ねるようにして達哉の背中に手を当てた。


「リン……。本当にすまなかった!!」


 三人に文字どおり背中を押され、達哉は大きな声で謝った。予想よりもその声が大きかったのか、リンは目を丸くして驚いていた。けれど、それも一瞬のことで、次の瞬間には下げられた達哉の頭を撫でる。


「よくできました。たっちゃんも合格です。たっちゃん。そうやってかなちゃんにもちゃんと謝れてたら、もっと仲良くできてたんじゃないかな?」


 リンは優しく、ほんの少しだけふざけた調子でそう言った。

 達哉は、リンが達哉と夏菜子の仲が悪いことを知っていることに驚く。やはり、リンの言うとおり、仲良し人組だったのではないだろうかという考えが頭に浮かぶ。


「……リン。お前はいったい誰なんだ?」


 達哉は、リンに向かって思わずそう尋ねていた。

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