第16話 弘大の変化
「こうちゃん……?」
真っ先に声をかけたのは、
「さっちゃん……? あれ? どうしたの? みんな揃って」
弘大は紗雪の声で我に返ったのか、急に電源を入れられた玩具のようにぎこちなく、どこか不自然な反応を示した。明らかに無理をしている。
三人の目には、その姿が痛々しく映った。
「おいっ!! お前、こうちゃんに何したんだよ!?」
弘大の様子を見た達哉は、その感情をダイレクトにリンにぶつける。雅臣が止めに入ってもおかしくないような場面なのだが、そうしなかった。雅臣もまたリンに対する疑惑と怒りを密かに抱いている。
「ちょっと、たっちゃん……。落ち着いてよ!!」
「落ち着けるわけねぇだろ!! お前が何かしたから、こうちゃんはこんなに元気がねぇんだろうが!!」
どこか寂しげなリンの瞳には、怒りで歪んだ達哉の顔が映る。大好きな達哉から初めて向けられた敵意に面食らったリンは、慌てて達哉を制するが、達哉の怒りは収まりそうもない。
「ちょっと……。あたしの話を聞いて……。たっちゃん。お願いだから……」
「うるせー!! 言い訳なんか……っ!?」
完全に頭に血が上ってしまい聞く耳を持たない達哉は、リンの制止を打ち消すように叫びながら詰め寄る。怒りで我を忘れつつある達哉の前に、細く白い紗雪の腕がスッと差し出された。
懇願するリンを哀れに思ったのか、そもそも争いを嫌うからなのかは分からないが、いずれにしても取り乱した達哉を放っておくことはできないと判断しての行動だった。
「さっちゃん!? なんだよ!! なんで止めるんだよ!! さっちゃんは、なんとも思わないの!?」
「もちろん、私だってこうちゃんが心配だよ。そんな風に大きい声を出したら、こうちゃんは余計に怖がっちゃうかもしれないでしょ? それに……最初からリンちゃんが何かしたって決めつけるのは、やっぱりおかしいよ」
あまり見たことがない紗雪の毅然とした態度に達哉は少しだけひるむ。一度勢いをそがれると頭に上った血が急激に冷めていく。
「さっちゃん。何か思い当たることでもあるの? たっちゃんに全面的に賛成するわけではないけど、僕もリンちゃんは少し怪しいと思うよ」
「根拠……は……ないけど……。でも、さっき、こうちゃんは何かを言いたそうにしてた。リンちゃんを責める前にこうちゃんの話をしっかり聞いてあげようよ」
全員の視線が一斉に弘大に向けられる。突如として注目を浴びた弘大ではあったが、虚ろな表情はそれまでとあまり変わらない。
それでも紗雪には確信があった。紗雪は、弘大がほんの少しだけ漏らした吐息にも似た声を聞き逃さなかった。
「リンちゃんの話も。疑う前にちゃんと聞いてあげようよ。話を聞いてって言ってるし、わざわざたっちゃんちまで呼びにきてまでここに連れて来てくれたってことは、何か言いたいことがあるんでしょ?」
紗雪は続けてリンに救いの手を向ける。リンは寂しげな表情を少し和らげて微笑んだ。
「どっちの話からでもいいけど……どうする? こうちゃん話せる?」
紗雪の気遣うような声にも、弘大は先ほど同様大きな反応は示さない。それを見て、紗雪はリンに視線を移す。紗雪と目が合ったリンは、静かに一度だけうなずいた。
「それじゃあ、リンちゃんから。二人ともいいよね?」
押し切られる形となった達哉と雅臣は「あぁ…」と曖昧な返事で紗雪に応えた。
「こうちゃんも……。リンちゃんから先に話を聞くけどいいよね?」
やはり弘大は応えない。それでも紗雪は何かを感じ取ったのか、励ますように力強くうなずいて、リンに向き直った。
「リンちゃん。聞かせてくれる? こうちゃんに何があったの?」
紗雪はリンの真正面に立って、その顔を真っ直ぐに見つめる。立ち位置としては、達哉や弘大よりも半歩ほどリンに近い。万が一、また達哉が激昂した場合に備えてのことだ。
「うん。えっと……みんなはこうちゃんが、その……いじめられてるっていうのはもう知ってるんだよね?」
「それをお前が言うのか?! いじめてるのはお前自身じゃねぇか!! お前が大野なんだろ?」
リンの言葉に反応して達哉がまたしても大声をあげる。しかし、さすがに食って掛かったりはしない。言葉だけで最大限リンに対する敵意を表す。
「たっちゃん。落ち着きなってば。まだリンちゃん話し始めたばかりでしょ?」
紗雪の言葉に達哉は、開いた口をぎこちなく閉じる。かろうじて飲み込んだ言葉は誰も知らないところへ消えていった。
「こうちゃんは、強い子だよ。強くなれる子。お父さんの子だから。お父さんは、町一番のやんちゃ坊主で誰にも負けなかった。そのお父さんの血を受け継いでいるんだもん。いじめになんか絶対に負けない」
リンはスラスラと呪文のように言葉を紡いだ。それはリン自身の言葉というよりは誰かの言葉を代弁しているようだった。
豹変したようなリンの様子に達哉と紗雪は驚いて顔を見合わせる。雅臣も息を飲んでただ、リンのことを見つめていた。弘大だけは表情を変えずそれまで同様に佇んでいる。
「弘大。強くなれ。俺にもしものことがあったら、お前が家族を守るんだろ?」
長い息継ぎのあと、リンの口から出たものは明らかに別人のものだった。達哉たちにもそれが誰の言葉であるか分かる。
それは、弘大がいじめに悩んでいたとき、父親からかけられた言葉だった。リンは弘大にとって自分を変えるきっかけとなった大切な父親の言葉を、一言一句違えることなくその口から発していた。
「……父ちゃん」
父親とは似ても似つかないリンから発せられた言葉によって、弘大の目に光が戻る。
そして、少しの沈黙のあと、弘大はゆっくりと口を開いた。
「…………ちゃんは…………さん…………ないよ……」
「……えっ!?」
リンを除く三人が声をそろえて弘大を見やる。弘大の顔に浮かんでいた虚ろな表情はもうない。その目には、しっかりと光が宿っていた。
意を決したようにその光が強くなると、弘大は三人に向かって今度ははっきりと言った
「リンちゃんは、大野さんじゃないよ」
弘大は三人の視線を集めたまま一度だけ天を仰ぐ。再び三人に向けられた弘大の顔はもう気が弱く引っ込み思案な弘大のものではなかった。
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