第15話 カーテンのせい

 始業式で達哉たつやがそうしたように、雅臣まさおみ紗雪さゆきも記憶をたぐり寄せようと思考を巡らせた。その結果、朝川あさかわ家のリビングは沈黙で覆われている。

 妙にじっとりとした晩夏の空気が、沈黙とともに三人を包んでいた。


 何を考えるでもなく二人の言葉を待っていた達哉は、ふいにふわりと揺れるカーテンを視界の隅にとらえた。エアコンを付けている割には蒸し暑いと感じていたが、その原因を見つけて合点がいく。

「またか」と思って、少しだけ開いている窓に手をかけたところで、雅臣の声が聞こえた。そのまま窓から手を離して、雅臣の方を向く。

 外から吹き込むぬるい風を受けて再びカーテンが揺れた。


「ダメだ!! 全然思い出せない……。ねぇ、たっちゃん。どうして大野さんがリンちゃんだと思ったのか教えてくれるかな?」


夏菜子かなこが、さ……」


 思いがけない名前が出てきたことで、雅臣は少しばかり驚いていた。過去に夏菜子からの告白を断っている手前、何となくばつが悪いのだ。


「かなちゃんが? かなちゃんが、どうかしたの?」


 とはいえ、実際には夏菜子の告白を受けた日から、随分と時間が経っている。

 仲良し四人組が疎遠になってからは、当然のようにその名前を聞くことも姿を見ることもなかったため、記憶の中の夏菜子はかなりおぼろげなものとなっていた。夏菜子に対するリアリティは罪悪感とともに薄れている。


「夏菜子の前で、ボソッとリンの名前を出したことがあるんだよ。そしたら夏菜子のやつが、「大野さんがどうかしたのか? 大野さんに告られたんでしょ?」って、大野って名前を出してきて……」


「それで、リンちゃんの苗字が『大野』なんじゃないか。リンちゃんは、たっちゃんに告白した大野さんなんじゃないかって思ったってこと?」


 尋問するように迫る雅臣にやや圧倒されながら、達哉はうなずく。


「だって、変じゃない? 夏菜子はリンって名前を聞いて、なぜか大野を思い浮かべたんだよ? 聞き間違えるってレベルじゃないし……」


 達哉は、言い訳をするように早口になる。

 達哉が、リンの苗字が大野なのではないかと思うのは、理屈ではなかった。直観に似た感覚によるものだ。

 もちろん、夏菜子の発言が決め手にはなっているが、自身が持つどこかで会ったことがあるような感覚と、リン自信が主張する『仲良し《五》人組』というものが達哉の直観を補強している。


「まぁ、たしかに変かも……。それで、たっちゃんは、かなちゃんに確かめたの? つまり、大野さんの名前はリンで……もっと言うと、僕らが秘密基地で会った子がたっちゃんに告白した『大野リン』なのかってことをさ」


「いや、それが……そのあとすぐに喧嘩になっちゃって……。それどころじゃなくなっちゃったんだよね」


 申し訳なさそうに小声で話す達哉に、二人から思わず苦笑いが漏れる。


「たっちゃんとかなちゃん、仲悪かったもんね~。私は一人っ子だから、妹って羨ましかったけど。かなちゃんのことは妹みたいに思ってたし……。う~ん……やっぱり、妹っていうよりは同い年のお友達……かも?」


 少し考えてから言いなおす。

 紗雪の言うとおり、紗雪と夏菜子は仲が良かった。仲良し四人組が疎遠になってからも、紗雪と夏菜子は時々遊びに出かけたり、ランチを共にしたりしている。そんなことを達哉は知る由もなかった。


「全然分からないんだけど、兄妹ってそんなにいがみ合うものなの?」


「いや……。僕にも妹がいるけど、比較的仲が良いほうだと思うよ。まぁ、うちは年が離れてるから喧嘩にすらならないだけかもしれないけど」


 心底不思議そうな紗雪に雅臣が大まじめに答える。

 達哉と夏菜子の仲が悪いのは年子ということもあるだろうが、それ以上に二人の性格によるところが大きい。特に夏菜子の方が負けず嫌いで気が強いため、達哉に限らず相手が誰であれお構いなく自分の意見を主張するようなところがある。


「そっか。兄妹によるんだね」


 どこかホッとしたような紗雪は、そう呟いて妙案を思いついたとばかりに手を打った。


「せっかくたっちゃんの家にいるんだし、かなちゃんに訊いちゃえばいいんだよ」


「夏菜子のやつ。今はいないと思うよ。さっきどこかに出かけて行ったから」


 紗雪の妙案は、達哉によってあっさりと打ち砕かれる。


「そっかぁ。じゃあ、確かめようがないね」


 紗雪は残念そうに呟く。リンの正体に迫るチャンスを逃したこともそうだが、そういうものを抜きにして、単純に夏菜子に会いたいという気持ちも含まれていた。


「確かめるまでもなく、俺は間違いないと思うんだよね。だから、リンには注意した方がいいと思う」


 達哉は声を潜める。誰に聞かれたくないと言うわけではないが、なんとなくの気分でそうしていた。達哉がそうするものだから紗雪と雅臣も自然と声を潜め、顔を近づける。


「注意って、何に注意すればいいの?」


「う〜ん……。とりあえず、こうちゃんにはあまり近づけない方がいいんじゃないかな?」


 雅臣の疑問に迷いながら答える。


「そうだね。用心して損はないかもね」


 達哉の答えに一応の納得をした雅臣は力強く頷いた。対して、紗雪はいまいち達哉の言うことが信じられないでいる。


「ねぇ……。本当にリンちゃんがこうちゃんをいじめてるのかな? リンちゃんは本当にたっちゃんとまさくんが言う、大野さんなのかな……?」


「あたしは、大野じゃないよ」


 紗雪の疑問に答えたのは聞き覚えのある少女の声だった。


 三人は驚いて声のする方を見る。いつからいたのか、そこにはリンが寂しげな表情を浮かべて立っていた。視線を集めたリンは、気まずそうに頬を掻く。


「みんな、何やってるの? 秘密基地でこうちゃんが待ってるよ」


 外と内の境目にあるカーテンが、音もなく一度だけ大きく揺れた。

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