第12話 異変
朝のホームルームが終わるのと同時に、
本当は、すぐにでも向かいたかったのだが、達哉とリンが軍曹に捕まってしまったため出遅れることとなった。教室を出たのは、休み時間が半分くらい過ぎてからのことだった。
四人は着いて早々に教室を覗き込んで、
「あれ? こうちゃん……いないね」
「ちょっと、君。いい? こうちゃん……
「えっ? 戸倉くん……? たしか、普通に来てたと思うけど……」
リンに捕まった女子が、戸惑いながらも教えてくれる。
「今いないみたいだけど、どこ行ったか分かる?」
「ごめん。分かんない」
リンが続けざまに尋ねると、何かに怯えるように短く答え、足早に四人の前から去ってしまった。リンはさらに追及しようと、手を伸ばすが届かない。宙ぶらりんになった手をあげて、そのままお手上げのポーズを取る。
リンの動作を見届けてから、紗雪が口を開いた。
「おかしいな~。たしかこの後は、始業式だよね?」
「そうだね。……たぶん。長期休み明けの初日は、だいたい始業式をやって、すぐ帰れるんじゃなかったっけ? 始業式くらいしかやらなかったと思うけど……」
首をひねる紗雪に、
「シギョウシキって、なんだっけ?」
ふいに思いもしない角度からの疑問が投げかけられる。その場にいる誰もが当然にクリアしているはずの疑問。
投げたのはリンだ。
三人は「えっ!?」と驚きの声を上げた。十年前の記憶をたどらなければならない三人でさえ、始業式がなんであるかくらいは覚えている。それなのに、現役の小学五年生であるリンがそれを知らないという。
「始業式っていうのは……。学期の始めにやる集会みたいなものだよ……って、リンちゃんまさか知らないの!?」
「あ~!! 集会ね。それなら分かる! 知ってる、知ってる!! うん、うん。集会、楽しいよね」
「た、楽しいか? 暑い中、ずっと立ってなきゃいけないし。そんな中で校長先生の無駄に長い話を聞かされたり……。割と大変だった記憶しかないけど……」
「うん。私もあれを楽しいと思ったことはないかなぁ」
雅臣と紗雪はリンの言葉に困惑の表情を浮かべる。
「あれ? そうだっけ? あははは。夏は、そうだった……かも?」
リンは誤魔化すように乾いた笑い声をあげた。
「そういや、毎年、倒れちゃう人いたよな? あれ、今思えば相当ヤバいと思うわ。今の時代にやってたら保護者が黙ってないんじゃない?」
達哉は懐かしむように言った。リンのおかしな言葉に疑問を持たなかったわけではないが、懐かしさが勝る。
大人数が嫌々集まって、暑い中誰かの話を延々と聞かされる体験など義務教育以降、味わっていない。達哉たちにとっては、もちろん嫌な記憶ではあったが、少しだけセンチメンタルな気分にさせる記憶でもあった。
ただ、それでもリンだけは、達哉たちの懐かしさを打ち消すようにピントのずれたことを口にしていた。
「……でも、集会って、普通は夜にやるもんじゃないの?」
あまりにも意味の分からない発言だったため、三人は何と答えていいか分からずに沈黙する。楽しいかどうかは個人の主観によるが、夜にやるというのはリンが何か別のものをイメージしているとしか思えない。そこにあるなんとも言えない気持ち悪さは、困惑よりも、恐怖の感情の方をより強く三人に抱かせた。
そうこうしているうちに休み時間の終わりを告げるチャイムが鳴る。教室に戻るのが遅くなると、あの恐ろしい軍曹の怒りが待っている。達哉は軍曹の鬼のような表情を思い出して身震いした。恐怖の感情がそちらに移行する。
「……とりあえず、教室にもどろうか」
達哉の言葉に反対する者はいない。四人がその場から離れようというとき、紗雪が呟いた。
「あれ……。こうちゃん……? だよね?」
言葉の内容から考えれば、もう少し歓喜の色を含んでいても良さそうであるが、その声音は低く、疑念に満ちていた。
「本当だ。こうちゃんだね。でも……。なんか、様子が変だ」
紗雪に言われてそちらに目を向けると、廊下の向こうから弘大が顔を俯かせてこちらに向かって歩いてくるのが見えた。チャイムが鳴っているにも関わらず、急ぐそぶりはない。教室にたどり着こうが着くまいがどうでもいい、という様子で一定のペースのまま足を動かしていた。
弘大は、四人のすぐそばまで来ても顔を上げることはなかった。
「こう……ちゃん……?」
恐る恐るかけた紗雪の声に無反応のまま、弘大は顔を上げない。聞こえていないかのようだ。しかし、比較的静かな廊下。その上、至近距離だ。聞こえていないわけがない。明らかな異変だった。
弘大から感じる異変に、達哉も雅臣も声をかけることができずにいる中、リンが「スゥーーー」と音をたてて大きく息を吸い込んだ。
「こうちゃんっ!!!!」
どこか違う世界に行ってしまっている弘大をこちらの世界に呼びもどそうと、リンは、窓が震えるほどの大声で弘大のあだ名を呼んだ。
さすがの弘大もリンの大声にビクッと大きく体を震わせ、ようやく顔を上げる。しかし、弘大は、虚ろな目で達哉たち四人を一瞥しただけで、そのまま何も言わずに自分の教室に入ってしまった。
弘大の予想外の反応に、四人はなすすべがなかった。誰一人声を発することができず、教室で下を向いて座る弘大を眺めることしかできない。
そんな四人の前を弘大と同じクラスと思しき女子が駆け抜ける。その女子は、達哉と目が合うと、かすかに微笑んでみせた。達哉は、照れくさいような、気まずいような、なんとも言えないものを感じて慌てて目を剃らす。
それが合図となって、四人は自分たちの教室に戻り始めた。
教室に戻るまで誰一人、言葉を発することはなかった。
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