第11話 夏休みの宿題

 達哉たつやは、十年前の自分を恨んでいた。


 自分でもだらしがない小学生だとは思っていたが、よもやここまでとは……。自分のことながら情けないし、腹が立つ。


 当然のことながら、小学生の夏休みには宿題がある。中身が大人である達哉は、そのことをすっかり忘れていた。

 宿題にプール。海に出かけることもあったし、早起きをしてカブトムシを捕りに山に入ることもあった。子供の頃の夏休みは特別なものだったのに、いつのころからか、達哉にとっての夏休みは、特別な意味を持たないものとなっていた。


 なぎさに言われて、慌てて宿題の束を確認すると、そのほとんどが手つかずのまま放置されていた。

 一晩かけて必死で取り組んだが、結局、すべてを終わらせることができないまま朝を迎えていた。


「そういや、俺って夏休みの宿題は終わり間際の二、三日で必死になってやってたな……」


 絶望的な状況の中、眠い目をこすりながら一人言葉をもらす。


 間違いなく担任の先生にこっぴどく叱られる。思い出すまでもなく分かることだ。

 小学五年生当時の達哉の担任は、『軍曹』とあだ名される女の先生だった。そのあだ名のとおり軍曹は、決してにこやかに笑うことはなく、クラス内の規律を何よりも重んじる。平たく言ってしまえば、とても怖い先生だ。

 達哉は、かつて授業中に机の下に隠し持った漫画本を読んでいるのがバレて、平手打ちをくらったことがある。もちろん、悪いのは達哉なのだが、それにしても行為と罰が釣り合っていないと子どもながらに思った。


 懐かしく恐ろしい軍曹の顔を思い出すと、教室が軍事訓練場のように感じられた。


「あれ? もしかしてたっちゃん。宿題終わってないの?」


 達哉の言葉を聞きつけて、紗雪さゆきが首を傾げた。達哉は無言でうなずく。


「あちゃ〜。そういえばたっちゃんって、夏休みの終わり頃になると決まってうちに来て、絵日記見せてくれって言ってたもんね。どうせ毎日同じことしてただろって」


 懐かしむ紗雪を、達哉は恨めしそうに見る。


「そう言うさっちゃんは、宿題終わってるの?」


「うん。昨日、そういえば!! って思い出して慌てて確認したんだけど、無事終わってた。いや〜、十年前の私、えらいね!!」


「さっちゃんは、いいなぁ〜。まさか、大人になってまで夏休みの宿題で怯えることになるとは思わなかったよ……」


「五年生の時の担任って……たしか……」


「……軍曹」


「げっっ!! なんていうか……ご愁傷さま」


 うなだれる達哉の背中に、優しく手を置く紗雪。大人になっても、幼い頃に染み付いた恐怖心はなかなか拭い去れない。達也の心中は、察するに余り有る。

 その紗雪の横から、雅臣まさおみが顔を覗かせた。


「聞こえたよ。やっぱりか〜。たっちゃん、宿題やってないんだね? 僕がもうちょっと早く思い出してたら手伝えたのに……。今朝、家を出る直前に思い出したよ。ごめんね」


 謝る雅臣も当然に宿題は片付けている。その表情は心底申し訳なさそうだ。それは、紗雪も同じだった。


 勉強があまり得意ではなく、また、ズボラな達哉は、毎年夏休みの宿題の処理を友達に頼っていた。ほぼ、やってもらっていたといってもいい。友達というのはもちろん、雅臣、紗雪と、それから弘大こうだいの三人だ。

 それぞれに役割があって、勉強が得意な雅臣は、ドリルなどの学習課題。几帳面で真面目な紗雪は、絵日記。手先が器用な弘大は、自由工作をそれぞれ担当していた。


「いや、二人のせいじゃないよ。十年前の俺が悪いんだ」


「たっちゃん、十年前っていうのはやめておこう。僕たちがタイムスリップしてることは、内緒にしておいたほうがいいよ」


「それもそうだね。ごめん。それにしても、自分の宿題なのにみんなに頼るって……。今思うと頭おかしいよ」


 よくも嫌われずに、みんなとつるんでいられたもんだと思う。達哉の方から与えられるものはない。もしかしたら、みんなに嫌われてたんじゃないか、という考えが達哉の頭に浮かんだ。

 当時は全く考えもしなかったことだ。思い返してみても、みんなに嫌われていたということはないように思える。みんな本音で語り合える仲だったはずだ。だからこそ、仲良し四人組だったのだ。

 しかし、それでも仲良し四人組はバラバラになった。達也の知らないところで他の三人は交流していたのかもしれないが、少なくとも達哉は、三人と離れてしまった。

 その理由を達哉はあまり考えたことがない。ただ、漠然と、進学をきっかけに緩やかに疎遠になったのだと理解していた。自分が嫌われたから三人が離れていった、と考えたことはなかったし、そんなことが起こるはずはないと根拠なく信じていた。


 本当にそうなのだろうか。

 当時、何か四人がバラバラになるようなことがあったのでないか。少なくとも、自分が三人と離れなければならない事情があったのではないか。

 そんな疑問がにわかに、そして容赦なく達哉に迫った。


 不安に駆られて顔を上げると、心配そうな雅臣と紗雪の顔が映る。目の前の二人が、自分を嫌っているとは思えない。

 しかし、二人とも達也と同じように中身は大人なのだ。嫌いな気持ちを偽ることくらいできるだろう。もしかしたら、心配そうな顔の裏で達也をあざ笑っているのかもしれない。

 不意に浮かんだよくない考えを、達哉は慌てて振り払った。


「そういえばさ、こうちゃんはどうしてるかな?」


 気持ちを切り替えようと別の話題を口にする。


「こうちゃんだけクラスが違うもんね。それに、なんだかこうちゃんは、本当に昔のこうちゃんみたいになっちゃってたし、少し心配だよね」


 紗雪は、達也に向けたのと同じ表情で弘大のことを思いやる。その表情を見て、達哉は少しだけ安心した。


「たしかにね。ムキムキなイカつい姿で現れたときは、結構頼もしい感じだったのに……。性格までがっちりしたっていうかさ。とりあえず、朝のホームルームが終わったら、こうちゃんの教室に行ってみようか」


「賛成っ!!!!」


 達也と紗雪が答えるよりも早く、元気で大きな声が二人の後方から響いた。大きく手を挙げて、一度だけピョンと跳ねる。その拍子に首飾りの鈴がリンッと鳴った。

 達哉と紗雪が振り返ると、リンが三人に向かって満面の笑みを浮かべていた。

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