第6話 弘大の指輪

 翌日、約束どおり秘密基地に集まったのは、リンを除く四人だけだった。


 もう八月も下旬に差し掛かるというのに、秘密基地の中は蒸し風呂のように暑い。昔の夏はいくらか涼しかったと記憶していた四人だったが、記憶違いだったことを身をもって思い知らされる。


 茹だるような暑さの中、しばらく待ってみても、リンは現れなかった。


 四人は、リンが来ないならば逆に好都合だと、お互いの考えや記憶をすり合わせることにした。なにしろ、達哉たつやの突然の発言によって、四人の認識は微妙にずれてしまっている。


「俺、やっぱり、リンとはどこかで会ってる気がする。昨日、みんなと別れてからずっと考えてたんだ。考えすぎて、母さんが若くなってるとか、家が少し綺麗だとか、全然気にならないくらいだった。タイムスリップしてることは、もう受け入れてるよ。俺はね」


 三人は、達哉の言いたいことがいまいち読めず、曖昧にゆっくりとうなずく。


 それぞれが、前日、秘密基地を後にしてからのことを思い出す。


 雅臣まさおみは、みんなと別れた後、一人暮らしをしている築三年のマンションへ向かっていた。入社してすぐ、会社からいくつか渡された社宅候補の中から選んだマンション。実家からそれほど離れてはいないが、雅臣なりに自立を試みた結果の一人暮らしだ。

 だが、いつも雅臣が帰宅していた場所にマンションはなく、雑草が生い茂った古い民家が建っていた。


 弘大こうだいは、母親と姉と三人で暮らす実家に帰った。そこには、五年前に亡くなったはずの父親がいた。弘大に大工になる道を示してくれた強くて寡黙な父親。

 弘大は、嬉しさと驚きのあまり言葉を失った。


 紗雪さゆきは、自分が勤める美容室に寄ってみた。どうしてもそこで働きたいと思い、憧れた美容室だ。

 そこにあったのは、たしかに紗雪の働く美容室だったが、知った顔はオーナーだけだった。しかし、そのオーナーは、紗雪のことを知らなかった。当然だ。働き始める前に何度か通いはしたが、それは高校生になってからのことだ。オーナーは、十歳の紗雪を知らない。


 達哉も他の三人も、タイムスリップをした現実は、昨夜のうちにとっくに受け入れていた。しかし、捉え方はそれぞれ微妙に違う。

 達哉と弘大は、概ね好意的に捉えている。一方で紗雪と雅臣はネガティブな印象を持っていた。


「みんなどう思う? 俺はこのまま、もう一回人生をやりなおしてもいいと思ってるんだけど」


 達哉の率直な意見に、真っ先に反論したのは雅臣だった。


「ちょっと待ってよ! たっちゃんは、元の時代に戻れなくてもいいってこと?」


「そういうことになるかな。戻る方法も分からないし、それならここで生き直すしかなくない?」


 達哉の意見はもっともだが、雅臣はそれを簡単に受け入れることができない。


「それはそうだけど……。僕は戻る努力をしたい。小学五年生以降に出会った大事な人だって、たくさんいるんだよ。その中には、偶然としか言いようのない出会いをした人もいる。その人たちと、もう一度出会えるか分からないし……」


「俺には、そんなもんいないよ」


 短く感情を殺したように達哉がつぶやく。


「たっちゃん……。変わっちゃったね。僕たちのリーダーだったたっちゃんは、そんな風に言わなかったよ」


「十年も経ってんだ。人は変わるよ」


「二人とも喧嘩はやめて。私もどっちかって言うと元の生活に戻りたいけど……。それは、戻る方法が分かってから考えればいいかな? って。戻るにしても、このまま暮らすにしても、私たちの記憶と違うところは、はっきりさせておいた方がいいんじゃない?」


 一気に雰囲気が悪くなった二人の間に紗雪が慌てて割って入る。達哉と雅臣を交互に見ながら言い聞かせるように言葉をつないだ。


「それもそう……かな? さっちゃんの言うとおり、このまま暮らすなら違和感なく溶け込まないといけないし……」


「僕も賛成。戻る鍵は、僕たちの記憶にあるような気がする」


「記憶もそうだけど、私は、やっぱりリンちゃんが、何か重要なものを握ってると思うの」


 紗雪は、大きな喧嘩にならなかったことにほっとする。

 達哉と雅臣も、できれば喧嘩などしたくない。そんな二人にとって、紗雪の行動はありがたかった。

 内心で紗雪に感謝をしつつ、達哉は「記憶」と「リン」という言葉を聞いて思い出したことを口にする。


「なぁ、みんな。リンの他にもさ、何かを忘れているって気がしたりしない? ……俺はさ、子供の姿に戻った時から、ずっと何かを忘れている気がしててさ……」


 それがリンのことなのか、他の何かなのか、達哉にもはっきりとしたことは分からない。ただ、漠然とということだけが確かなこととして認識できる。


「俺はたっちゃんの言ってること、分かる気がする。それに、この姿に戻ってから、あの頃の自分に戻りつつあるんだよね」


 心なしか柔らかく、おっとりした口調になった弘大は、目玉をぐるぐると動かしながら頭のてっぺんに手を当てた。


「それっ!!」


 弘大を見て、紗雪がビシッと指をさす。


「こうちゃんの癖だね。考えるときは、いっつもやってた。……って、あれ? でも、何か違うような……」


 指をさしながらも紗雪は、懐かしい弘大の仕草にどこか違和感を覚えた。


「ねぇ、みんな。こうちゃんのあの癖って、あれだけだっけ?」


 漠然とした紗雪の質問に三人は、顔を見合わせる。ややあって雅臣の顔が、次第に何かを思い出したように明るくなった。


「さっちゃんの言うとおりだよ!! こうちゃん、いつも指輪してたよね!? それをしたまま頭を叩くものだから、いつも「いてっ!!」って言ってたじゃん! そこまでで、ワンセットみたいな」


「そうだ、そうだ!! 懐かしいなぁ。みんなして忘れるなんてね」


 いつになく興奮気味に話す雅臣の言葉を聞いて、達哉も思い出す。さっきまで喧嘩になりかけていた二人とは思えないほど和気あいあいと盛り上がる。


「言われてみれば……。俺、小学生のくせに指輪してたね。思い出したから分かるけど、あれすっごく大切にしてたんだよ。それで……」


 そこで唐突に弘大の言葉が詰まる。


「こうちゃん?」


 心配そうにのぞき込む紗雪の声で我に返った弘大は、声を震わせた。


「思い出した……。俺、指輪を無くしたんだよ。たぶん、今ぐらいの時期。夏休みに」


「そうだっけ? それでどうしたんだっけ?」


 達哉に訊かれた弘大は、すぐさま首を振る。


「たぶん、それっきり。あの指輪、父ちゃんにもらったやつなのに……」


「無くしたって……もしかして、いじめ……が関係してるのかな?」


 今度は紗雪が尋ねる。弘大は、それにも首を振った。


「それも分かんない。肝心の指輪のことだって、さっき急に思い出しただけだし……」


「まぁまぁ。少しずつ色々思い出そうよ。俺だって、色々忘れてるもん。こうちゃんだけじゃないよ」


 落ち込む弘大を達哉がわざと明るい声で励ます。


「……たっちゃん、ごめん。ありがとう。実は、指輪の他に、もう一つ思い出したことがあるんだけど……」


 達哉の脇で弘大が、遠慮がちに手をあげる。イカつい弘大は、気弱でいじめられっ子だった弘大に戻りつつあった。


「いじめの主犯ていうか……俺をいじめてた子の名前って……。リンとか、そんな名前じゃなかった?」


 思わぬ弘大の言葉に、三人は一斉に顔を見合わせた。

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