第5話 ひぐらしの鳴く声

 日が暮れようとしている。

 真夏の太陽は、地平線の向こう側に隠れつつあったが、それでも容赦なく秘密基地までその熱を伝えていた。

 いつの間に鳴き始めたのか、どこからともなくカナカナカナとひぐらしの鳴く声がする。それに呼応するように、リンッと鈴が鳴った。


 猫の模様をかたどったリンの首飾りには、小さな鈴が付いている。その鈴が不意に持ち上げられることで、涼し気な音を鳴らす。


「ほら、可愛いでしょ? 猫ちゃん」


 無邪気に笑うリンに、四人は呆気に取られた。

 達哉たつや紗雪さゆきの鬼気迫る様子も、リンには伝わらなかったようだ。小学五年生だというリンの年齢を考えれば、無理もない。


「あれ? みんなどうしたの? これ、可愛くない?」


 誰も反応を示さないため、少しだけ怪訝な表情を浮かべる。しかし、それも一瞬のことで


「あ、そっか!! きっと、もうすぐ六時の鐘が鳴るもんね。そろそろ帰らないといけないよね」


 と、思いついたように言って、表情を切り替えた。


 数秒後にはリンの予告どおり、街中まちじゅうに設置されたスピーカーから、ひぐらしの鳴き声を掻き消すように童謡『故郷』が流れる。


 見た目に反して中身が大人の四人は、リンの言葉の意味がすぐには分からなかった。ややあって、ようやく紗雪が気付く。


「あっ……。そうか。門限……。私たち、小学生の頃って、六時の鐘が鳴ったら帰ってきなさいって家の人に言われてたよね」


 それを聞いて、残りの三人も思い出す。

 いつの間にか門限とは無縁の生活を送っていた。どこか懐かしい思いが、それぞれの胸に込み上げる。


「さっちゃん!! 小学生の頃って……。みんな今、小学生だよ」


 リンは可笑しそうに吹き出す口元を隠しながら、それと反対の手のひらを振って紗雪にツッコミを入れた。四人には到底笑えないツッコミだ。

 なんとも言えない微妙な空気を察したのか、リンは一度咳払いをする。


「なんか、今日のみんなは本当におかしいね。あたしだけ、ずぅっと除け者みたい。寂しいなぁ」


 言葉とは裏腹に、平坦な口調でリンはつぶやく。


「夏休みも、もうすぐ終わっちゃうんだよ? みんなで思い出たくさん作ろうって約束したじゃん」


 四人に背中を向けて、石ころを遠くに蹴り飛ばす。それに驚いた山鳥が一羽、藪の中から飛び出した。リンは分かりやすくいじけている。


 そんな約束を、少なくともリンとは交わした覚えのない四人は、答えあぐねてしまう。

 それでも、自分たちよりもずっと年下の少女の純粋な想いを無碍にはできない、と各々が感じていた。

 四人は大人だ。小学五年生の頃と違って、時には嘘をつく必要があることを、それぞれが大人になる過程で学んでいた。


「そうだったな。ごめん、ごめん! なんか、俺たち今日は、本当に調子が悪いみたいでさぁ……。リンちゃんを嫌な気持ちにさせちゃったかなぁ?」


 先陣を切った弘大のわざとらしい猫撫で声を誤魔化すように、紗雪と雅臣が続く。


「今日は暑かったからねぇ〜。私からも、本当にごめんね! リンちゃん! カワイイ猫ちゃんのペンダントを見せてくれてありがとう。いいなぁ、私もママに買ってもらおうかなぁ」


「僕も。なんだが、いつもの調子が出ないな。でも、リンちゃんを除け者になんかしてないよ。僕たち仲良し人組! そうだよね?」


 三人の言葉を聞き終えて、ようやくリンはゆっくりと振り向いた。


 リンの目がまっすぐ達哉を捉える。達哉は、その目に何とも言えない既視感を覚えた。ついさっきまで、三人と同じようにリンを慰めようと思っていたのに、上手く言葉が出てこない。


「たっちゃんは? たっちゃんは何もないの?」


「リン……。俺とお前は、どこかで会ってないか?」


 妙な既視感に包まれたまま、無意識のうちに出た言葉に達哉自身も驚く。他の三人と違って、なぜか自然とリンを呼び捨てにしていた。


「たっちゃん! たっちゃんが、一番重症みたいだねぇ。どこかで会ってないか? って? 今、会ってるじゃないのさ」


 リンはさっき紗雪にしたのと同じポーズで、今度は達哉にツッコミを入れる。見ようによっては手招きをしているようだ。


「いや、そういうのじゃなくて……。ここでこうして会う前から、俺はリンのことを知ってる気がするんだ」


 共通認識を持っていると思っていた三人は、達哉の言葉に戸惑った。おかしくなったんじゃないか、と疑いの目を向ける。


「何言ってるの? あたしたち仲良し五人組でしょ? 結成は、だいぶ前だよ? 前から知ってるに決まってるよ。……からかってるなら怒るからね!」


 ぷくぅっと頬を膨らますリンは、本気で怒っているわけではない。その証拠に膨らませた頬とは裏腹に、隠しきれない笑みで目尻に皺が寄っている。

 自分が怒って見せることで、達哉が慌てることを期待している。しかし、達哉が期待した反応を示さないと分かると、すぐに頬を萎め、今度は眉を下げて心配そうに達哉を見た。


「たっちゃん……。本当に大丈夫? 今日は六時の鐘も鳴ったし、もう帰ろ?    

明日、またみんなで集まろうよ。ね?」


「あ、あぁ……。うん、そうだね。そうしようか」


 自分よりも十歳は年下の少女に促され、達哉は、そう答えるしかなかった。


 リンと以前どこかで会ったような気がする。それは確かなのだが、いつ、どこでなのか、さっぱり思い出すことができなかった。

 達哉と他の三人は、どこかスッキリとしないモヤモヤと不安を抱えたまま、リンと共に秘密基地を後にする。


 達哉が家に着く頃には、ひぐらしの鳴き声が止み、短い夏の夜が訪れていた。

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