第58話 完

 宝物を壊してしまわないように丁寧に封筒を開けていく。中から現れた便せんは二つに折り畳まれていた。それを開くと、丸っこくてかわいらしい文字がぎっしり書かれている。所々字が薄かったり、よれてしまっているのが、その時の夏花の状態を表していた。


 それを見るだけでも俺の瞳からは涙がこぼれ落ちそうになる。便せんが濡れてしまわないように慌てて上を向き、近くにあるティッシュで涙を拭きベッドに横たわってから便せんの文字を目で追う、


『アキ君へ

 最後の手紙が届いて嬉しく思うよ。この手紙を読むアキ君が元気に過ごせているかが心配で、心配でどうしようもない気持ちだよ。

 アキ君が会いに来てくれたのに起きていなくてごめんね。いつも私に会いに来てくれたのに一緒にデートも出来なくてごめんね。本当はいっぱいアキ君に手料理を食べて貰いたかったのに何も作ってあげられなくてごめんね。付き合ったのに一度も恋人らしいことが出来なくてごめんね。


 本当はいっぱい予定があったの、打ち上げって言う口実であの日は二人で海に行きたかったし、ちゃんとお弁当も作っていこうって張り切っていたの。あの時は、まだ、アキ君の気持ちを知らなかったけれど、デートだと思って舞い上がっちゃっていたんだよ。きっとアキ君は気が付いてなかっただろうけれどね。


 こうやって、書いていくと幾ら便せんがあっても足りないし、謝ってばかりで時間を使うのは勿体ないからこれで終わり。ここからは彼女としてお説教です』


 一枚の便せんはここで終わっていた。封筒に入っていたのは、3枚の便せん。1枚目は夏花の「ごめんね」が多く散りばめられていた。そのひとつひとつを胸に刻み、飲み込むために優しく便せんを折りたたむ。


 俺は夏花にもっとしてあげることがあったはずだ。俺が勇気を出して再会して、すぐに気持ちを打ち明けていたら、もっと沢山の時間を二人で過ごすことが出来たはずだ。


 二枚目の便せんを手に取りながら脳内で後悔を更に積み上げていく。二枚目は説教が書いてあるらしい。いままで、夏花には怒られたことがないから、怒ったときはどんな声音なのかも知らないし、もう知ることは出来ない。


『もしも、アキ君が今まで通りに生活が出来ているなら飛ばしてね。これは彼女からのお節介です』


 二枚目の出だしで俺のこの有様を予想されていることに、少しだけ笑ってしまう。


「どこまで世話を焼いてくれるんだよ」


 時計の針が時を刻む音しかしない一人の部屋に自分の声が響く。きっとこの瞬間の声はここ最近で一番穏やかな物になったと思う。一呼吸置いてから再び文字を追い始める。


『私はもう居ないよ。どれだけ目を背けてもアキ君がいる世界には居ないよ。だから、止まらないでね。私達はきっと当分は再会できない。もしも、アキ君が自分の意志でこっちに来ようとしたのなら、絶対に許さないから! 心を鬼にして再会を無視するから。アキ君は目指すものがあるはずでしょう? 今ならきっと応援してくれる人が周りにいるはずだよ。目指すべき姿になるためには、アキ君は止まっている暇はないんだよ。


 だから、前を向くこと。後ろを見ても私はいない。苦しいことも辛いこともいっぱいこれから経験すると思うの。そんな時に近くで背中を支えてあげることは出来ないけど、何があってもアキ君の絵を好きになった私の気持ちは揺るがない。安心して突き進んでね。アキ君の人生を。


 しっかりご飯を食べてね。チョココロネばっかりじゃダメだよ。

 周りに目を向けてみてよ。きっとアキ君が思っているより優しさに溢れているから。

 悲しさは吐き出してみてよ。私のせいでアキ君は悲しんでしまっているかな?

 だとしたら嬉しいよ。それだけ、私を思っていてくれたんだね。ありがとう。

 だけど、暗い気持ちはここで終わろうね。一人で考えるのは今日で最後にしようね。


 説教はこれで最後だよ。

 私は幸せなアキ君の人生を見たいから、ちゃんと、気持ちの整理が出来たら、彼女を作ること!』


 夏花の説教は優しさに溢れているから、あまり説教という感じがしない物だった。もっと俺の悪いところを書き連ねられていると不安ではあったけれど、最後まで俺の心配してくれていたことが伝わる。


「こんな姿は見せられないな……」


 まるで魔法でも使ったのかと思うほど的確に俺のことを先読みしている手紙にもあまり驚かなくなってきた。夏花はそれほどまでに俺のことを見てくれていたのだから、きっと天国でも俺のことを見守ってくれているのだろう。悲しみに浸り続けて心配を掛けてしまわないように歩きだそう。そうして、いつか胸を張って再会できるように。


 まだ一枚残っている便せんを広げる。最後に残してくれた一枚。歩き出す心の整理は出来た。夏花の顔と声を思い浮かべて丸く可愛らしい文字を読む。



『最後に

 これで終わりだよ。私の夢を覚えているかな? 小学二年生の時に発表したこと。

 叶いっこないって思われていたと思うんだ。あの頃は小学生の非現実的な夢だとどこかで思っていた。自分の身体のことを少し理解していたからね。『運命の人』なんて相手を苦しめるだけだって、私は普通には生きられないから。


 でもね、夢に直向きなアキ君がいたことを知っていた。絵を描く姿が輝いて見えたの。だから、いつもアキ君の絵に釘付けになっていた。心のどこかで自分の夢を諦めようとしている私に勇気をくれた。頑張ってみようって思えたよ。


 転校したのはね。夢を叶えるためだった。少しでも長く生きるため。病気を良くする可能性に賭けてアキ君とのお別れを選んだ。小学生の私は長く生きることに夢を叶える可能性があると信じていた。1日でも長く生きていれば私の夢は叶うって思っていたけどね。間違いだったの。


 私は転校先の学校でもそれなりに上手くやっていたし、友達だっていたけど……。そこには、光がなかったんだ。どれだけ時間を共にしてもアキ君みたいに輝いて見える人はいなかった。


 それでね、私は気が付いたの『運命の人』っているんだってね。その日からはアキ君が描いてくれた絵を思い出す日々が続いた。すぐにでも会いたい。また絵を描く姿を見たい。気持ちは抑えることが出来なかったよ。

 長く生きることを選んで、お別れを告げた自分の選択を疑って、それは間違いだってすぐに気がついたよ。だから、お母さん達にお願いしたんだよね。『私の夢を叶えるために戻りたい。それを諦めて、生きることに意味は無い。自分の人生だから』って、自分の寿命が縮むことへの恐怖は全くなかったよ。


 私は夢が全部叶ったの。お父さんのお手伝いで花屋さんもやったし、榊原秋博君という私の運命の人に出会うことが出来たからね。


 もう満足だよ……。これ以上を望むのは贅沢だよ……。そう言い聞かせてもね。涙が止まらないや……。

 もっと生きていたかったな……』


 最後の文字の部分だけ紙に水滴が落ちた跡が残されているのが分かる。泣いている夏花の姿を見たのは、転校することをクラスに伝えたときだけだ。やっぱりもっといろんな表情が見てみたかったな。怒っている顔も泣いている顔も……。


 全てを読み終えたかと思っていたが、手紙はまだ続いている。最後の内容を読み上げた後。再び涙が溢れ、一人しかいない部屋で大きな声を上げて泣いた。


『アキ君。約束を守ってくれてありがとう。とても素敵な絵だったよ。

 これからはアキ君が夢を叶える番。私はアキ君のファン1号だから、どこに行っても見ているからね。


 それじゃあ、いってきます!

 七森夏花』


 大切な手紙を丁寧に元に戻す。手は震えるし、涙は今だって止まらない。震える声で大きく叫ぶ。きっと今も見てくれている夏花に向けて。


「ありがとう! いってらっしゃい!」


 さようならとは書かれていなかった。俺達は少しの間、別の世界を生きるだけ、再会できるその日まで。




 ==========

 夏花からの手紙を読んだ次の日から俺は学校に行けるようになった。完全に立ち直っているわけでもないし、登校して隣の席が空席なのを見ると傷口をえぐられるような痛みが走りはしたが、なんとか乗り切って放課後を迎えていた。


「深冬先生! 進路調査票を書き直しても良いですか?」


 久々に登校してやることはもう決めていた。これまでの自分はもう居ない。今の俺は応援してくれている人達の期待に応えるためにも夢を追う。


 理由もなく書いた進学はもう俺の進路ではない。だからこうして、この決意を伝えるために放課後の職員室に来て深冬先生に頭を下げている。


「あら、やっぱりね」


 深冬先生は全てを分かっていたかのように、机に備え付けられている引き出しから、クタクタによれていて少し破れている進路調査票を手渡してくれた。ボロボロの進路調査票を受け取り、進学の前に新たに夢をその場で記入する。


『画家になるために進学』


 夢を追うために足り無いものをあげていたらきりがない。だから、これまで以上に学んで行かなければいけない。その第一歩を今日踏み出した。


「やっぱり夢があるって素晴らしいことよね。私は応援しますよ。これからはもっと頑張らないといけませんね。数学以外も」


 書き直した進路調査票はその場で深冬先生に渡すと、先生は夢を否定することもなく応援してくれた。受け取った紙を引き出しにしまいながら、深冬先生はぽつりと呟く。


「これで、きっと彼女も安心できるわね」


 彼女とは夏花のことだろう。その言葉に俺は大きく頷いてから、お礼を言って職員室を後にした。



 一人で家に帰るのはこれまでも変わりはないけれど、その景色は一週間ぶりだからか全部が違った景色に見える。色の鮮やかさが全然違う、これまでは、半分目を閉じていたのかと思えるほどに世界が鮮やかだった。


「うわぁ~! キレイ!」


 ふと聞こえた子供の声に視線を向ける。そこには、いつもの公園でシャボン玉をしているいつもの子供達がいた。


 その光景に足を止め、無数に現れるシャボン玉を目で追う。空に昇るのを眺めると丁度空には橙に輝く夕焼けが待っていた。その輝きに目を薄めて反らす。


「魔法の効果は絶大だね」


 ぽつりとつぶやき、止めた足は未来に向かって歩き出した。










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魔法のシャボン玉 土竜健太朗 @moguraken1130

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