第13/13話 ボトム・オブ・ヒル

 巒華は、その後も、ディセンダーを、南に向かって走らせ続けた。辺りは、緩やかな下り斜面となっていた。そして、十数秒が経過したところで、建物が見えてきた。

 それは、東西に長い直方体のような見た目をしていた。手前側に面している外壁には、落書きが描かれている。それは、「DOWNHILLRAID」と記されているように認識できた。

「HILL」と「RAID」の間には、裏口が位置している。そこには、両開き式の扉が設けられており、今は、それは閉ざされていた。

「今、ぼくたちは、ぼくが以前、仙汕団に監禁されていた、製材所の敷地内にいるみたいだね」嶺治が、ぼそり、と呟いた。「いつの間にか、こんな所にまで来ていたのか」

 巒華は、助手席に視線を遣った。彼は、後部空間から取り出したレベラーを、膝の上に載せて、上面を開いていた。

「ご主人さま! 爆発まで、あと──」

「二十九秒!」

 巒華は「貸してください!」と叫ぶと、返事も待たずに、嶺治からレベラーをひったくった。上面を、ばたん、と閉めると、運転席の足下に、置く。アクセルペダルの手前へと移動させると、それを、踏み込んだままの状態にした。

「ご主人さま! 『リターナー』を使います! ご準備を!」

 巒華は、そう言いながら、運転席と助手席の間を通って、後部空間へと移動した。バックドアの所まで行くと、それを、げしっ、と蹴りつける。

 ばきっ、という音を立てて、扉は吹っ飛んだ。風が、外から吹き込んできて、彼女のツインテールを揺らした。

 巒華は、くるっ、と右横を向いた。そこに置いてある物に被せられているシーツを、両手で、がしっ、と掴む。

 間髪入れずに、腕を動かして、それを、ばさっ、と取り去った。ディセンダーの外へ、ぽい、と投げ捨てる。

 そこからは、オートバイが現れた。「リターナー」という名前の車種だ。フロントタイヤは、車両の後部へと向けられている。

 巒華は、それの運転席に跨った。直後、後部空間へと移動してきた嶺治が、半ばジャンプするようにして、背中にしがみついてきた。その後、彼は、手を伸ばすと、足下に置かれていたリュックサックを拾い、背負った。

「行きます!」

 巒華は、そう叫ぶと、床を、だっ、と蹴りつけた。リターナーを、勢いよく前進させる。

 そのまま、ディセンダーの後部から、宙へと飛び出した。数瞬後、フロントタイヤが、さらに一瞬後、リアタイヤが、どし、どしっ、と着地した。

 直後に、巒華は、急ブレーキをかけた。ブレーキレバーを、グリップにくっつきそうなほど、強く握り締め、ブレーキペダルを、底まで踏み込む。ざざざざざ、という音を立てて、リターナーの速度が、落ち始めた。

 しかし、すぐに、タイヤロックが引き起こされた。彼女は、両足を、ステップやペダルから離すと、地面に、どしっ、と突っ張った。パンプスの底が激しく擦れ始め、ざざざざざ、という音を立てた。

 そのおかげで、引き続き、リターナーは減速していった。このまま、完全に停めてやる。巒華は、そう考えた。

 だが、簡単には行かなかった。数秒後、オートバイは、泥地に突っ込み、時計回りに、ゆっくりとスピンし始めたのだ。

「ぬう……!」巒華はフロントタイヤを睨みつけた。

 リターナーが回るのを止めたいが、下手に力を入れると、かえって体勢が悪化し、転倒してしまうかもしれない。そうならないよう、バランスを保つことで、精一杯だった。さいわい、スピンしながらも、スピード自体は、下がっていっていた。

 しばらくして、オートバイは、完全に停止した。それは、スピンの角度が、約百八十度に達した頃だった。

 ばっ、と顔を上げ、前方に視線を遣った。その直後、無人で走り続けるディセンダーが、どがしゃあ、と、製材所の中央棟に設けられている裏口の扉を、突き破り、中へと入っていった。

 一秒弱の間があった。

 どおおおお、という音が轟き始めた。同時に、中央棟の、壁が、屋根が、段ボール細工のように破け、吹っ飛んだ。それらを押し退けるようにして、内側から、赤色や橙色、黄色などといった、さまざまな色をした爆炎が広がりだした。

 ごごごごご、と地面が揺れた。両足に力を込め、転倒しないよう、踏ん張る。

 巒華は、両手で鼓膜を塞いでいた。その直後、熱風が押し寄せてきた。彼女は、顔を俯かせ、両目を閉じた。

「くう……!」

 腰の後ろあたりに、ぎゅうう、と柔らかい物が圧されている感覚があった。嶺治が、熱風を浴びないよう、顔を押しつけてきているに違いなかった。

 しばらくして、轟音や熱風、地響きは収まった。巒華は、両手を耳から離すと、両目を開けながら、顔を上げた。

 中央棟は、文字どおり、全壊していた。柱や壁の下部といった骨組みが、かろうじて、わずかに残っている。しかし、それ以外については、まさしく粉々になって、地面に散乱していた。

「成功だね」背後から、嶺治の声が聞こえてきた。「レベラーの爆発を、建物が吹っ飛ぶ程度に、抑えられた」

「ええ」巒華は、ふう、と短く息を吐いた。「安堵に浸りたいところですが……このまま、ここにいては、仙汕団の兵士たちが、やってきてしまうかもしれません。レベラーは、始末できたわけですから、早いところ、自宅に戻りましょう」

「そうだね……でも、その前に、ヘルメットを被らないと」

 そう言うと、嶺治はリターナーから降りた。背負っていたリュックサックを、地面に下ろす。ファスナーを、じいい、と開けた。

 彼は、中から、ハーフヘルメットを二つ、取り出した。そのうちの大きいほうを、巒華に渡してきた。

 彼女は、それを受け取ると、頭に装着した。嶺治も、残りの、小さいほうを被っている。

 嶺治は、再び、リターナーの運転席に跨ると、巒華の背中にしがみついた。彼女は、アクセルグリップを捻ると、車両を発進させた。

 巒華は、オートバイを運転して、製材所の敷地内を通り抜けると、贔艫自動車道に入った。峯岸家を目指して、走りだす。

 しばらくしたところで、交差点の赤信号に引っかかった。リターナーを停めると、右足を路面につけ、体勢を整えた。

「……ねえ、巒華」後ろから、嶺治の声が聞こえてきた。「ありがとう。きみのおかげで、レベラーの、大規模な爆発を──ひいては、翡瑠山の消滅を、防ぐことができた」

 巒華は、ふふ、と微笑んだ。「いえいえ。ご主人さまのためですから」と返事をする。

「さて……残る問題は、嵯峨グループだね。今回、翡瑠山を消滅させる、という目的は、達成できなかったわけだけれど……別に、チャンスは一回きり、ってわけじゃない。仙汕団の所有しているコンピューターには、ぼくが、レベラーの開発において作成した成果物が、残っているし……仮に、それらを削除したところで、もう一度、ぼくを、拉致しようとするかもしれない」

「何か、手はあるのですか?」

「もちろんだよ」顔は見えないが、声の調子から、嶺治は、笑みを浮かべていることだろう。「だいいち、翡瑠山うんぬんを抜きにしても、ぼくは、嵯峨グループのことを、嫌悪しているよ。仙汕団のやつらに、拉致されるわ、監禁されるわ……今日に至っては、追いかけ回され、命を狙われたわけだし。何かしら、仕返ししてやらないと、気が済まない」

「そうですねえ……」

 しかし、どうやって仕返しするのですか。そう訊こうとしたが、その前に、信号が青になったので、巒華は、リターナーを発進させた。


 翡瑠山を消滅の危機より救ってから、一ヵ月が経過した。

 巒華は、仙汕団が、再度、嶺治を拉致するために、峯岸家を攻めてきても、対抗できるよう、各種の警備システムの警戒度を、最大値に設定しておいた。そのおかげか、今に至るまで、彼らが襲ってくるようなことは、なかった。

 その日、彼女は、キッチンの壁に取りつけられている小型テレビに映し出されているニュースをBGMとしながら、夕食を作っていた。しかし、番組が、「嵯峨グループ会長である嵯峨崚輔が拉致された」という旨を報じた時は、さすがに、手を止め、ディスプレイを凝視した。

 番組によると、彼は、仕事中、車で移動している時に、謎の武装集団に襲われ、そのまま拉致されたらしい。現在、犯行グループからは、何の連絡もない、とのことだった。

 しばらくすると、CMが始まったので、巒華は、夕食作りを再開した。しばらくして、完了する。器に、料理を盛りつけると、ダイニングテーブルの上に並べた。

 その後、嶺治と食事をとっている最中、彼女は、さきほどの報道の件を、話題に出した。「ご主人さま。さきほど、テレビのニュースで知ったのですがね。嵯峨崚輔が、武装集団に拉致されたそうです」

「ああ……もう、報道されたんだね。ま、いわゆる、仕返しってやつだよ」

「やはり、そうでしたか……しかし、よく、武装集団なんて、手配できましたね?」

「君も知っているやつらさ。嵯峨崚輔を拉致したのは──仙汕団だ」

 巒華は両目を見開いた。「何ですって……」

「仙汕団の幹部たちのうち、信用できるやつらに、教えてやったんだ。『峯岸嶺治を拉致して、レベラーを開発させたり、それを使って、翡瑠山を消滅させようとしたりしたのは、すべて、とある幹部たちが、嵯峨グループから、金で依頼を受け、やったことだ』って。該当者たちの、実名付きでね。ああ、それから、『そいつらや、嵯峨グループは、まだ山にいた兵士たち、もろとも、翡瑠山を消滅させるつもりだった』ってことも、伝えてあげたな。

 そしたら──まあ、当たり前だけど──その幹部たち、怒り狂ってね。特に、仙汕団は資本主義には反対しているにもかかわらず、企業集団から依頼を受けた、というのが、許せなかったらしい。その日のうちに、該当者たちを、えげつなく処刑したんだ。

 その後、ぼくが、お金を払ったら、嵯峨を拉致してほしい、っていう依頼も、承諾してくれたよ。ぼく個人は、資本主義とは、何も関係がないから、団の行動理念には反しない、って判断したんだろう」

「そうだったのですか」巒華は両目を元の大きさに戻した。

「ああ、あと、仙汕団のコンピューターシステムは、すでに、ハッキングしているからね。後で、やつらに監禁されている時に作成した、レベラーに関する成果物を、すべて、削除するつもりだ。設計図とか、プログラムとか。

 別に、仙汕団としては、『レベラーを使わなければならない』っていう事情があるわけじゃない。今後、何らかの用事のために、武器を調達する時は、レベラーという特殊な爆弾を金も時間もかけて開発する、なんてことはせずに、別の、もっと安く、短時間で手に入るような物を買うだろう。ぼくも、もう、拉致されることはない、ってわけさ」

「なるほどです」巒華は、うんうん、と頷いた。

「仙汕団のやつらは、嵯峨を、惨たらしく殺してやりたい、って言ってたけれど……それは、やめさせたよ。仕返しとしても、やり過ぎだ、って」

「そうなのですか。しかし……でしたら、今、嵯峨は、どうなっているんです?」

「別に、彼自身には、何もしていないよ。もう、監禁状態からは、解放されているはずだ。

 今頃は、目を覚ましていて、彷徨っているかもしれないね。辺りに、人里も、救助を呼ぶ手段も、いっさい存在しない、深い山の中を。それに、嵯峨は、あの国の言葉、話せないだろうしね……」


   〈了〉

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