第12/13話 ダウンヒル:レイド②

「食らいやがれ、です!」

 巒華は、ハンドルを、めいっぱい右に回した。セダンの左側面に、がつん、と体当たりを食らわせる。

 相手の車両は、右によろめいた。水の抵抗のせいか、その度合いは、あまり大きくなかった。ドライバーは、すぐさま、進行方向を、まっすぐに戻そうとした。

 次の瞬間、ばしゃあんっ、という、ひときわ大きな水音が鳴り響いた。同時に、セダンの前部が、ボンネットまで水没した。

 どうやら、川の、深くなっている所に嵌まってしまったらしい。相手の車両は、そのまま動かなくなった。

「やりました!」巒華は喜色満面となった。

 しばらくして、砂利浜に着いた。そこを通り過ぎ、陸に上がる。

 その後は、さらに北へと走り始めた。しばらくしてから、ちら、とバックミラーに視線を遣った。

 セダンたちのうち、ほとんどは、川の中で、走行不能となっていた。深くなっている所に嵌まってしまった車両もいれば、ディセンダーと同じルートを通ったにもかかわらず、SUVほどの走破能力を有していないためか、動かなくなってしまった車両もいた。

 しかし、三台だけ、渡河に成功していた。それらは、すでに陸に上がっていて、巒華たちを追いかけてきていた。

「あと、三台ですか……」彼女は、そう呟くと、フロントウインドウに視線を戻した。

 思わず、声を上げそうになった。地面が、数十メートル先で、途切れているように見えたからだ。

「違う。途切れているわけじゃない」助手席にいる嶺治が喋りだした。「さっき、スマホの地図アプリで、確認した。この先は、勾配七十度ほどの、急斜面となっているんだ。……いや。垂直でないだけで、崖、と形容しても、差し支えないかな」

「ぬう……!」巒華は、眉を寄せた。

 彼女は、きょろきょろ、と辺りを見回した。東西に向かって走っていくことはできないか、と思ったのだ。

 しかし、その案は、却下せざるを得なかった。東側には、木々が、密集して立ち並んでいた。あれでは、車両がつっかえてしまう。

 西側には、さまざまなサイズの石が、ごろごろ、と地面に転がっていた。小さい物で二十センチ、大きい物で一メートル強はある。あれらの上を乗り越えながら走るのは、いくらディセンダーでも不可能だろう。

「爆発まで、あと五分を切った!」嶺治が叫んだ。「それまでに、あと、せめて、現在位置より二十メートル以上は、低地へ移動しないと……」

「ぐ……!」巒華は渋い顔をした。

 彼女は、行く手を、よく観察した。今、ディセンダーが走っている地面は、勾配五度ほどの、下り斜面となっている。それと崖との境目は、三メートルほどにわたって、曲面のようになっていた。

「なら──こうするしかないってわけですね!」

 巒華は、ディセンダーを減速させ始めた。仙汕団の車両たちとの距離が、みるみるうちに縮まっていった。

 やがて、先頭にいるセダンの前面と、ディセンダーの背面との距離が、十メートルを切った。セダンの後部座席に付いている窓のうち、巒華たちから見て左側に位置している物から、中年の女性兵士が、身を乗り出していた。彼女は、右肩にロケットランチャーを担いでおり、砲口を巒華たちに向けていた。

 間髪入れずに、彼女は引き金を引いた。どおん、という音がして、弾が発射された。

 しかし、ロケットは、ディセンダーの屋根の上を通り過ぎていった。それが放たれた瞬間、巒華たちの車両は、下り斜面と崖との境目を通り過ぎ、本格的に、崖へと進入したからだ。

「ぎゃああああ──」

 そんな、兵士の悲鳴が、後ろから聞こえてきた。さきほど、集団の先頭にいたセダンは、下り斜面の終端が近づいてきていたにもかかわらず、明らかに、スピードを落としていなかった。崖に気づいていなかったのか、それとも、どんどん迫ってくるディセンダーの背面に、目が眩んでしまったのか。いずれにせよ、そのまま、崖の縁から、宙に飛び出してしまったに違いなかった。

「う……!」

 巒華は思わず、唸り声を上げた。ディセンダーは、崖の表面を駆け下り始めた。タイヤは、四輪とも、しっかりと、崖に接している。そのため、かろうじて、落ちてはいない。

 体が、重力により、インストルメントパネルのほうへと引っ張られていた。ペダルのある空間に置いてある脚を踏ん張り、ハンドルを握っている腕を突っ張る。それにより、なんとか、シートに座り続けられていた。

「これだけの高さの崖なら、地面にさえ下りられれば、レベラーの爆発の威力は、なんとか、山全体を巻き込まない程度に、抑えられるはずだよ」嶺治が、尋常でない状態に陥っているというのに、尋常であるかのような調子の声で、そう言った。

 巒華は、バックミラーに視線を遣った。仙汕団のセダンが、二台、彼女らと同じようにして、崖を駆け下り、追いかけてきていた。

 次の瞬間、先頭にいる一台が、急加速した。みるみるうちに、ディセンダーとの距離が詰まっていく。あっという間に、SUVの右隣を、並走し始めた。

「ぬぐう……!」巒華は唇を曲げた。

 彼女は、運転席側のウインドウ越しにセダンを見つつ、体当たりしてやろうか、と考えた。しかし、こんな崖の途中なんかで、ラムアタックを食らわせようとしたら、車両のバランスが崩れてしまうのではないか。最悪、転げ落ち始める可能性だってある。いったい、どうすれば。

 しかし、それらの懸念は、すべて、杞憂に終わった。突然、どがしゃあ、という音とともに、セダンが、視界から消えたからだ。

 運転席側のサイドミラーに、視線を遣った。崖の途中に、角錐台のような形をした、大きな出っ張りがあった。相手の車両は、それに衝突し、クラッシュしていた。

「助かりました……!」巒華は破顔した。

 しかし、そう喜んでもいられなかった。現在位置より数十メートル前方において、崖の表面から、木が、垂直に生えていることに気づいたためだ。

 幹は、直径三十センチほど。体当たりすれば、なんとか、折られるだろうが、ディセンダーも、無傷とはいかないだろう。運が悪ければ、巒華たちも、何らかの怪我を負ってしまうかもしれない。

「任せてよ!」

 嶺治の声が、左方から聞こえた。そちらに、視線を向ける。

 彼は、助手席側のウインドウから、身を乗り出していた。左肩に、ロケットランチャーを担いでいる。砲口は、木に向けられていた。

「ていっ!」

 嶺治は、引き金を引いた。どおん、という音がして、ロケットが発射された。

 それは、宙をまっすぐに飛んでいくと、木の根元に命中した。どかあん、という音とともに、弾が当たった部分が、爆ぜ、折れた。

 木の上部は、衝撃により、崖の表面から一メートルほど離れ、その状態のまま、地面めがけて落ち始めた。ディセンダーは、崖の表面から突き出している、木の下部の真上を、通り過ぎた。その後、車両は、落ちていっている木の上部にぶつかり、ばきっ、と、それを撥ね飛ばした。

「やりました……!」巒華はガッツポーズをしたくなった。

 彼女は、あらためて、ディセンダーの進んでいく方向に視線を遣った。しばらく進んだ所に、地面があった。それと、崖とは、直線的に交差している。このまま、駆け下り続けた場合、車両は、地面に衝突し、クラッシュしてしまうだろう。

「く……!」巒華は眉を釣り上げた。

 彼女は、きょろきょろ、と辺りを見回した。何か、打開策はないか、探す。

 あった。崖と地面との境目のうち、ディセンダーの行く手より、やや左方に離れたあたり。そこだけは、直線的に交差しておらず、曲面のようになっていて、崖の表面と地面とを繋げている。あそこに進入すれば、クラッシュすることなく、地面へ移れるだろう。

「よしっ……!」

 巒華は、ハンドルを、大きく、かつ、慎重に、左に切った。車両のバランスが崩れないよう、気をつけながら、進行方向を変える。そのまま、曲面部分に向かって、走り始めた。

 しかし、注意は報われなかった。旋回してから、しばらくして、左右のフロントタイヤが、宙に浮いた。さらに、それから、〇・一秒も経たないうちに、左右のリアタイヤも、宙に浮いた。

 ディセンダーが、落下し始めた。

「むぐぐ……!」巒華は、歯を食い縛った。

 数秒後、車両は、崖と地面との境目に突っ込んだ。

 さいわいなことに、ディセンダーは、落ちながらも、崖と地面との境目のうち、曲面になっている部分へ移動することに成功していた。まず、左右のフロントタイヤが、そこに、どしどしっ、と、ぶつかった。それから間もなくして、リアタイヤも、どどしっ、と着地した。

 そのまま、曲面上を、突き進む。体が、下方へ、ぐぐーっ、と押さえつけられた。巒華は思わず、「うう……」と小さく唸った。

 右方から、どがしゃあ、という音が聞こえてきた。そちらに、視線を遣る。仙汕団のセダンが一台、崖と地面との境目のうち、直線的に交差している部分において、地面に衝突し、クラッシュしているのが見えた。

 やがて、ディセンダーは、曲面になっている部分を抜けた。地面の上を、走り始める。

 一瞬後、背後から、ばがしゃあごがしゃあ、という音が聞こえてきた。バックミラーに、視線を遣る。

 仙汕団のセダンが二台、ぐちゃぐちゃになった状態で、辺りに転がっていた。崖の縁から飛び出したやつと、崖の途中にあった出っ張りに衝突したやつに違いなかった。

「はああー……」

 巒華は、長い安堵の溜め息を吐いた。これで、ディセンダーめがけて走ってきていた、仙汕団の車両は、三台とも、クラッシュした。追っ手は、もう、いなくなったはずだ。

 そこまで考えた次の瞬間、地面に転がっているセダンたちのうち一台から、兵士が、まろび出てきた。思わず、身構える。

 しかし、すぐに、緊張を解いた。その兵士は、文字どおり、火達磨になっていたからだ。彼あるいは彼女がいた車両は、炎上していた。

 燃え盛る兵士は、セダンから、数歩、よろよろり、と離れた後、地面に、ばったり、と倒れ、そのまま動かなくなった。その人物以外に、クラッシュしたセダンから出てくる者は、いなかった。

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