32.「孫子」第十三章・用間篇/2

 スパイ(間者)には五つの種類があります。

 敵国民から直接情報を得る「郷間」。

 相手の支配層に取り入って役人から聞き出す「内間」。

 敵のスパイをあえて引き入れて偽情報を攫ませたり、あるいは捕らえて二重スパイに仕立て上げる「反間」。

 決死の覚悟で潜り込み、捕まった上で拷問に屈したと思わせて、偽情報をもっともらしく語る「死間」。

 決死の覚悟なのは変わりませんが、捕まりそうであれば必死で逃げて、つまびらかな情報を手に入れて帰還するよう厳命した「生間」。

 これら五つの情報筋や攪乱元を駆使することで、敵情の正しい内容がつかめ、また、相手には偽情報を攫ませるなど、情報のコントロールが可能です。

 情報を正しく攫んで相手には嘘を教える――そのような情報戦を行える人材は貴重です。国の宝として充分に評価することに越したことはありません。


◇◇◇


 ゆえにスパイには、普通の者よりもうんと報酬を弾みましょう。

 そして使う時は、身内にすらそのことを伝えない。

 味方を騙すわけではありませんが、敵方のスパイがどこにいるか、あるいは身内の誰が相手に通じているか分かりません。また、そのような者がいなくても、うっかり誰かが漏らしてしまえばそれまでです。ゆえにヒミツにヒミツを重ねて、スパイを使っているということを気取らせないのが重要です。


 そして彼らの心理には常に心を配ること。

 充分な手当をはずみ、彼らに後ろ暗いことをさせる大義名分がなければ、スパイを使うことはできません。納得させることも難しいでしょう。


 さらに、その情報の取り扱いには充分気をつけること。

 そこに隠された真実を見抜く力や、情報の間隙を埋める思考、複数の情報を照らし合わせて正しいものを浮かび上がらせる形、などの絶妙かつ微妙な思考ができなければ、彼らの情報は正しく活かされず、総合的に見て正確な情報を見抜くことはできないでしょう。


 そして自分だけが把握し、公式に確認もされていないのにどこかからそのヒミツが漏れた、みたいなことがあれば、どこかから情報が漏洩しています。

 その場合は、スパイと、その情報を広言していた人物をそれぞれ呼び寄せて、死罪にすべきです。漏洩をした者など二度と使えませんし、情報(機密)とはそれほど大切なものであり、また人の命に匹敵するほどに重要なものなのです。


◇◇◇


 敵軍や襲撃対象、あるいは暗殺すべしと判断した重要人物については、側近や門番など、身近な者から聞き出すのが一番手っ取り早く、正確です。まずはそうした人物の姓名などを徹底的に調べ上げ、次いでスパイにそれらの人物を探らせます。


 仮にこちらの方へ敵のスパイが入り込んでいる――と分かった場合は、いきなり彼らを捕まえるような真似はさせず、逆利用すべきです。たとえば偽情報を攫ませるとか、あるいは買収して二重スパイに仕立て上げます。いわゆる「反間」の活用です。

 「反間」を役立てられるからこそに、「郷間(敵国民の活用)」や「内間(役人の諜報)」の情報が際立ちます。何が嘘か何がまことか、そうしたことを総合的に判断できるようになります。

 情報の齟齬があればどこかで何かが違っている、あるいは「反間」が嘘をついている証左になりますし、そういったことを読み取ることも可能になるのです。


 殷の国が興ることができたのは、伊尹という人物が(殷の前にあった)夏の国に入り込んで、正確な情報を送り続けてきたからこそです。

 同様に商の国が興ることができたのは、「国王を釣った」のエピソードで有名な太公望呂尚がやはり殷の情報を正確に攫んで、それを充分に活かしたからです。


 そうした過去の実例からも学べるように、立派な君主(文官)や将軍は、非常にこのスパイや諜報員の存在を大切にします。

 それは、正しい情報を攫むために人心の把握にたけて、またその虚実を見抜く力があったからです。


 情報は人であり、人は情報である。

 そしてその情報が国情、国勢や戦争の帰趨を左右する。

 そういうことを理解してこそ、スパイの存在する意義があります。

 ゆえに彼らの扱いには、慎重に慎重を期すべきだというのが、孫子の述べるところです。


(「孫子」完)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

現代エッセイ風翻訳で読む「孫子」 富士敬司郎 @fujik5963

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ