11.「孫子」第五章・兵勢篇/2

 奇と正の組み合わせは、時に「勢い(兵勢)」を呼びます。

 自分たちはただ翻弄するだけ、相手はただただ翻弄されるだけ、といった、「止められない動き」あるいは「流れ」というものが、人と人の組み合わせでしかない「軍隊」の中に生まれるのです。


 この「動き」「流れ」というものは、言うはたやすいですが、効果は絶大です。

 実際に、川の流れは、人がやっと持ち上げられるような岩をもごろごろと動かします。また、猛禽類はでかい獲物を一撃で死へ追いやります。

 「本来ならば動きそうにないものを動かす力」が「勢(せい=いきおい)」です。

 「普段はそういう力を出さないけど、ここぞ、という節目で一気に力を解放する力」が「節(せつ=ふしめ)」です。


 戦争上手はこの「勢」と「節」を使い分けるのが非常に巧みです。

 本来であれば打ち砕けない筈の防備を打ち抜き、あるいは本来であれば禦げない筈の攻撃を届かせてしまうのは、ここぞとばかりの「動き(節)」と「流れ(勢)」の力です。それは漫然と戦っていては決して出し得ないものです。

 「流れ(勢)」が照準を合わせる(あるいは弓をつがえる)滑らかな動作だとすれば、「動き(節)」はそのトリガーを引き放つ一連の動き。どちらがより大事でどちらがより大事でない、といった区別はありません。両方を組み合わせて卓越した射撃を可能にせしめるような『全体的な動き』こそが、正法と奇法の組み合わせの妙です。


◇◇◇


 「乱は治に生じ、怯(きょう)は勇に生じ、弱は強に生ず」と孫子は言っています。

 どういうことかと言うと、一般的に、きっかけは突然、しかも対照的なものから生まれる、ということです。

 混乱と安定、勇敢と恐怖、軟弱と精強は、一見対照的に見えますが、実はそれぞれ同じものの裏表でしかありません。

 安定しているものをよく見ると混乱のタネが隠れているかも知れませんし、勇気の中にも付け入る恐怖があるかも知れない。精強の中にもここを突けば一気に崩れるぞ、という弱点が隠れている可能性は充分あるのです。

 基本的に、安定か混乱かは、部隊の動きで分かります。

 同じように、勇敢な戦いか恐怖で戦っているかも、戦いの流れをよく観察すると分かります。

 さらに、精強の中の弱点は、陣形をよく見れば分かります。

 要は、観察と、その分析なのです。

 全く正反対の要素の中に、付け入る隙がある、もしくは突破口が見える、というのは戦いの基本です。

 ですから、相手が安定、勇敢、精強であっても恐るるには足りません。

 ちょっとしたきっかけで、混乱、恐怖、弱兵に化ける可能性は充分にあるのです。


 相手の戦い方を崩すのは、いわゆる「詐術」です。

 すなわち、わざと隙を見せたり、もしくはここに突破口があるぞ、と見せかけたり――。

 「わざと」なので、実はその正体は正反対のそれです。

 たとえば弱点と見せかけた中に最強の精兵を混ぜていたり、あるいはここが取れるぞという隙(に見えるもの)の中に一番の罠を仕掛けていたり。

 どちらにしても言えることは、敵はこちらの弱点や隙に応じて出てくるということです。軍を動かすメリットがあれば、相手がよほど慎重すぎる戦いでもしていない限り、だいたいは乗ってきます。

 こちらはその裏をかくのです。

 相手が裏の裏をかいてくれば、こちらは裏の裏の裏をかく。

 すなわち、騙し合いです。


◇◇◇


 戦争上手と言える人は、現場の人材には頼りません。

 そんなものは、戦いの形、あるいは勢いを作り出せば、いくらでも望んだ通りに動くのです。

 大事なのは、「そうせねばならない状況を作り出す」こと。

 つまり木石が傾斜地に置けばそのままゴロゴロと底へ向かって転がっていくように、そう動かざるを得ない状況を作り出すのです。たとえそれが四角い石でも同じです。動きにくい、となれば、「どうやっても動きたくなる勢い」を作り出せばいいのです。

 それは一つのマネジメント。

 方針なり勢いなりを生み出すパワーと知恵の賜物です。

 マネジメントがうまく行けば、急斜面にボールを置いてみるが如しです。

 そうした瞬間に、ボールは谷底へ向かって猛然と転がっていくことになりましょう。

 孫子が「兵勢」、すなわち勢いや、それを生み出す軍形にこだわるのは、ひとえにその勢いは万難隠すところがあるからです。

 勢いに委せるのはいい加減なイメージがありますが、実は無視できない力があります。

 大事なのは、それをわざと作り出せるか作り出せないか、充分にコントロールできるかできないか、の問題なのです。

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