エピローグ

エピローグ:奇跡に非ず





 神奈川県大会決勝を制した北雷には、いつもの日常がなかなか帰って来なかった。

 まず週明けの全校朝会の場で全員が登壇し、全校生徒の前で成績発表が行われた。これまで校内で大して目立つ部活ではなかった男子バレー部の突然の全国大会出場決定に、全校生徒が驚愕した。神嶋はその日の朝に慌てて考えた即席のスピーチをさせられ、

「何をするにもうちの高校は突然すぎる。計画性がない」

 と悪態をついた。

 この日の放課後、顧問の間宮宛てにスポーツ雑誌と高校スポーツ専門誌、バレーボール雑誌から取材の申し込みがそれぞれ一件ずつ入った。

「来年以降も考えて取材を受けることにした。特別なことは必要ないが、先方からの要望でユニフォームで写真を撮らせてほしいって話だ。一回目の取材は一週間後。高校スポーツ専門誌の『High School』だってさ。お前ら、ゲーパン忘れんなよ」

 設楽からそう通達が来た数秒後、浮かれた声が旧体育館に響いた。


 最初の取材の前日、部活の最中に珍しく間宮が旧体育館に現れた。一体何かと休憩中の部員一同が首を傾げていると、彼はパソコンを触っている海堂の肩を叩く。

「海堂さん、プレゼントです。どうぞ」

「プレゼントですか」

「ええ。少し早めのクリスマスプレゼントということで。費用は部費の余りから出しました」

「ありがとうございます」

 微笑む間宮は、紙袋を渡した。一年生達がわらわらと海堂に群がり、プレゼントの正体を見極めようとする。海堂の手が紙袋に差し込まれ、ビニール袋に覆われた何かに触れる。柔らかいものを持ち上げ、袋から取り出し、海堂は小さく息を飲んだ。

「ユニフォーム?」

「だな」

「どう見てもウチのだよね」

「いや、でもこれ番号が」

「ああ、ホントだ。背番号が……」

 群がっていた一年生達がそう口にすると、今度は二年生達も集まってきた。

「何だよ、見せろよ」

「ユニフォーム? 何で?」

「ていうかいつの間に?」

「そんなの作る話なんかあったか?」

「さあ知らない」

 それぞれが勝手なことを言う中で、一人動いていない人影がある。スクイズボトルを手に持った神嶋は、設楽の横で取材の打ち合わせ内容を確認していた。

 周りの話し声を聞きながら、海堂はじっとユニフォームを見つめている。ビニール袋を持つ手が、僅かに震えていた。ユニフォームは黒い生地で、両の脇腹部分と袖に黄色いラインが稲妻のように走る。背中と腹部には背番号がラインと同色で入れられていた。その番号は「0」。

「先生、これはユニフォーム……、ですよね」

 海堂の問いに、間宮は笑顔を崩さず答える。

「そうですよ。取材のときにどうせなら全員で揃えた方が見栄えがいいと思いますので、という話をされて、私も賛成したんです。なので、ユニフォームを作った会社に無理を言って一週間で作っていただきました」

「誰がそんなことを言ったんですか?」

「神嶋君です」

 全員の視線が神嶋に集まった。設楽の横で水分補給をしていた彼は、仲間の目線から逃げるように顔を背ける。

「直志、見られてんぞ」

 揶揄うように小突かれ、神嶋は顔をしかめた。諦めたように仲間の方に振り向き、棘のある言葉を投げつける。

「おい、そんなに俺を見てどうするんだ?」

「神嶋~、お前こんなことできたんだな」

「……海堂だけユニフォームが無いなんて、どう考えてもおかしいだろう」

 スクイズボトルの蓋を閉める。それから、不満げに言葉を紡いだ。

「勿論、ユニフォームは選手が着るものだ。試合にも使う服だから、対外的にはマネージャーで、実際はアナリストの海堂が着ているのは他のチームからすればおかしな話だと思う。だが、それは他のチームの考え方であって、俺達北雷の考え方とは違う」

 神嶋の声に迷いは無い。

「海堂は、どこの誰が何と言おうと俺達と一緒に試合を乗り切っている。俺達ではできない役目を果たしている。俺達と同じくらい、もしかしたら俺達よりもバレーに対して真剣に向き合っている。肩を並べて戦うことこそできなくても、海堂は俺達の戦友だ。俺はそう思っているし、このことに関してはどこの誰にも文句は言わせない。誰かに何か言われたら、俺がソイツの横っ面に一発入れてやる」

 きっぱりと言い切り、神嶋は海堂の目を見る。

「外に写真が出回るなら、たとえ伝わらなくてもそれを示したい。だから先生に頼んで、無理を言ってもらった。海堂、ありがとう。春高でも頼むぞ」

 海堂の返事はない。代わりに、ビニール袋を抱きしめる小さな音がその場に残った。



 翌日の放課後、体育館に集まった一同は落ち着きがなかった。特に、一年生がそわそわしている。二年生はそんな後輩を揶揄ってはいるものの、滅多にないイベントに興味津々と言った様子だった。一方で、設楽、海堂、神嶋の三人はさすがに慣れていた。緊張も興奮もないようで、普段と何も変わらない。

 約束の時間になると、カメラマンとインタビュアーの二人組がやって来た。どちらも女で、背格好がどことなく似ている。カメラマンは堀内、インタビュアーは後藤と名乗った。最初に写真を撮り、それが終わるとインタビューという流れである。主に応答するのは神嶋と能登の二人にすると決めていたため、残りのメンバーはそれを聞いているような形になる。

「優勝おめでとうございます」

 パイプ椅子に腰掛けた後藤は、まずそう言って口火を切った。

「ありがとうございます」

 彼女の正面に座した神嶋と能登に続き、後ろに控える全員が食い気味に挨拶する。後藤は笑いながら録音を始め、ペンと手帳を片手に話し出す。

「それでは早速始めますね。今回の優勝は、まさに奇跡のような快挙でした。その勝利を手にした過程についてぜひ詳しく……」

 本格的にインタビューが始まろうとした瞬間、割り込む声があった。

「お言葉ですが、奇跡ではありません」

 声の主は海堂だった。想定外の中断を受け、後藤の頬が引きつる。しかし、それを気にする海堂ではない。

「私達が手に入れた春高への切符は、私達が積んだ研鑽と、かけた時間と、重ねた苦労に対する正当な報酬です。奇跡という薄っペらな言葉で表現されると、気分が悪いです」

 海堂の冷たい声と眼差しが後藤に注がれる。火野が止めようとしてその肩に手を掛けるが、海堂は止まらなかった。

「私達に対しても失礼ですが、同時に緋欧や三浦国際など、対戦相手だった人達にも礼を失した発言かと思います。後藤さんがスポーツ専門誌の記者を生業とされているのであれば、少々ご自身の言葉選びについて考え直されるべきではないでしょうか」

 全てを言い切り、海堂は満足げに口を閉じる。後藤は唖然として言葉を忘れ、体育館の中は文字通り凍り付いていた。その沈黙を壊したのは火野だった。彼は海堂の頭を押さえつけるように前に倒し、裏返った声を張り上げる。

「後藤さん、すいません! ホントにすいません! コイツこういうヤツなんです! おい海堂、お前も謝れよ!」

「嫌だ。私は間違ってない。悪いのはあの人でしょ。私が謝る理由は一つも無い」

「あの人は仕事でやってんだよ。邪魔したら悪いだろ」

 高尾にも諭されるが、海堂は折れなかった。

「でも嫌なことを言われた。嫌なことは嫌って言わないと誰も分かってくれない」

「いちいち突っかかって、毎回喧嘩する方が面倒だよ。嫌味を言うくらいにしておきなって。そのくらいなら僕も手伝うから」

 涼がそう言うと、長谷川がその背中を叩く。次いで水沼が何か言おうとしたが、それより先に神嶋が立ち上がった。パイプ椅子が動く物音で全員が黙る。さすがの海堂も口を閉じたらしい。

「後藤さん、お邪魔をして申し訳ありませんでした。海堂、お前も」

 神嶋と目が合い、海堂は悔しげに唇を噛んだ。一歩前に進み出たが、そこで後藤を正面から見てきっぱりと口にした。

「あれは奇跡ではありません。どこの誰が何と言おうと、私は認めません」

「理由を教えてください」

 彼女は穏やかな声音で問い返す。その場の誰にとっても想定外の反応だった。

「確かに、バレー部のなかったこの学校に先輩達のような人が集まったのは奇跡かもしれません。ですが、集まっただけではこの結果はあり得なかったはずです。二年生が一つの目標に向かって動くことを前提としていたから、私達一年生も迷いませんでした。四月に私達が入部した時点で、攻撃重視のチームとしての形はある程度完成していました。目標と人以外、ほぼ何もないところからのスタートでした」

「続けてください」

「負けていい試合なんて一つもなくて、大体の試合相手は私達より格上でした。大会が始まれば、誰もがストレスとプレッシャーで追い込まれました。きつくて辛くて、しんどかったはずです。できると信じてはいましたが、それだけのことをやらせた自覚はあります。強豪と違ってノウハウも情報もない分、負担も増えた。それでも誰も逃げなかった。ですから、県大会優勝は当然の結果です。それだけのことをここにいる全員がやった以上、当然に決まっています」

 海堂はそこで一度言葉を切った。後藤を鋭く睨み、強く言い切る。

「どこの誰にも、この優勝が奇跡だなんて言わせない」

 



 二週間後、雑誌が刊行された。出版社から送られてきた雑誌の表紙には

「この優勝は奇跡に非ず 北雷高校堂々の優勝 最速独占インタビュー記事掲載」

 の文字が躍っている。表紙の写真はインタビュー当日に撮影した集合写真だった。

「生まれて初めて雑誌の表紙飾ったわ」

 体育館で呑気にそう口にする火野の背中を川村が叩く。

「馬鹿野郎、ほぼみんなそうだよ」

「ですよね」

「来年も優勝したら飾れるかもな」

「確かに!」

 大はしゃぎする二人を横目に、野島は海堂を見て言った。

「随分啖呵切ったよネ。ヒヤヒヤしたから、ああいうのもう止めて」

「いえ、止めません。他所の選手に言われたら殴ります。無傷では返しません。鼻血の一滴くらいは……」

 海堂はジャージの袖を捲り上げ、左手を握りしめる。ボールを抱えた能登が青い顔でその肩を掴んだ。

「止めて、ホント止めて」

「冗談ですよ」

「ならせめて笑って言ってくれない?」

「すいません」

「海堂は笑った顔も怖いからダメだな。真顔の方がまだマシだろう」

 揶揄った神嶋は、すっかり憑きものが落ちたような表情である。別人のように晴れやかに笑う姿に、海堂の口角が僅かに上がる。

「あ、笑ってる」

「この流れで何に笑ったの?」

 ポールを立てた涼と高尾に言われた海堂は

「何でもいいでしょ」

 と返した。二人もそれ以上気にすることはない。海堂は床に置いたスポーツバッグからパソコンを取り出し、パイプ椅子にセットする。その目の前で、ポールの間にネットが張られた。ボール籠が用意され、Bluetoothスピーカーが設置される。

「お前ら今日も全員いるか~?」

 設楽の挨拶代わりの言葉が聞こえた。北雷ジャージで覆われた足が体育館の床を踏みしめる。

「ちわす!」

 太い声がいくつも重なった。

「何だ、準備終わってんのか。直志、ミーティング始めてくれ」

「全員集合! 整列!」

 神嶋の号令が響く。全員が作業を中断し、彼と設楽の前に並ぶ。二年生が一列目、一年生が一列目に横並びになった。いつもの光景である。

「挨拶!」

「お願いします!」

 いくつもの低く太い声には、当然海堂の声も混ざっていた。

(できることは、全部やらないと)

 決意を新たにしたその瞬間、設楽に名前を呼ばれた。

「聖、早速春高の準備について話をしてやってくれ」

「はい!」

 自然と声が大きくなる。パソコンを片手に前に出て、いつも通りの挨拶から始めた。

「県予選決勝、お疲れ様でした。ですが私達に休む時間はありません。これからの話をします。よく聞いてください」

 その言葉に応える声を聞き、海堂は確信する。

 ここが、己のいるべき場所であると。




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背番号0番〜3rd Season〜 青濱ソーカイ @sorakata

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