七章三話:春高制覇



 その日の午後、設楽の家は文字通り上から下への大騒ぎであった。彼が、片付けの終了後に部員達を引き連れて帰って来たからである。家主である彼の姉は仕事で家を空けているため遠慮はいらないと言ったところ、本当に何一つ遠慮をしない。ホットプレートで作った大量の焼きそばなどを消費した後は、各々他人の家とは思えないほど自由に過ごしていた。

 一年生は、設楽の姪のハルカと庭で遊んでいる。一方で二年生はリビングと和室で好き勝手に横たわり、寝そべっている。瑞貴と箸山などは畳の上でしっかり寝息を立てていた。その混沌とした様子を、設楽、神嶋、海堂の三人が眺めている。

「本当にこんな大人数で押しかけて大丈夫でしたか?」

「いいよ、いいよ。ハルカも人と遊ぶのは好きだし、姉貴は遅くまで帰って来ねえし、お前達も駅前とかで遊ぶよりも安上がりで気楽だろ」

 神嶋の気遣いに、設楽は笑って答えた。三人で囲んでいるダイニングテーブルには、つい数十分前まで大量の調味料が乗っていた。

「ところで海堂、さっきから何食べてるんだ?」

「梅チーズクラッカーです。台所にあった梅干しが美味しそうだったので、監督にペースト状にしてもらったのをクラッカーとチーズと一緒に食べています」

 クラッカーが砕ける小気味よい音がする。海堂はクラッカーで口をいっぱいにしていた。

「直志も食うか?」

「いりません。すっぱいものはあまり好きではないので」

「意外だな~。食えないものとかあるんだ。何でも食いそうだと思ってたよ」

「食べようと思えば食べられますけど、すっぱいものと辛いものは苦手です。酢漬けとか唐辛子の入った料理は積極的に食べたいとは思いません」

「聖は?」

 設楽は、クラッカーを食べ終えた海堂に目を向ける。

「私は甘すぎるものは苦手です。どちらかと言うと、塩味とか苦いものが好きですね」

「もしかして酒飲みの家系だったりしない?」

「母方が酒豪の家系で、母と兄はざるですが父は下戸です」

「なるほどね。直志のとこは?」

「父は仕事でほぼ家にいないので、よく知りません。母は、子どもに何かあったときに酔っていると困るからと言って全く飲みません」

 神嶋の答えを聞いた海堂は、そう言えばバレーボールに関すること以外で彼のことを知ろうと思わなかったことに気がつく。

「親父さん、何の仕事してるの?」

「医者です。昔、お前も医者になれみたいなことを言われたことがあります。教師になりたいと思っているので何とも思ってませんが」

「おお、向いてるんじゃない? 真面目だし、何だかんだで面倒見は良いし。こういう教師いそうだもん」

「神嶋さん、教師になるんですか?」

 意外にもここで海堂が食いついた。手に持っていたクラッカーを置き、神嶋を見ている。

「そんなに驚かなくてもいいだろ」

「驚いてません。似合うなと思っただけです。ですけど、兄が教師になるのは大変そうだって言ってました。教師になりたいって大学に行った友達が、授業が多くて時間がないから部活を辞めたって。神嶋さん、バレーボールやめちゃうんですか?」

 どことなく寂しげな声音だった。神嶋は淡々と応じる。

「大学に入ったら部活には入りたいとは思うが、どうかな。まだ分からない。行きたいところに受かるとも限らないし……」

「神嶋さんなら受かりますよ、きっと。部活だってできますよ。だって神嶋さんって、大体のことはできるじゃないですか」

 海堂は真っ直ぐに神嶋の目を見た。見られた方は少し目線を下げ、グラスに残っていた烏龍茶を飲み干す。そのやり取りを見ていた設楽が半ば呆れて言う。

「聖ってそういうところあるよなぁ。気をつけた方がいいぞ~。変な勘違いをするアホな連中が世の中にはいくらでもいるから」

「よく分かりません」

「分かった。お前はそのままでいてくれ。俺はそれが一番嬉しい」

「言われなくてもこのままです」

「直志にはあんなに可愛いこと言うのに、俺には可愛げの無いことばっかり言うのな。ちょっと切ないんだけど」

「すいません」

「何だ、アレか、直志のこと好きなのか?」

「監督」

 神嶋がたしなめるように言うと、設楽が何か言うより早く海堂が即答した。

「好きですよ。嫌いなわけないでしょう。嫌いになる理由なんて一個もありません」

 この返答に男二人は押し黙る。それから少しの沈黙の後、同時にため息をつく。

「だからそうじゃないって」

「海堂、お前本当に気をつけろよ」

「分かりました」

 返事こそあるが、その表情には疑問が残っていた。

「監督、これは絶対に何も分かってないです」

「こりゃお前のこと好きになるヤツは大変だね」

「私のことが好きな人ならわりと身の回りにいますけど、そんなに大変そうには見えませんが」

「それって家族とかだろ? そうじゃなくて俺はね……」

「監督も私のこと好きですよね?」

「うん、だからそうじゃなくて……。ああ、もういいや。ごめんな、俺が悪かったよ。忘れていいから」

「忘れません。どうして私のことが好きな人のことを忘れなきゃいけないんですか?」

 ついに設楽は低い声で唸り、頭を抱え始める。

「監督、女子高生好きなんですネ。変態じゃないですか~」

「ロリコンだ。通報しようぜ」

 野島と川村がそう言うと、設楽は振り向いて怒鳴った。

「違うから! しゃれにならないから止めて!」

 海堂は呑気に残ったクラッカーを食べ、神嶋は苦笑いしている。すると庭に面した窓が開き、ハルカと一年生達が中に入ってきた。

「外寒いわ! これからまだ寒くなるんだろ? ヤバいって。今年の冬、絶対に寒いよ」

「冬は寒いから冬なんじゃないの?」

「間違いない」

「でも寒いのしんどくね?」

「それはそう」

 突然室内が騒がしくなる。そのせいか、和室で寝ていた箸山と瑞貴が畳から身体を起こした。

 この部活で一番騒がしい学年は一年生だが、その騒がしさを神嶋が煩わしく思ったことはない。去年の同じ時期とは何もかもが見違えるようで、寧ろ嬉しく思っている。

「そう言えば神嶋さん、一ついいですか?」

 ふと思い出したように涼が彼に問うた。

「どうした?」

「春高の目標、どうするんですか? 春高制覇なんて言っていましたけど、本当にそれで行くんですか?」

「怖じ気づいたか?」

 主将の問いに、エースを狙う青年は唇を歪める。

「まさか! そのくらい派手じゃないと舐められますよ。だって僕ら、応援が来ないのは確定じゃないですか。派手な試合をやって、派手な目標の一つでも掲げなきゃ、他所に見劣りします」

 大抵の強豪校は、全国大会ともなると応援に吹奏楽部や自校の生徒、応援団、チアリーディング部などを引き連れて参戦する。スローガンを書いた横断幕を試合会場に掛け、校名の入った幟を立て、とにかく士気を上げようとする。しかし、現在の北雷高校には応援団はなく、生徒を応援に行かせることもない。

 元々北雷高校は勉強重視の校風である。そのため、強豪として有名な自転車競技部、吹奏楽部以外は程々にしか活動していない。そしてこの二つの部活の性質上、応援団などは必要ない。そういったこれまでの状況から、特定の部活の応援のために労力を割く風土が存在していないのである。バレー部の部員もとにかく試合に勝つことだけ考えてきたため、横断幕や幟のことはすっかり忘れていた。そこまで考える余裕がなかったとも言えるだろう。

「僕は賛成ですよ。みんながどう思ってるか知りませんけど、一回戦敗退なんて嫌ですから」

「俺も同感だ。お前達、どう思う?」

 神嶋の問いに、その場の全員が首を縦に振った。

「一回掲げた旗下ろすなんてダサいだろ。このまま突っ走ろうぜ」

 川村が一同の心中を代弁する。それに海堂が続いた。

「出場権を手にしている時点で、私達は全国の強豪と並んだのと同じこと。恥ずかしがることなく掲げていいと思います。どこの誰にも遠慮する必要はありません。分不相応と笑う連中は蹴散らして勝ちましょう」

 誰も、神嶋の言葉に異を唱えない。ここに春高における北雷の目標が決定した。ただ単純に

「春高制覇」

 の四文字である。





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