氷の姫様は、夢の中で誰かにデレる。

赤金武蔵

星に願った少年と、願われた少女

小織涼花こおりりょうかさん、好きです! 是非とも友達からよろしくお願いします!」

「ごめんなさい。無理です」



 七月上旬。

 俺は校舎裏で、親友の告白に立ち会っていた。


 腕を出したまま固まっている親友。

 鈴を転がしたような声で断った小織涼花は、冷たい目で親友を見下ろす。


 その様子を近くの草むらに隠れて見ていたのだが……それにしても玉砕。いや爆死だ。友達ですら無理とか、余りにも悲しすぎる。



「話はそれだけですか? それでは」



 颯爽と小織が校舎裏から立ち去る。

 それを見送り、俺は石化している矢野俊哉やのとしやの元に向かった。



「ドンマイ(笑)」

「笑うな!」

「ごめん、余りにも華麗な振られっぷりに」

「華麗じゃねーよ! 取り付く島もねーよ!」



 さめざめと泣く俊哉が、愕然と膝を着いた。

 まあ、確かに。あそこまで食い気味に断られると、俊哉が泣きたくなる気持ちもわかる。


 でも。



「だからやめろって言ったろ。相手は氷の姫様。お前じゃ可能性すらなかったんだよ」

「古傷を抉るようなマネはやめろよおおおおお!!」



 ごめん、つい楽しくて。


 ふと、彼女の後ろ姿を目で追った。


 小織涼花。


 去年の四月に鈴蘭高校に入学した初日から、全校生徒の噂になるほどの美貌を持つ超絶美少女。


 クールで切れ長の目。

 背中まで伸び、手入れを欠かしていないのがよくわかる黒髪のロングヘアー。

 制服の上からでもわかるプロポーション。

 更に成績優秀。

 運動神経もいい。

 噂によると、家も相当なお金持ちなんだとか。

 まさに理想の美少女だ。


 が、性格はご覧の通り。


 告白してくる相手を冷たい眼差しと涼やかな声で振り続け、取り付く島もなく友人すらいない。


 しかも、この一年ちょっとで小織を面白くないと思った女子がいびっていたが、その子も今では彼女を見るだけで怯える始末。

 何をしたのかは想像にかたくない。


 付いたあだ名が、【氷の姫様】。


 小織涼花にピッタリすぎるあだ名だ。



「ま、あの姫様に告白した勇気は称えてやるよ」

「……鈴蘭高校の二年で小織さんに告白してないの、あと龍臣たつおみだけだぞ。しないのか?」

「俺? する訳ないじゃん。負け戦はごめんだね」



 確かに綺麗で美しくて可愛いとは思う。

 俺も密かに、彼女に想いを寄せている身だ。

 だが、いかんせん俺と彼女には接点がない。

 そんな彼女に告白?

 それこそ、傷付いて無駄な労力を使うだけだ。


 勿論、あんな子と付き合えたらなとは思う。

 俺だって男子高校生ですし、それなりに不純と性欲も自覚してるつもりだ。


 でもそれとこれとは話が別である。

 悲しいかな、氷の姫様に告白して付き合える未来が見えないのだ。



「ふーん。流石、覚田龍臣さめたたつおみ。名前の通り冷めてやがる」

「冷めてるんじゃない。無駄な労力を使いたくないだけだ」

「それを世間一般では冷めてるって言うんだよ」



 そうか? ……そうなのかもな。



「それより、今日はもう帰ろう。たい焼き奢ってやるからよ、傷心祝いに」

「祝うな!」






「ただいまーっと」



 俊哉と別れ、アパート帰って来たのは夜19時。

 部屋に帰って来ても誰もいない。電気も付いてなければ物音ひとつない。


 それもそうだ。親父は投資やら何やらで大金を手にして早期リタイア。今ではタイに行っていて、お袋もそれについて行っている。


 俺としてはまだまだ日本を離れたくないから、ワガママを言って一人暮らしをさせてもらってるんだ。


 まあ、アネキが東京にいるから、何かあったらアネキを頼ればいいんだけど。


 飯は外で食ってきたし、もう風呂入って寝ようかな。なんか疲れた。


 ジュースを片手に制服のままベランダに出ると、空に輝く星々が、淡く地球を照らしている。


 夜空に浮かぶ星々。

 その中に一際輝く一番星を見つめていると、昼間のことを思い出した。



「小織涼花……」



 正直、俺だってあの人に興味はある。

 好き……なのかはわからない。単に容姿に惹かれただけなのかもしれない。


 でも、彼女に想いを寄せているのは本当だ。

 どんな事を考えてるのか。

 どんな事をしているのか。

 どんな事を思っているのか。


 それを知りたい。

 ……これを恋って言うのかな。



「……あ、流れ星」



 流れ星って、願い事を聞いてくれるんだっけ。


 そうだな……小織涼花のことを少しでも知れますように──。



「……って、乙女か俺は」



 あーやめやめ。顔熱いわ。寝よう。


 ペットボトルのジュースを飲み干し、風呂に入るべく部屋の中へと戻って行った。



   ◆



 ──……ふわふわしてる。


 このふわふわした感覚……まるで夢の中にいるような、変な感じ……。


 体が、動かない。

 視界がボヤけて、見えづらい。

 何だろうこれは。

 思考も定まらない。


 でも……暖かい。何かに包まれている。

 まるで母親の腕の中にいるような感じだ。ほっこり、安心する。


 それに何となくいい香りがする。

 芳醇で濃縮された、嗅いだことのない甘い香り。

 その香りを胸いっぱいに吸い込み──違和感を覚えた。


 夢で見る痛みと言うのは、現実で受けた痛みを再現するらしい。

 見る景色も、大体は見た事のある場所から再現される。

 それと同じく、匂いも再現されるらしい。


 けど……俺はこんなに本能を刺激されるような甘い香り、嗅いだことがない。


 それを自覚すると同時に、ボヤけていた視界が開けてきた。


 薄暗い。何かで視界を塞がれている。

 それにとてつもなく柔らかい。何だこの柔らかさ、マシュマロか?


 大きなマシュマロで、顔の左右から挟まれた……そんな感じ。

 む。このマシュマロは不良品だ。一部分に突起がある。硬い。返品を要求する。


 って、そんな馬鹿なことを考えてる場合じゃない。

 これ、夢だよな? 夢にしては意識がはっきりしすぎているし、感覚もリアルすぎる。


 体は……動かない。

 目はギリギリ動かせる。鼻も利く。

 それに……何だ? 体が何かで縛られている感じが……いや、締め付けられてる? でも痛くない。何なんだこれは。






「んっ……んむ……?」






 ────ッ!?


 人の、声?

 艶かしい女性の声が、俺の頭の上から聞こえる。

 鈴を転がしたような美声に、心臓が跳ね上がった。


 誰だ。誰の声だ? 聞いたことはある。だけど誰だ……?


 誰かがモゾモゾと動く度に、顔面を挟んでいるマシュマロもこねくり回される。

 うぐぐ、やめろっ、息苦し……くない? 普通に呼吸……え、いや呼吸すらしてない!?


 なんで。えっ、俺死んだの!? じゃあここは天国!? 俺、悪いことしてないから地獄ではないはずだけど! お願い神様、死んだのなら天国がいいです!


 あっ、これ夢じゃん。ふー、よかったぁ。



「むにゅ……ふあぁ〜。……もう五時……ねーむーぃー……」



 声の主が駄々をこねる。

 もう五時って……俺からしたら、まだ五時って感じなのだが。



「ぐぅ……でも、おきる……りょーかは、やればできる子なのです……がんばれりょーか、まけるなりょーか」



 …………?

 うん? りょーか? どこかで聞いたことある名前だな。


 と、急に視界が大きく開けた。


 薄暗い中、目の前に現れた寝ぼけ眼の女性。

 寝起きなのに寝癖ひとつ付いていない黒髪に、他を寄せ付けない圧倒的美貌。


 そんな女性が枕元のリモコンで明かりを点け──驚愕した。






 小織涼花が、そこにいた。






 …………え?



「おきた……りょーかは起きました。がんばりました……!」



 起き上がった小織涼花(?)はベッドに女の子座りで座り込み、ふんすと意気込む。

 意気込む顔も可愛い。

 だが問題はその下だ。




 下着姿だ。




 …………。


 んなあああああああああっ!?!?!?


 なんっ、で……!? え、なんで!?

 いや俺の夢! 小織を夢に出すのはいい! だけど下着姿を妄想するのは行きすぎだろ!?


 薄黄色のキャミソールに、レースのあしらわれた白い下着。

 その内ももには、右脚に三つ、左脚に一つのホクロがあり……って! いくら夢でも見すぎだろ俺!


 急いで目を背ける。

 すると、小織涼花(?)はひょいっと俺を抱き上げた。

 ……抱き上げた?


 その拍子に、部屋の隅に置いてあった姿見が見える。

 映っているのは、小織涼花(?)の後ろ姿。

 そして、彼女が抱っこする──クマの人形、、、、、


 俺は今抱っこされている。

 鏡の中のクマも抱っこされている。


 つまり、『俺=クマの人形』。


 何でだよ。妄想とは言え、気持ち悪いぞ俺の脳内。

 自分の気持ち悪さにげんなりしてると、小織がほにゃっとした笑みを向けてきた。



「たっくん、おはよー。りょーか、がんばりましたよー」



 夢の中の俺の妄想だと言うのはわかっている。わかっているのだが……その笑顔に、俺の目は釘付けになった。


 可愛い。可愛すぎる。こんな可愛いのに、学校ではなんであんなクールな顔しか見せないのだろうか。解せぬ。


 しかし次には、小織はむーっとした顔になった。そんな顔も愛おしい。



「うぅ。何でたっくんはりょーかを見てくれないの……りょーか、みりょくない……?」



 ……さっきからたっくんと呼んでいるのは、誰のことなんだ?

 この人形のことか? ……それにしては悲しそうと言うか……。



「あとはたっくんだけ……そう、たっくんだけ。たっくんを振り向かせるため……私、今日も頑張ります」



 あ、いつもの小織に戻った。


 ベッドから起き上がり、俺(クマ)をベッドに置く。


 そして──ぱさり。キャミソールを脱いだ。


 脱いだ。

 ぬいだ。

 ヌイダ。

 NUIDA。


 …………。


 !!!?!?!!??!??!!!!??


 ブレザーや体育のジャージの上からでもわかるほどのたわわが、今俺の前に晒されている。

 そこから伸びる括れも、腹筋の美しさも、綺麗なヘソも、腰周りも、腕や脚の長さも、完璧。完璧すぎるほど、完璧。


 や、やるじゃん俺の妄想……って、何まじまじ見てるんだ俺は! いくら夢だからって女性の裸をそんな見たらダメだろ!



「……ふむ。やはり私の体、エロいですね。何故たっくんは私に声を掛けないのでしょう……やはり性格なのでしょうか……」



 姿見の前でポーズを取って、何故か落ち込む小織。

 夢の中の小織は、表情豊かだな。リアル小織もこれくらいコロコロ変わるといいんだが。



「……いえ、落ち込んでいる暇はありません。今日も今日とて努力あるのみです」



 胸の前で小さくガッツポーズを取り、クローゼットの中からスポーツウェアを取り出ピピピピピピピピ──。



   ◆



 ──ピピピピピピピピピピピピ。



「…………」



 チュンチュン。チュンチュン。


 朝、七時。

 目の前に広がるのは見慣れた自室の景色。

 だが、さっきのことが頭から離れない。


 余りにも余りにな夢だ。

 こんな意味わからない夢を見て、あまつさえ氷の姫様の裸体を妄想する。


 はっきり言おう。

 気持ち悪すぎる。



「はぁ……ん?」



 ……ワォ。生理現象。



   ◆



「たーつーおーみー! ちっすちっすー」

「ん? おお、俊哉」



 相変わらず元気な奴だ。昨日振られた奴とは思えん。

 下駄箱で靴を履き替え、二年のクラスのある二階へ向かう。


 はぁ……朝から変な夢を見たからか、全身がダルい。

 こんなの、小織の顔もまともに見れねーよ……。



「おー? どうしたよ龍臣。死にそうだぞ」

「まあ、ある意味死にそうではある」

「辛気くせーなぁ……あ、ごめんトイレ」

「おう。先行ってるぞ」



 一階のトイレに向かう俊哉の背に声を掛け、階段を上がろうとすると。


 そこに──女神がいた。



「…………」

「っ……」



 冷たい目で見下ろしてくる小織涼花。

 いつもと同じ美しさに、目が釘付けになる。


 目が合った。

 一瞬、時が止まったような感覚に陥る。


 見れば見るほど夢で見た小織と同じ顔だ。

 どうやら俺の脳内は、小織の顔を正確に覚えているらしい。何しろ夢で見るくらいだし。


 階段の上の方で止まっていた小織が、ゆっくりと降りてくる。

 ……俺がいつまでもここにいたら邪魔になるか。

 と、小織を気にせず階段を登ろうとした──次の瞬間。


 階段の踊り場にある、開け離れた窓。

 そこから突如吹いてくる突風。


 そして──バサッ!!



「あ」



 スカートが、思いっっっっきり捲れた。



「────ッ!?!?!!!??!??」



 慌ててスカートを抑えた小織。

 その拍子に、手に持っていたポーチが落ちて来た。


 反射的にそいつをキャッチするが。


 ……とんでもなく、気まずい……。


 小織は顔を真っ赤にしてスカートを抑えている。

 俺も、スカートの奥に見えた光景が頭から離れず、体が固まっている。


 白く艶かしい長い脚。

 レースのあしらわれた、黒い下着。

 そこまではいい。いやよくないけど。


 問題は……ホクロ。

 夢で見たものと同じ、右脚に三つ。左脚に一つ。




 全く同じ数が、全く同じ場所にあったのだ。




 誓って言うが、今まで小織涼花のスカートが捲れた姿なんて一度も見たことがない。

 つまり、脚にホクロがあるなんて知らないんだ。

 それなのに夢で見たホクロと同じホクロが、小織の脚にあった。


 これは……どういうことなんだ?


 困惑している俺を他所に、小織は小走りで階段を降りて来た。

 そして俺の持っていたポーチを引ったくり、逃げるようにして廊下を歩いていく。


 俺はその姿を、ただ見送るしかできなかった。




 その日の夜。

 ベッドの上で悶々としていた。

 理由は勿論、小織涼花について。


 何故俺の知らない小織涼花の特徴を、俺は夢で見たのか。


 エロいとか、パンチララッキーとか、脚長いとか、色々と思うところはある。

 でも、あのホクロの衝撃は忘れられない。

 ……わからない。わからなさすぎる。



「……考えても仕方ない、か。寝よう」



 電気を消し、目を閉じる。

 夢のことや今朝のことで眠れないと思っていたが──思いの外、スっと眠りにつくことができた。



   ◆



「ああああーーーーーー!? 見られた見られた見られた見られちゃいましたああぁーーーーー!!!!」



 顔を真っ赤にした小織が、目の前で悶えている。


 まただ。また、あの夢だ。

 俺がクマの人形で、部屋にいる小織を見ている。そんな夢。



「な、なぜ、なぜあのタイミングで風が……! ううぅ、死にたい……!」



 ベッドの上を転がり、転がり。「ふにゃ!」あ、落ちた。



「うぅ、鼻痛い……!」



 うん、今のは痛そうだ。



「はぅ……これもたっくんを待ち構えていたバツなのでしょうか……まさか色気のない下着を見られるだなんて……」



 いや、色気はあったよ。

 あんな大人っぽい黒いレース付きの下着見せられて、ドキドキしっぱなしだよ。


 それと、ごめんな小織。たっくんではなく俺に見られちゃって。ホント、申し訳ない。眼福。



「明日……明日こそ話しかけます! 頑張れ、私! やれるぞ、私!」



 おう、頑張れ。

 夢の中だけど応援するぞ。



「でも……万が一のために、明日は可愛い下着を着ましょう。ふむむ、悩みます……たっくんは何色が好きなのでしょうか。……って、これじゃあたっくんに下着を見せたいただのエッチな女の子じゃないですか!」



 おいたっくん、そこ変われ。

 あの氷の姫様である小織涼花にこんなに慕われるだなんて、どんだけイケメンなんだ。死すべし。いや夢だけど。



「そうですね……確か昔、白が好きと聞いたことがあります。では明日は、白の下着で……」



 クローゼットをもぞもぞと漁っている小織。

 白か。俺も白は好きだぞ。何モノにも染まってない、純粋な色って感じで。

 そうか。たっくんも白が好きなんだな。



「……よし。これにしましょう。んっ」



 下着を合わせるためか、服を脱ぎ脱ぎ………………脱ぎ!?


 ちょっ、脱ぐな脱ぐな! 落ち着け俺の脳内妄想! これ以上はダメ! NG!


 頑張って目を逸らすが、目の端に小織の脱ぐ姿が見える。

 部屋着を脱ぎ、下着を脱ぎ、美しい肢体が晒される。

 その上から、可愛らしいピンクのリボンが付いた白い下着をはいた。



「……うん、これで行きましょう。これならいつ見られても問題ありませんっ」



 見せる前提なのか。見せない努力はしようぜ。夢で言っても意味はないけど。


 

「明日こそ……明日こそ挨拶を──ピピピピピピピピピピピピ。



   ◆



 ──ピピピピピピピピピピピピ。



「また何つー夢を」



 2日連続とかありえないでしょ。意味不明すぎる。

 気疲れした体を無理に叩き起し、歯を磨きながら昨日今日のことを考える。


 夢の中の小織は内ももにホクロがあり、実際の小織にも同じ位置にあった。


 これは偶然なのだろうか。

 ホクロの数も、位置も同じ……とてもじゃないが、偶然とは思えない。


 じゃあ現実?

 いやいや、それこそありえないだろう。


 冷静に考えると、夢の中で俺の意識がクマの人形に憑依し、小織涼花の私生活を覗いたということになる。


 …………。


 馬鹿馬鹿しい。偶然だ、偶然。


 ちゃっちゃと身だしなみを整え、朝飯代わりのバナナをプロテインで流し込む。



「行ってきます」



 誰もいない部屋に向かい挨拶し、学校に向かって歩いていく。

 照りつける太陽は憎らしい。


 けど、そろそろ夏休みだ。高校生活を自由に謳歌できる最後の夏。来年は受験が始まるし、今年は夏を楽しみたいな。


 今年の夏は何をしようか。


 そんなことを考えているのがいけなかったのだろう。


 ドンッ──。



「キャッ!」

「うおっ!?」



 十字路で、誰かにぶつかってしまった。多分、女の人。声がそうだった。


 しまった、完全に油断した。



「す、すみませんっ。大丈夫です……か……?」

「い、いえ、こちらこそぼーっとしてまし……て……?」



 倒れている女性に手を差し伸べると、目が合った。

 女性も驚いたような顔で俺を見上げる。


 小織だ。

 氷の姫様、小織涼花。

 綺麗で涼やかな目が、俺に向けられている。


 何で……何でここに小織が?

 徒歩通なのか? でも今まで会ったことない。偶然ここを通ったのかも。


 偶然だとしたら、神様は随分といたずら好きらしい。このタイミングで小織とぶつかるとか、どこの恋愛漫画だ。


 しかも。


 転んだ拍子にめくれ上がった。


 スカートの中身。



「あれ、それ……」

「え? ……キャッ!?」



 急いでスカートを戻し、俺の手を借りず立ち上がる。

 そして、俺の方を見ずに学校に向かって全力で走っていってしまった。


 その後ろ姿を見て、俺は動けなかった。


 何で……何で小織が履いていた下着が、夢で見たのと同じなんだ……?


 白い生地に、ピンク色のリボンがあしらわれた可愛らしい下着。


 これは……本当なのか?

 本当に俺は……夢の中で、小織涼花の私生活を覗いてる、のか……?


 ……わからない。でも多分、俺の予想は当たっているはずだ。



「なんつーオカルトだよ……」



 俺のつぶやきは、風に乗って掻き消えた。



   ◆



 小織の夢を見始めて一週間が経った。


 その間でわかったのは、間違いなくあの夢は本当のことだということ。

 それを自覚してから、小織への想いが膨れ上がっている。


 何をするにしても、小織のことが脳裏をよきる。

 気がつけば目で追い、ぼーっとすることの増える日々。


 これが、本当に人に恋するということなのか……。



「聞け、俊哉。俺、小織のことが好きなのかもしれない」

「今更かよ。周回遅れだよ」



 昼休み、学校の中庭で飯を食いながらの恋愛相談をすると、俊哉は呆れたような目で見てきた。



「この学校の奴らは、みんな一度は小織さんに恋してる。むしろお前だけだぞ。あの人に恋してないなんて言ってたの」

「そうなのか?」

「ああ。彼女持ちだろうと独り身だろうと、一度はな。お前もさっさと告白して、玉砕してこい」



 玉砕すること前提なのはいただけないが……ひとつ問題がある。


 小織涼花は、“たっくん”とやらに恋しているということだ。


 毎夢のように、“たっくん”への愛を叫んでいる小織。

 その顔は正に恋する乙女。

 そんな恋する乙女の小織に、俺なんかが告白していいものなのか。


 勿論、夢のことは俊哉にさえ言っていない。

 言ったら最後、病院を紹介されるだろう。そしたら殴るけど。


 せめて“たっくん”が誰かわかればなぁ。



「なあ俊哉。もし小織に好きな奴がいて──」

「えっ!? 小織さん、誰か好きな人がいるのか!?」

「いや、例えばだ」

「例えばか。それで?」

「で、好きな奴がいるとして、告白ってしていいもんなのかな」

「いいだろ、別に」



 あっけらかんと言うな。

 俊哉は唐揚げを頬張り、サイダーで飲み込む。



「告白なんてエゴだ。相手に想い人がいるからって告白をためらってられるか。馬鹿め」

「何で罵倒されたの俺」

「とにかくだ、一回告れ。そんで爆死しろ」



 何でやねん。

 まあ……そうだな。こうして毎晩小織の夢を見て、想いを募らせて、モヤモヤするくらいだったら……。



「……行ってみるか」

「何だ何だ、いつになく積極的だな」

「いつまでもウジウジしてても仕方ないからな。ちょっと小織のところ行ってくる」

「立ち合ってやろうか?」

「お前俺が振られるところ見たいだけだろ」

「にしし。まーな」



 悪い笑みを浮かべる俊哉に見送られ、校舎の中に入る。

 小織は普段教室で食べない。けど、食べている場所は知っている。

 これも夢で見た知識のおかげだ。


 最上階、一番奥。

 普段は使われていない教室で、彼女はいつも食事している。


 近付くにつれて高鳴る心臓の音。

 これがあと数分後には、断られた末に心肺停止することだろう。


 だけど、それでいい。


 行くぞ──。


 ノックをいち、に、さん。


 ……返事、ないな。

 …………。



「失礼しまーす」

「ンムッ!?」



 お、何だ。やっぱりいるじゃん。


 窓際で弁当を食べている小織が、驚いた目で俺を見る。

 まあ、ここを知られるだなんて思ってなかったんだろう。ごめん、すぐ終わらせるから。



「小織。ちょっといいか?」

「……ぇっ、あ、えっと……は、ぃ……」



 顔を真っ赤にし、まるでヘドバンのように頭を振る。

 氷の姫様なんて呼ばれているが、こうして見ると全然そんなことない。


 ただただ可愛い、女の子だ。


 俺は、そんな小織の前に跪いた。



「……小織。いきなりこんなことを言われて戸惑うかもしれないが……聞いてくれるか?」

「は、はひっ……!」



 高鳴る心臓を無理やり押さえつける。

 深呼吸をし、気持ちを落ち着かせ。


 そして。






「好きだ。……俺と、付き合って欲しい」






 言った。言ってやった。

 もう思い残すことはない。

 さあ、一思いに振って、俺を楽にしてくれ……。

 あの夢のことも忘れさせるような、こっ酷い振り方を──。






「……ふぇ……ぅぇぇん……」






 泣いた!?

 えっ、そんなに俺に告られるのが嫌だったのか!?

 まあそれもそうだよな! だって俺と小織の接点なんてないし! パンツ二回も見ちゃったし!


 そういや、俺が部屋に入ってきた時も変なリアクションだった……俺が入ってきて、嫌だったのかも。



「あ、その……こ、こんなこと急に言われて迷惑、だよな……ごめん。今のは忘れて──」

「め、めいわぐじゃなぃですぅ〜。ひぐっ。う、うれじぐでぇ〜……!」



 ……なんて?

 迷惑じゃない……嬉しい?

 え、何? 嬉しい? 俺から告白されて?



「えっと……? 小織って、“たっくん”って奴が好きなんじゃ……?」

「な、何で知ってるんですかっ。誰にも教えてないのに……!」



 いや、そりゃまあ、あれだけ毎晩「たっくん、たっくん」聞かされてたらな。

 でも今の反応で、あの夢でのことが本当だってことがわかったな。


 小織は涙を拭いて立ち上がり、困惑している俺の手を取った。



「……たっくん」

「……え?」



 た、たっくんって……今、俺のことをそう呼んだ……?


 クエスチョン。俺の名前は?

 アンサー。覚田龍臣。


 覚田、龍臣。さめた、たつおみ。たつおみ。たっくん。


 …………。



「俺!?」

「……ん……そうです……」



 潤んだ瞳や高揚した頬。

 いつものクールな顔はどこへやら。

 今は幸せを噛み締めたような、興奮しているような……そんな顔をしている。


 そして、何度か深呼吸をし、口を開いた。






「たっくん……私も、私も好きです……ずっとずっと、好きでした」



   ◆



 あの日から、小織涼花の夢を見ることはなくなった。

 よくよく思い返してみると、流れ星に「小織涼花のことを少しでも知れますように」とか祈ったっけ。


 その日の夜から、あいつの夢を見るようになった。


 星に願いを。

 ロマンチックだとは思うが、まさかこうなるとは思わなかったな……。


 あの時と同じように、ベランダから空を見上げる。


 と、背後の窓が開いて可愛らしい顔を覗かせた。



「たっくん、何をしているのですか?」

「ん? いや、告白した時のこと思い出してた」



 俺の答えに頬を染めた涼花が、俺の隣に立って肩を寄せた。



「……幸せです」

「そう言ってもらえると、男冥利に尽きるな」

「もっともっと、幸せになります。……三人で」

「……そうだな」



 左手の薬指に光るシルバーの指輪。

 そして、膨らんだ涼花のお腹。


 まさかあのままゴールインまで突っ走ることになるとは……俊哉の呪詛を孕んだ視線は、今でも忘れられない。



「……あっ。たっくん、流れ星です」

「本当だ。今日って確か、流星群だったっけ」

「はい。お願い事しないと」



 願い事か。

 そんなの、ひとつに決まってる。






「涼花と──」

「たっくんと──」



 ──いつまでも、幸せに暮らせますように。



 ──────────


 以上で完結です。

 面白かった、よかったという方、星を投げてくださると幸いです!

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氷の姫様は、夢の中で誰かにデレる。 赤金武蔵 @Akagane_Musashi

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