第9話

 この世界における科学技術というのはそれほど発展している訳ではない。その代わりとなるような技術が発展している為だ。

「良いですか、タツミ。術技を扱う為に必要なのは、オドを感じ取れるかどうかの感覚器官です。これには個人差があり、持ち合わせていない場合も珍しくありませんね」

「感覚、ねぇ……」

 手を握って開いて繰り返す辰巳は、周囲へと意識を散らすべく目を閉じた。

 オドを感じ取り、尚且つ扱うには生来のセンスというものが必要とされている。そして、このセンスを持つ者は単位で言えば百人に一人。その選ばれた一人であっても初級や下級程度止まりの実力しか伴わない者も珍しくなかった。

 果たして、

「…………さっぱり分からねぇ」

 辰巳にセンスは無かった。当然と言えば、当然の結果だ。

 そもそも、彼はこの世界に対する知識が圧倒的に不足している。オドに関する知識と理解も同じく不足している。

 仮にアーティファクトに先に触れていれば何かしらの才能が目覚めたかもしれない。

 だが、今この瞬間辰巳は己の才能の一部に対して。味噌っかすであったかもしれない可能性の芽を自分自身で摘んだのだ。

 しかしこの試みは別の可能性を引き上げてしまってもいた。

 急速に沈んでいく意識。足の裏から地面の感触が消えて、次いで訪れるのは浮遊感。

 そして、

『やはり面白いなぁ、小僧。昨日の今日で、ここまでか』

 相対する同居人。

「どこだ、ここ」

『ここは、我と貴様の魂が密着する境界だ。ウハハハハッ!それにしても、随分とをしているなぁ、小僧』

「あ?何だよ。というか、どうやったら戻れるんだ?」

『まあ、そう言うな。我の暇潰しをするがいい』

「帰る」

 不思議な空間で右も左も分からないが、辰巳は踵を返すようにしてニヤニヤと嗤う悪龍に背を向けた。

 普通ならば、悪龍を前にすれば恐怖に竦むのだろう。いや、竦む確実に。

 何故なら相手は暴威の化身といっても遜色ない世界の敵たる存在。戦うだとか抗うだとかそんな領域には居ないのだ。

 だが、辰巳は恐れない、靡かない。

 本人は気付いていないが、彼は大切な部分が、人として必要だった部分が壊れてしまっていたのだ。そして、その事に悪龍は気付いていた。

 だから、嗤う。怪物の卵モンスターエッグを嘲う。

 一方で、辰巳は辰巳で困っていた。

「…………どうやって戻るんだ?」

 何もない真っ暗な空間に一人浮かぶ。

 右を見ても、左を見ても、上を見ても、下を見ても、闇、闇、闇。果てがあるのか目の前が果てなのか、何一つ分からないそんな世界。

 そんな世界の中で、辰巳は胡坐を組むと左手を顎に当てて首を傾げた。

「そもそも、どうやって来たのか……そこから逆算すべきって事か」

『考えているなぁ。良いぞ、良いぞ、好きなだけ悩むがいい』

 ニマニマと口元を歪める悪龍がその頭を、辰巳の右隣に突き出してくる。

「あっち行ってろよ」

『我がどこに居ようと我の勝手だろう?』

「……というか、お前は何がしたいんだ?シアンたちが言ってたぞ、お前って世界滅ぼせるぐらいには強いんだろ?」

『ウハハッ!確かに、世界を滅ぼす程度ならば造作も無いだろうなァ?だが、そんな事に意味など無い。違うか?』

「まあ、そりゃあ……って、こんな問答してる場合じゃねぇんだった。どうすれば戻れる」

『戻ってどうする?あの小娘にいいように使われるのが関の山だろう?』

「んな事、分かってんだよ。だからって俺には、それ以外の選択肢がねぇんだ。だったら、ついていくしかないだろ」

 選択肢はない、辰巳は一つ息を吐き出した。

 将来的に、にも手を出す事になる、と彼は気付いている。寧ろ、その手の技術を早急に学ばされている辺り、察せない事の方がおかしい。

 それでも、辰巳には選択肢が無い。

 未だに馴染めない異世界。図らずしも宿す事になった同居人。この二つの問題がどうしようもなく、彼の頭の上に伸し掛かり解放してくれないのだ。

「……で?戻り方は?」

『ウハッ!入ってきた時とをすれば良い。そもそも、ここは我と貴様の境目が入り混じる心内領域しんないりょういきだ。自分の体で迷子になる筈も無かろう?』

「小さい子供に言い聞かせるような口調で言うんじゃねぇよ!」

 嘲ってくる悪龍に咬みつきながらも、辰巳は己がこの場へやって来た時の事を思い出していた。

(沈んだ感じがした……なら、浮かべばいいのか?)

 単純思考というべきか、答えが思い浮かぶと同時に体がすぐさま反応を返してくるのは一種の才能であると言っても良いだろう。

 程なくして、この漆黒の空間に浮かぶ辰巳の体はまるでカゲロウの様に揺らぎ、そして程なくして消える。

 一体のみとなった空間で、悪龍は独り嗤う。

『ウハハハハ……!育てよ、小僧。そして、我を退屈させるな……!』

 悪龍のこの言葉は、しかし辰巳の耳に入ることは無かった。

 深い水の底から浮上するように浮かび上がっていった意識。同時に、彼の耳は別の音を聞き取り始める。

「――――……ミ?……タツミ?聞いていますか?」

「……んん?」

「急に、黙り込んで。何かコツでも掴めたのなら良いんですけど」

「え?あ、いや……そういう訳じゃねぇよ……俺、どれぐらい黙ってた?」

「ほんの数秒です」

(感覚的には、結構向こうに居た気がしたんだが……時間の進みが違うのか?)

 芽生える違和感。だが、それを口に出す気は辰巳にはない。

 これは辰巳の予想でしかなかったが、最終的にシアンから求められるのは右腕の制御だろうと考えていたから。その点で言えば、こうして意識的に内側の悪龍と意識的に接点を持てるのは、利点に思える。故に、誰にもこのことを伝える気はない。

 彼は一人で抱え込む。それこそ、悪龍の

 時計の針は、着実に進み続けていた。



 シアン=エイスニックにとってこの世の全ては駒に見えている。故に、準備は欠かさずにやって来た。

 術技を覚え、理解し、習得し、そして実践してきた。腹心の部下であるカティナには、余すことなく装備を整えさせ、腕を磨かせ、そして自分に絶対の忠誠を誓わせた。

 全てが、彼女の目的のための行動である。

 故に、その光景を見たとしても歩みを止めることは無い。

「……ひでぇな」

 目深にフードを被り、外套を羽織った辰巳の呟きを聞きながら、シアンは一切視線をぶれさせることは無い。

 三人が隠れるように進む東の国、王都は荒れに荒れていた。

 倒壊した家屋や商店。砕けた道は未だに瓦礫に埋もれており、焦げたようなニオイがどこからか漂ってくる。

 時は夜。夜陰に紛れる彼らを照らすのは、月光と星明り。

 先の宣言通り、シアンは辰巳が防御主体の剣術をカティナ相手にある程度習得したところで行動を開始した。

 向かうは、都の中央にある王城だ。

「……そろそろ、少しは話してくれないのか?」

「何の事でしょうか?」

「流石に、いい加減気にもなるだろ。この国は、お前の故郷なんだろ?俺だって、ここまで昔馴染みの場所が無残な事になればショックだ」

「……」

 お前が言うな、という話ではあったがあくまでも都に甚大な被害を与えたのは辰巳ではなく、彼の右腕となった悪龍だ。そもそも論で言えば、諸悪の根源は悪龍を召喚し使役しようとしたエイスニック王とウィルゲンタース導師長だろう。

 果たして、黙々と進んでいたシアンの足取りは少しの緩みを見せた。

「時間があまりありませんから、ここで話す事は出来ません。まずは、目的を果たしてからです」

「……なら、一つだけ聞かせろよ」

「何でしょうか」

「お前は、悪龍が憎くないのか?」

 若干の緊張が含まれたその言葉。そこで初めて、シアンの足が止まった。そして体ごと、問いかける辰巳へと向き直る。

 フードの下、蜂蜜色の前髪の下で鮮やかな、しかしまるで深海の様に深い深い青が煌めいて、


「――――いいえ」


 紡いだ口元は妖艶な笑みを浮かべ、しかし辰巳にはまるで巨大な蛇が鎌首をもたげて自分を見下ろす様を幻視させる。

 そん不吉を孕んでいた。

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異界探訪ドラギニョル 白川黒木 @pj9631

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