第8話

 辰巳とカティナが、剣術修行を行っていた頃と時を同じくして、東の国の王都では復興作業が詰まりながらも行われつつあった。

 陣頭指揮を執るのは、今回の騒動で命を落とした導師長ウィルゲンタースの血筋。直系の孫にあたるアスモラ=ウィルゲンタース。

 灰色の癖のある長髪をした青年だ。その顔には現在、隠しようのない悄然と疲労がこびりついていた。

 彼は疲れ切っている。それもこれも、現国王であったエイスニック王と導師長だったウィルゲンタースがしくじり、加えて上層部の大半を道連れにしてしまったから。アスモラが現トップに就いているのも偏に、彼以上の権力者が既に居ないからだ。

「……くそっ!」

 城の一室、鈍い音が響く。

 上質な木材が使われた執務机の天板に拳を振り下ろしたアスモラは、降り積もってくる疲労と苛立ちの中でどす黒い感情を内側に溜め続けていた。

 従うべき王がおらず、師であり道標でもあった祖父も消えた。兵士の大部分も使い物にならず、城下町は甚大な被害。

 加えて、王女であるシアンも従者と共に消えた。行方を捜索しようにも、そちらに割ける人的資源など既に無く、有体に言って既に詰んでいる。

 せめて、シアンが居れば話は違った。

 容姿が整い、同時に王族としての教養その他を身に付けた彼女を旗印として再度軍を編成し、王都の復興。その補佐として自分が付く形となれば、先代からの形式をそのままに活かす事が出来る。

 だが、現実は甘くない。シアンは居らず、先代からの形式は引き継げない。軍の再編もほとんど進まず、更に予備の人的資源への補充もままならない。

(遅かれ早かれ、他国が干渉してくることは確定。領土の割譲、国民の喪失。最悪の場合は、我が国は消滅も免れない……!ああ、爺様!エイスニック王!何と言う事をしてくれたのですか!)

 最早禿散らかしそうなほどに追い込まれるアスモラは、頭を抱えて机の上に蹲る。

 元々、彼は陣頭指揮を執れるような人物ではなかった。その事をアスモラ自身も自覚しているし、だからこそ表舞台に立つことを極力避けていた節もある。

「……あ、ダメだ。おなか痛い……」

 大の男が顔を真っ青にして腹を抱える姿ほど、情けないものは無いだろう。しかし、今のアスモラに体裁を気にしている余裕は無い。

 追い込まれる彼に、しかし現実は優しくない。

 部屋に響くノックの音。跳ねるアスモラの肩。

 慌てて机に倒れていた上半身を起こして脂汗を拭い、一息ついて扉の前で待っているであろう誰かへと入室を促す。

「……どうぞ」

「失礼いたします、ウィルゲンタース導師長。こちら、被害情報の詳細と復興予算案となります」

「ほお、なかなか早く出来たね。それじゃあ、その資料はそこに置いてくれるかい?」

「はっ!」

 実直生真面目をそのまま形にしたような兵士からの報告書。置くだけ置かせて、半ば追い返すように再び一人の時間を取り戻す。

 アスモラとしては、目を通したくはない。通したくはないのだが、だからといって見て見ぬふりをできる程、彼は薄情でも冷淡でもなかった。何より、一般人じみた責任感とでも言うべきか、兎にも角にも彼に見ないという選択肢を採らせてはくれないのだ。

 果たして、

「……ぐふぅ…………」

 アスモラは再び胃の辺りを押さえて蹲る事になる。かれはそろそろ自分専用の胃薬を調合した方が良いかもしれなかった。



 見ず知らずの誰かが胃を痛めている頃、辰巳もまた冷や汗を流していた。

 彼の前に置かれたのは、どろりとした粥の様なもの。

 木製の深さのある椀に盛られ、傍らに置かれるのはこれまた木製のスプーン。そのスプーンの先端で突けば、ぷよぷよとした粘性の塊、の様な弾力が感じられた。

「タツミ、食べないんですか?」

「姫様の用意してくださった食事だぞ。ありがたく食べないか」

「あ、ああ、いや……おう」

 共に食卓を囲んでいるシアンとカティナは、特に疑問を持っていないらしくスプーンを使って椀の中身を食べていた。

 これは、グリッツと呼ばれるものでトウモロコシを乾燥させて挽いた粉を使った料理だ。扱いとしては、主食であり主にアメリカ南部発祥とされる。

 味は殆ど無味であり、基本的にはバターやチーズ、ベーコンなど味の主張が強いものと一緒に食べるもので、良く言えば素朴。

 少なくとも日本人である辰巳にとっては、食べ慣れないものであり、同時にその口に合わないものでもあった。

 この世界に呼び出されてから、直面した問題。

 それがこの、食事問題。

 牢の中に閉じ込められていた時のパンもそうだが、この世界の食事事情は現代日本とは雲泥の差がある。調味料などの細かなところから、純粋に主食などの差なども。

 辰巳自身食道楽の嫌いは無いが、それでも舌の肥えた日本人。受け入れられない部分は少なくない。

 せめて、パンならばもう少しマシだった。だが、目の前にあるのはグリッツ。救いは無い。

 意を決して、スプーンを左手で握り口をつける辰巳。

 モッチャリとした食感と、塩気の強い味付け。慣れない彼には少々受け入れるには時間のかかる味だった。

 心と味覚を殺して、機械的にスプーンを口元へと運ぶことを繰り返した辰巳は、時間にしておよそ五分でこの地獄を乗り切った。精神的致命傷でげんなりとしていたが。

 苦痛な食事の時間が済めば、次はお勉強。講師はシアン。因みにカティナは、表で使った食器の片づけ、並びに周囲の空き家の捜索に出ていた。

「この世界に存在する術技並びにアーティファクトはいくつかのランクに分かれてします。初級、下級、中級、上級、最上級。一般的に出回っている物は、初級から下級。良くても中級止まりですね」

「上の階級の方が、質が良いのか?」

「そうですね。ですが、階級が高ければそれだけ制御に難があるという事にも繋がります。例えば、私が前に話した火のナイフ。これは初級に該当するものですね。一般人でも使い勝手が良く、広く使われています。ですが、同じく火属性の剣や、槍など下級、或いは中級に該当するアーティファクトは一般人ではまず使いこなす事が出来ません。何故か分かりますか?」

「……適性、とか?火傷でもするのか?」

「おおむね、その通りです。そもそも、これら階級は威力と効果範囲のみで付けられているものではありません。威力が大きく、広範囲を効果の下に置く事が出来ても使用者に過分なデメリットがあれば振り分けられる階級は、下級から中級となります。逆に、特殊過ぎる効果を持っていたり、あらゆる面で秀でながらも使用者への副作用が小さいもの、もしくは皆無なものは上級、最上級となるでしょう」

「な、何か面倒くさいな…………ん?なら、禁呪って言うのは何なんだ?」

「禁呪は……」

 そこで初めて、シアンの口が淀む。

 言葉を探しているのか、或いは見つからないのか、その視線がゆっくりと食卓の天板を滑りそして再び対面の辰巳へと向けられる。

「禁呪というのは、五つの階級に割り振る事の出来ない封印指定の術技並びにアーティファクトを示したものです。主に、『死者蘇生』『時間操作』『異界召喚』などが挙げられますね。タツミ、貴方がこの世界へやって来たのはこの三つ目に該当しています」

「……なら、その禁呪を使えば元の世界に――――」

「戻れませんね」

「……何でだ?」

「理由は幾つかあります。一つは、禁呪を使用するには膨大な量の力、『オド』が必要なんです。あ、オドというのは術技やアーティファクトを使う際に用いられるエネルギーの事です。一般的にあらゆるから発せられていて、世界に満ち溢れる力なんです。これを体内に取り込み、変換する事で術技は行使されます。アーティファクトの場合は、予め刻まれた式が使用に際して周囲のオドを取り込むことで効果を発揮します。長くなりましたけど、禁呪使用の際にはこのオドを大量に必要とするんです。それこそ、才能あふれる導師が十年単位で蓄積させて漸く、といったところでしょうね」

「……他にもあるのか?」

「ええ、二つ目は単純な術の難易度。術技を扱うにはその内容を理解する必要があります。数式などの問題を解く事と似ていますね。そして、禁呪を理解できる導師はこの世界でも十人に満たないとされています」

「絶望的すぎるだろ……俺、帰れるのか?」

「そもそも、タツミ。貴方の場合は、その右手を先にどうにかしなければいけませんよ」

「そうだったな……でも、追撃は止めてくれ」

 天板に突っ伏する辰巳はどんよりとした雰囲気を放ち始める。

 右腕の悪龍だけでも、ハンデとしては異常なのだ。加えての、禁呪そのものの難易度。最早、帰す気が無いのでは、と世界そのものに対してため息を吐きたくなるレベル。

 半ば絶望する辰巳だが、その一方でシアンとしては願ったり叶ったりだったりもする。

 彼女には、彼女の目的がある。その為には、どんな些細な戦力であろうとも手放す訳にはいかないのだ。

 それぞれの思惑の中で、夜は過ぎ去っていく。朝日は変わらず、空へと昇る。

 

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