第7話

 刃物というのは、ただその場にあるだけでは何ものも傷つける事は無い。担い手の意思あってこそ、それらは凶器へと変貌する。

「柄は確りと握れ。片腕しか使えない現状、少しでも握力を緩めればお前は武器を失う事になるぞ」

「はぁ……!はぁ……!」

 もう少し運動するべきだった。そんな後悔を内に抱えながら、辰巳は震える膝を無視して立ち上がる。

 吊り下げた右腕が煩わしいが、だからと言って泣き言は言っていられない。彼は、左手に構えた大型の鉈を握りなおした。

 剣の指南で、なぜ鉈なのか。それは偏に、隻腕のハンデを武器の重さで補うためにある。

 鉈の重さと剃刀の切れ味。日本刀の謳い文句であるが、刃が分厚い鉈というのは重みがそれだけあった。

 何より、刃が分厚いという事はそれだけ頑丈であるという事。攻防を片手で行わなければならない辰巳にとって、鉈は片手振りに対応しながら盾の代わりにもなる代物なのだ。

 最初こそ、人に切りかかるという事に抵抗のあった辰巳だが、今では必死にカティナへとその刃を振るっていた。

 痛みには、学習を伴う。シアンに仕える為に様々な技量を求められたカティナにとってソレは文字通り骨身に刻まれた教訓だった。

 一応の、加減はしている。辰巳の表面、擦り傷、切り傷などは刻めども、行動に支障を来しかねない骨折などに関しては細心の注意を払っているのだから。

「ゼアッ!」

「まだ、踏み込みと振り下ろしが嚙み合っていないな。生半可な一撃は、隙を作るだけだ」

「ッ、そんな埃を払うみたいに……!」

「事実だ。今の貴様の攻撃など、目を瞑っていても対処できる」

 冷淡に吐き捨てるカティナに対して、しかし辰巳は何も言えなかった。

 隻腕であるから、とか。素人であるから、とか。そんな泣き言を言ったところで目の前の相手は手心の一つも加えることは無いと知っているから。

 今一度、得物とした鉈の柄を握りなおして、辰巳は駆ける。

 時間は、有限だった



 筋は悪くない。それが、カティナから見た龍ヶ崎辰巳という少年への評価だ。

 無論、素人であるから戦力として数える事は出来ない。彼を戦力にするぐらいならば適当な傭兵を酒場などで雇う方が遥かに建設的だ。

 手元に置く理由などただ一つ。右腕に封印される形になった悪龍。その力をカティナの主が求めているから。

 日も傾き始めた頃、ボロ雑巾の様になった辰巳が転がり、起き上がれなくなった所で訓練は一時中止。

 実力差があれども、動き続ければ汗も出る。カティナは額の汗を拭い、革袋の中の水を呷ると一息ついていた。

 そんな彼女の元へ、シアンがやって来る。

「どうでしょうか、カティナ。彼は使い物になりますか?」

「現状は、肉盾が精々でしょう。筋は悪くありませんが……一度、その手に掛ける経験をさせねば実戦投入は難しいかと」

「そうですか……」

 時間の無さに、シアンは無意識のうちに右親指の爪を噛んでいた。

 彼女には、彼女の計画がある。その為に、現状爆弾でしかない辰巳を拾ったのであるし、こうして数少ない時間を割いてもいる。

「……仕方ありません。カティナ」

「はっ」

「付け焼刃で構いません。彼に最低限の自衛が出来るだけの技術を明日で覚えさせてください。可能ですか?」

「……防御に限定すれば可能かと」

「十分です。任せましたよ?」

「畏まりました」

「では、私は夜の準備をしてきます」

 現れた時と同じように颯爽と去っていくシアンの背中。本来ならば、従者であり護衛でもあるカティナの仕事であるのだが、その世話すべき対象である主からの命により何も手を出せずにいた。

 汗を拭い終わり、一つ息を吐いたカティナは振り返ることなく、口を開く。

「聞こえていただろう、タツミ。お前には、これから防御を重点的に極めてもらう。私が相手でも、一時間は最低でも持たせろ」

「……ソレを一日でやれって無茶苦茶過ぎないか……?」

「良いから、やれ。お嬢様の時間を食いつぶす事は許さん」

 振り返ったカティナの目は、冷然としていた。少なくとも、辰巳にはこれ以上の軽口を叩けば殺されかねないと思えてしまう程度には、情の一切感じられない目だ。

 返答代わりに、辰巳は鉈を支えに立ち上がる。

 彼にとってシアンとカティナは文字通りの生命線。特に、前者に捨てられてしまえば、彼はこの先で野垂れ死にが確定し苦しんで死ぬ事になるだろう。

 辰巳は元の世界に帰りたい。その為に、彼女らに見捨てられるわけにはいかないのだ。少なくとも、自衛並びに自分で金銭を稼げるようにならなければいけない。

 一つ息を吐き出して、辰巳は考えてみた。どうすれば良いのか。防御一辺倒の戦い方とはどのような物なのか。

 使えるのは、左腕のみ。吊り下げた右腕は単なるお荷物。

 利き手ではない分、現状の左腕は振り下ろすか薙ぎ払うかの二択。

 自然、辰巳の体は動いていた。

(ほう……)

 内心で感心するカティナ。

 今目の前で、辰巳は右足を後ろに引いた半身の姿勢となったのだ。

 左手に立てる形で持った鉈。その刃の後ろに体が隠れるような立ち姿。

 オーソドックスな構えだ。だからこそ、多くの状況に対応できるという事でもあった。

 再び始まる剣劇。だがそれは、先程までとは違い一方が攻め立て続けるというもの。

「ぐっ、くっ……!」

「防御の基本は、根負けしない事だ。負けた時点で、お前の体は切り捨てられると思っておけ」

「んな事、分かってんだ、よッ!」

 返事の威勢は良いが、それでも体の疲労が抜けた訳ではない。

 振るう鉈は今すぐにでもすっぽ抜けてしまいそうだし、カティナの攻撃を受けるだけでも大きく弾かれてしまう。

(くっそが……!どうすれば良い!どう、すれば……!)

 首筋に添えられそうな刃を後方に下がる悪足掻きでどうにかこうにかいなしながら、辰巳は必死に考えていた。

 限界の体力じゃ、踏ん張れない。押し返そうにも、そもそも押し負けているのだからガス欠の状態では逆に押し返され、押し倒される事だろう。

 圧縮された時間の中、そこで辰巳の思考は一種の壁を突き抜ける。

 気付いてしまったのだ。そもそも、何故踏ん張る事に固執しているのか、と。

 人は一定の思考を超えると、急に冷静になる事がある。今の辰巳は、まさにこの境地に立っていた。

(むっ……)

 カティナも気づく。気付きながらも、追撃としての刺突を彼の首元に突きつけんと腕を引き絞る。

 だがここで、カティナの想定を辰巳は超えてきた。

「ッ、アアアアアアッ!?!?!」

 大きく弾かれた左腕を反動にして右足を軸に反時計回り。腕を回した遠心力と、体を回した遠心力。二つの遠心力を掛け合わせ、放たれるのは右斜め下から左斜め上へと駆け抜ける斬撃。

 現状の最速にして、恐らく最も強い一撃だ。それこそ、カティナが反射的にガードして、その上で斬撃の軌道に沿った方向へとジャンプし威力の減衰を狙う程度には強力だった。

 ふわりと宙を舞い、そして着地したカティナ。

 ガードに使った剣を通して伝わってくる衝撃によって若干痺れた手を振り顔を上げれば、辰巳は鉈を振り切った反動を受けたのか仰向けにひっくり返っていた。

「締まらないな。一撃見舞う度に倒れていては、命がいくらあっても足りないぞ」

「いや、ッはぁ…はぁ……!も、もう限界だっての……!」

「……はぁ、仕方がない」

 大の字で転がる辰巳の言い分に関しても分からない訳ではないらしいカティナ。ため息を一つ吐き出すと、剣を鞘へと収めそして徐に倒れた辰巳の元へと近づいてその体を肩に担ぎ上げる。

「あまり、お嬢様の手を煩わせるなよ」

「善処する……というか、こんな軽々と担がれるとは思わなかった……」

「お前は軽すぎる。姫様より力の扱いを学ぶことになるだろうが、筋力も同時に身に付けろ。そして、姫様の役に立つんだな」

「……まあ、助けられた手前、最低限の事はやるさ」

 肩に担がれたまま、辰巳はとある言葉を飲み込んでいた。


――――国を滅ぼしたも同然の仇の俺を、どうしたいんだ?

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