第6話 理由
世界を揺るがせた大事件。
東の国王都の壊滅、並びに国王とその側近の死。この報は、東の国内部のみならず各国を駆け巡り、衝撃と驚きをもって広まっていった。
更に、追い打ちをかけるのが跡継ぎと目されていた王女が腹心と共にその姿を消したという情報だろう。
様々な噂話が錯綜し、真実がどれなのか、そもそも存在しているのかどうかすらも不明の実情。最も有力なのは、先の混乱のさなかに死亡したという説。
とはいえ、それら全て流言飛語の域を出ないものばかり。
そも、今現在東の国の国民たちの目下問題は今日をどうやって生き抜き、明日の朝日を拝むかそればかりなのだから。
行政が機能していない現状。軍部からの取り締まりなどが無く、犯罪の横行しやすい。所謂ところの無法地帯。人間というのは、枷が無くなれば理知的な人間であろうとも平気で罪を犯す。
そんな無法地帯一歩手前の東の国。さっさと離れたいと考えるのが真面な思考だろう。
故に、
「――――まだ、この国でやる事があるのか?」
こうして残ることに、辰巳は必要性を感じなかった。
首から下げた三角巾に右腕を通し、その右腕には黒い革製の手袋に加えてその下には包帯でグルグル巻きに。更にその上から長袖のゆったりとした服を着れば傍目から見て、右腕を痛めた様子にしか見えないという恰好。
辰巳としては、このいい思い出など欠片もない東の国から早々に立ち去りたいというのが本音。それでも、こうして残っているのには、相応の理由があった。
まず一つ。彼はこの世界の知識が欠片もない。言語こそ通じるもののそれだけであり、更に右腕は現状使い物にならない。特殊技能なども持ち合わせておらず、片手しか使えない得体のしれない人間を雇ってくれる場所など無い。
そしてもう一つ。前述の理由と繋がるのだが、金蔓もとい案内役を手放す訳にはいかないのだ。
そんな辰巳の実情を知ってか知らずか、粗末な家には似合わない豪奢なティーカップを傾けお茶を楽しむシアン。そして彼女の斜め後方に待機し、ティーカップに合わせられたポットを持つカティナ。
「少しは落ち着いてください、タツミ。貴方も、お茶の一つも飲めば気も紛れますよ?」
「気を紛らわせなきゃならない時点で、切羽詰まってるだろ」
壁に背を預けた辰巳は、そう言うと厳しい目をシアンへと向けた。
現在、三人が潜伏しているのは王都より少し離れた廃村。
本来は少数と言えども人の住む場所であったのだが、王都混乱の波及を受けたのか住人が逃げ出したらしく彼らが辿り着いた時には既に蛻の殻となっていた。
一応、村民が残していったであろう食料で食い繋ぐことはできている。だがそれは、ダラダラと長居が可能な量では決してない。
だからこそ、辰巳は彼女に問うたのだ。
一方で、シアンにもまた、目的あってこの国に残っている。
「ふぅ……そうですね、貴方にもこの先の展望は教えておくべきでしょうか」
「聞かせてもらえるのならな」
「まず、城へと忍び込みます」
「待て、最初っから爆弾投げ込んでくるな。処理しきれねぇ」
「ちゃんと理由はありますよ。これから旅をするのなら、資金は必須でしょう?ですので、国庫より換金率の良い宝石や金、それから幾つかのアーティファクトを回収するんです」
「……まあ、言いたいことは分かる……アーティファクトってのは?」
「基本、五つのランクで分けられた特殊な工芸品の事です。何れにも、
「へぇー……割とありふれてるのか」
「低ランクものならば、市井にも広がっている事でしょう。一応、アーティファクト専用の店なども存在しますから」
「……でも、国庫ならそんなレベルじゃないんだろ?」
「ええ、勿論。今回探すのは、収納カバンとそれから貴方の武器です」
「俺の?」
「右腕、動かせませんよね?」
シアンの指摘に、辰巳は己の首から下げた右腕へと視線を落とした。
確かに、動かせない。というか、肩口は何かが引っ付いている事は分かるのだが、腕そのものには一切神経が通っていない。
指先一つも動かせない現状、右腕は重いストラップにしかなっていなかった。
シアンは、右手の人差し指を立ててその指先を突きつける。
「異界人である貴方が、元の世界に帰ろうとするならば一人では到底不可能でしょう。何故なら、貴方は右も左も分からないんですから」
「……で?」
「雇ってあげます。私も、手駒がカティナだけでは間に合いませんから」
「俺が、お前の手駒になるのか?」
「今のままでは、無理でしょうね。ですが、貴方は
「
服の上から、右腕を擦る辰巳。ざらざらとした手触りが左手を通じて感じ取れるが、一方で右腕はやはり何も感じなかった。
こんなものが本当に役に立つのか。半信半疑となるのも無理はない。
そこでふと、室内の空気が重くなった。
まるで、水の中に水銀が混じってしまったかのような重苦しさ。
果たして、ソレは現れる。
『ウハハハッ!随分と、欲の深い女だなぁ?』
壁に背を預ける辰巳の上部。黒い靄が彼の右腕より立ち上ったかと思えば、それは瞬く間に集まり赤い光を二つ灯した龍の形を象っていた。
咄嗟に剣の柄に手をかけたカティナがシアンの前へと出て、警戒の色を最大限に滲ませながら睨みつける。一方で、靄の真下という立ち位置の辰巳は首を傾げていた。
「お前、出て来れるのか」
『封と言えども、本職でもないものが契約ありきで結果的にソウなったものだからな。もっとも、ここにあるのは我の残滓も同然。こうして言葉を交わすのが限界というものよ』
「威圧感、すげぇな」
『ウハハハッ!やはり、面白いなぁ小僧。存外、退屈はせずに済みそうだ』
悪龍は上機嫌に笑い、靄の塊である前足で辰巳の頭を軽く二度叩く。実体が無いせいか、叩くたびに靄が散り鬱陶しそうに辰巳は思いっきり顔を顰めていた。
そして、彼は徐に左腕を上へと振り上げる。自然、靄の鼻っ面へと手が叩き込まれる形となり、靄はまるで煙の塊の様に霧散する。
「消えてろよ。というか、揶揄うだけに出てくるな」
『ウハッ!残り滓と言えども、この我にここまでの態度をする奴は早々居らぬだろうなぁ。努々、忘れるな。我の封は決して完璧なものではないのだという事を、な』
不穏な言葉を残して、ここで漸く悪龍の靄は消え去った。同時に、部屋に満ちていた重苦しい空気もまた消えていく。
残るのは、懐疑的な視線と値踏みするような視線の二つ。決して好感情とは言えないものだった。
「……」
「これは、時間がありませんね。カティナ、城へ乗り込むまでに彼に技術の基礎を仕込んでおいてください」
「……宜しいのですか?この男は、制御など欠片も出来ておりませんが」
「悪龍を相手に、ここまで強気に出られるだけでも十分でしょう。制御は追々、覚えていけば良いんです」
そんな会話が目の前で為される中、辰巳の意識は右腕へと向けられていた。
彼は気づいていない。短い時間ではあったが、この世界が彼に与えた影響というものを。その結果、その内面に確かな影響を与えているという事を。
今はまだ、誰も気づいてはいなかった。
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