第50話 最終話

 王宮の正門は花々で飾りつけられ、開かれるのを今か今かと待っていた。


「ああ、凄く緊張してきた」


 震える声でそう告げ、隣に座る王太子を見上げる。

 私たちは屋根無しの白い馬車に乗り、長い列を作る衛兵達と、王宮を出る寸前だった。

 王太子は私の背中に手を添え、上下にさすってくれながら小さく笑った。


「さっきから何度も深呼吸してるね。過呼吸になってしまうよ」


 門の隙間から、沿道にすし詰め状態で並ぶ群衆達が見えているのだ。ここから先、結婚式を行う王都の教会まで、一体どれほどたくさんの人々が私たちを見に集まってくれているのか。

 馬車は腰から上まで360度丸見えなので、指先まで皆に見られてしまう。

 そう思うと極度の緊張を抑えきれず、ウエディングドレスの裾を整え、短いなりになんとか纏め上げた髪が乱れていないか、触って確かめる。

 この短時間にもう何度確認したか分からない。

 対する王太子は慣れているのか堂々としたもので、席に静かに腰掛けている。

 黒いジャケットは彼をいつも以上にシックに見せ、肩章や勲章が陽を浴びて黄金の光を放ち、華を添えている。

 茶色の瞳は明るい日差しの下でははしばみ色に見え、いつもとはさらに違う印象を与えている。

 王太子がジロジロと見ている私を振り向く。


「どうしたの?」

「ユリシーズ、カッコ良過ぎて狡いわ!」


 並んで座る自分がみっともなく見えるのではないかと、心配になってしまう。

 王太子は少し驚いたように目を見開いた後、柔らかく微笑んだ。


「リーセルも、眩しいくらい綺麗だよ」


 そう言うと王太子は顔を傾け、私に顔を近付ける。キスされることを予測した私は急いで仰け反り、頭を左右に振った。


「口紅が取れちゃうから、だめ」


 抗議すると王太子は溜め息をつきながらも私から離れ、大人しく前を向いた。

 代わりに彼は私の膝をポンポン、と叩いた。


「そんなに硬くなることはないよ。――目が溶けそうなほど、リーセルは可愛いから」


 流石に褒め過ぎ、と言おうとしたけれど、やめておいた。なんとなく王太子は本気でそう言ってる気がしたし、今この場では私もそのくらいの自信を持たないと。




 一番先頭にいる衛兵に動きがあり、いよいよ門に手が掛けられ、ゆっくりと外側に開かれる。

 衛兵達が前進しだし、馬車の御者が馬に歩き出すよう命じる。


(ああ、いよいよ。ついにこの時が!)


 王太子がぎゅっと私の手を握る。

 幸せな一日になるはずなのだが、ユリシーズと結ばれる喜びより、壮大な見せ物になることへの気後れが、今は圧倒的に勝る。


「お妃様、笑顔、笑顔!」


 後ろの馬車に乗る教育係の伯爵夫人が、私に注意を促す。

 馬車が王宮を出ると、私たちは凄まじい歓声に包まれた。


「王太子様! ご結婚おめでとうございます」

「妃殿下、こちらを向いて下さい!」


 沿道に溢れんばかりに集まった人々が、小さな旗や手を振っている。その光景が、視界に入る道の先までずっと続いている。

 経験したことのない極度の注目を浴び、全身が総毛立つ。だが、恐怖は一瞬で吹き飛んだ。


 私たちを待っていたのは、笑顔の洪水だった。老若男女を問わず、詰めかけた人々から向けられているのは、祝福と歓喜だった。

 私の引きつる笑顔が、自然な笑顔に変わる。

 右手をお淑やかに振りながら、隣の王太子を見上げると、彼も輝くような笑顔を群衆に向けている。

 皆の興奮が私にもこれ以上はないほど、伝染する。

 自分の幸せな日を、見ず知らずの人々から祝福され、喜んでもらえる。


「こんなに嬉しいことって、あるかしら?」


 思わず呟くと、王太子はにこやかな顔を沿道に向けつつも、私に答えてくれた。


「これからはきっともっと、嬉しいことが続くよ」

「そうね……」


 きっと今まで経験したことのないような、大変なこともあるだろう。でもこの幸せの絶頂のような日を糧に、地道に歩いていきたい。


 馬車の速度はかなり遅めだけれど、一生懸命手を振って私たちに声を掛けてくれる人々の前を、それでもあっという間に通り過ぎてしまう。

 きっと朝早くから、並んでここで待っていてくれたに違いないのに。

 前を見ると、教会まではまだかなり遠い。

 ふと楽しいことを思いつき、私は王太子を振り向いた。


「ねぇ、魔術を今使ってもいい?」


 王太子は沿道に向ける表情を崩すことなく、口を開く。


「今? なぜ?」

「ここに来てくれたみんなに、水の蝶を見せたいの」


 王太子の笑顔が、水が引くようになくなる。

 振っていた手が止まり、瞳から一瞬で表情が消えた。


(怒らせた? 結婚式で魔術を見せるなんて、そんなにとんでもないことだったかしら?)


 もしかして王太子妃は魔術を人前で披露してはいけない、という決まりでもあるのかもしれない。

 後ろにいるであろう、教育係に聞きたくて仕方がない。

 伯爵夫人を振り返ると、横から肩に手が伸びてきて、前を向かされる。


「ユリシーズ、私…」


 最後まで言えなかった。

 王太子の顔が私の視界を塞ぎ、彼の唇が私の言葉を封じた。

 群衆がさらに盛り上がり、歓声が耳をつんざく。

 王太子にキスをされた私は、座席の上で完全に硬直した。

 唇が離れると、王太子は至近距離から私を見つめた。さっき私が言ったことをなんで無視するのよ、と文句を言ってやろうとして、けれど言葉が霧散する。

 王太子の目が少し充血して、なぜか涙が滲んでいるのだ。


「ユリシーズ?」

「――見せてくれ」

「えっ? 何?」

「私に水の蝶達を、見せて欲しい。あの万華鏡のような、夢のように美しい色とりどりの蝶達が舞う姿を」


 その台詞は随分感傷的に聞こえた。

 覚えは全くないのだが、王太子に水の蝶を見せたことがあっただろうか?


「いいのね? 今魔術を使っても?」


 王太子は優しく頷いてくれた。

 早速目を閉じて、両手の平を上に向ける。


「集まれ、水の粒子達よ」


 水の粒が集まり、私の手の上を小さなガラスの球のようにクルクルと回っていく。

 祖父の教えが脳裏に蘇る。

 私が心の中に思い浮かべる、最も美しい蝶を。

 目を閉じたまま、自然と笑みが溢れる。

 心の中を深く覗くと、私の幸せが眩しい光を放ちながら、魔術となって溢れ出て、手の上に流れていく。

 周囲から聞こえる歓声が驚きの混じったものに変わり、目を開ける。

 視界いっぱいに、舞う蝶達が見える。

 この世のありとあらゆる色を纏い、日差しを受けて輝く蝶達。

 優雅に羽を動かす彼らは、私の手の上から次々に繰り出され、馬車が通り過ぎた道筋を残していくように、散っていく。

 私が最後の蝶を放ち終えると、蝶に片手を伸ばしていた王太子が呟いた。


「皆、嬉しそうだ。私もやってみせようかな」

「だめよ、あなたは魔術が使えない設定なのを、忘れたの?」


 すると王太子は「冗談だよ」と笑った。

 強大な魔術を持ちながら、人前では使えないフリをしないといけないことは、今の彼には生まれ変わってから、おそらく唯一思い通りにできないことかもしれない。


 前方にいよいよ教会が見えてきた。

 灰色の石造りのファサードを飾る、ステンドグラスが美しい。

 改めて深呼吸をして、正面を見据える。

 教会の中にはバラル州から駆けつけた祖父や弟、それにアーノルドとカトリンもいるはずなのだ。


 沿道に整然と並ぶのは黒と銀の制服を纏う、王都警備隊だ。

 だが、彼らの中に今日はマックがいない。彼は私の親友として、今教会の参列者席に座っているからだ。シンシアの隣に。


「シンシアの正装を見るのも、楽しみだわ。今思えば学院ではローブ姿かパジャマ姿しか、見なかったから」

「たしかに。――マックが惚れ直しちゃって、今頃せっせと口説いているかもな」

「シンシアもマックの一張羅を見て、彼を幼馴染から恋人候補に切り替えてくれるかもしれない」

「マックは将来有望な魔術師だしね」


 ふと不思議に思って、首を傾げる。


「殿下は学院時代、マックとはあまり仲が良くなかったのに」

「そうだね。でもマックは人材としては極めて優秀だ」

「そうでしょう? 私の周りには魅力的な良い人ばかりいて、私の自慢なの」


 二人の仲は大いに応援したいし、二人が恋人になってくれたら私としてはとても嬉しい。

 でも、誰を好きになるかはシンシアが決めることだ。彼女の意思を第一に尊重しなければ。


 馬車がついに教会の正面に停まる。

 先に降りた王太子の手を借り、身だしなみを崩さないように慎重に地面に降り立つ。

 純白のドレスの裾がふわりと広がり、長いケープのレースが後ろに流れる。

 開け放たれた教会の両開きの大きな扉の中から、讃美歌が聴こえてくる。

 花々が飾られた建物の中は、参列者たちの色とりどりの正装で華やかだ。


 入り口から教会の祭壇の前まで、深紅の絨毯が敷かれ、私と王太子の歩む道を作っている。

 二人で並んで待っていると、カゴを肘からぶら下げた愛らしいドレス姿の子供達が、敷居部分の絨毯の上に桃色の花弁を撒いてくれた。

 ヒラヒラと舞うその最後の一枚が深紅の上に音もなく落ちると、私は王太子の腕に手を掛ける。

 私たちは視線を交わした。

 王太子が囁く。


「さぁ、行こうか」

「ええ。行きましょう」


 私たちは桃色の花弁の上に、足を踏み出した。




 完

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王太子様、私今度こそあなたに殺されたくないんです~聖女に嵌められた貧乏令嬢、二度目は串刺し回避します!~ 岡達英茉 @okadachi2020

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