第49話 新しい日々

 王都の目抜き通りを歩くのは、久しぶりだった。

 秋の夕日が眩しくて、帽子を真深に被った状態で、少し後ろを歩くカトリンの手を引いて進む。


「お嬢様、速いです。もう少しゆっくり歩いてください」

「五時までに帰れと教育係がうるさいのよ」

「門限が早すぎじゃありません?」


 カトリンが王都に遊びに来るのは、初めてだった。

 だから私としては、彼女に王都の最先端のドレスやアクセサリーをたくさん買って、バラルに持って帰って欲しい。

 久しぶりに会えたのだから、もっと長く滞在してほしいが、王都にいられるのは五日間だけなのだ。バラルの方も、色々と今忙しいらしい。

 私も結婚式の準備で忙しく、王宮を出られるのがこの時間しかない。来月からは更に自由に過ごせる時間が減ってしまうだろう。


「もう十分買っていただきました。そろそろ王宮に戻りましょう」

「あと一軒。どうしても生地屋さんに行きたいの。お金のことは心配しないで。王宮魔術師の給料はかなり高かったから」


 正直言って、今は無職だ。

 半年ほど前のある日のこと。突然、王宮魔術師を首になってしまったのだ。

 その上、寮を追い出されてしまった。

 代わりに王宮にやたら豪華な部屋を与えられ、そこで毎日教育係から結構厳しめの妃教育を受けている。


 お目当ての店のドアを開け、中に入る。

 思ったより空いている店内にほっとして帽子を脱ぐと、中にいた三人の売り子たちが一斉にざわつく。


「王太子妃殿下よ!」


 正確には「王太子妃殿下(候補)」なのだが、馬上槍大会以来、私の顔は王都中に広く知られてしまっていた。


「私の侍女に、レース生地を買いたいの。おすすめがあれば、教えてくれるかしら?」

「ええ。ええ!もちろんですとも!」


 売り子たちは満面の笑顔で頷いた。

 店内の椅子に座り、次々に売り子たちが持ってきてくれるレースに目を通す。

 機械で作ったもの、手製作のもの。二色以上の糸を使ったもの。

 さすが王都で一番人気のレース屋なだけあって、どれも単調な模様ではなく、細い糸を使った繊細なレースで目移りしてしまう。

 けれど、いまいちピンとくるものがない。

 どうだとばかりにレースを広げる売り子に、改めて聞いてみる。


「このお店で一番高価なものや、豪華なものが欲しいのではないの。あなた達が、家族の中で一番大切な女性に贈るとしたら、どのレースにするかしら?」


 そう尋ねると、売り子たちはハッと目を見開き、少しの間考え込んだ。そして店の奥に向かうと、三人は一枚のレースを手に戻ってきた。今度は三人の意見が一致したらしい。

 それは丸い小さな果実を咥えたコマドリと、雪の結晶が舞う模様が施されたレースだった。

 冬の一場面を切り取ったはずなのに、見つめていると、不思議な懐かしさを覚える。

 糸の処理も丁寧で、レースの端から端まで、一つとして同じ図案がない。

 そっと生地を手に取ると、自然と口元が綻ぶ。


「いいわね。私は好き。カトリン、これなんてどう?」


 顔を上げて隣に座るカトリンに視線を移すと、絶句してしまった。カトリンは目を真っ赤にして、私を見ていた。


「どうしたの!?」


 カトリンの目から、涙が流れ落ちる。直後に鼻を啜ると、彼女は小さく笑って感慨深げに呟いた。


「私のお小さかったお嬢様は、いつの間にこんなに思いやりのある女性になられたのでしょう?」

「カトリン……」

「なんだか嬉しいようで、少し寂しい複雑な気持ちです。お嬢様はもう、私が見守って差し上げる必要がなくなられた」


 たまらず、手を伸ばしてカトリンに抱きついた。

 バターン、と店の扉が全開に開けられたのは、その直後だった。


「やっと見つけた!! まったく、こんな所に!」


 カトリンから手を離し、びっくりして店の入り口を見るとそこには肩で息をするマックがいた。

 つかつかと大股でこちらに歩き出し、けれど王都警備隊の黒いマントを扉に挟んでしまっていることに気づいて、片手で乱雑に引っぱり出している。

 どうしてここに? と駆け寄ると、マックは少し怖い顔で捲し立てた。


「門限まであと十五分だよ! 何やってんの。殿下は四時半からソワソワしだして、リーセルに何かあったんじゃないかと何度も王宮を出ようとして! さっき王都警備隊に王太子妃の捜索をしろと命令が飛んできたんだよ」


 まだ王太子妃じゃない、という突っ込みをする暇はなかった。

 急いでレースの代金を支払うと、私とカトリンはマックに引き摺られるようにして、店を飛び出た。


「はやく、馬に乗って。俺が後ろに乗るから。言っとくけど、飛ばすからね」


 店の外には王都警備隊員がもう一人いて、カトリンは彼の馬の背に乗せられる。

 馬が走り出すと、マックは後ろから言った。


「いくらバラルからカトリンが遊びに来てるからって、王宮から出かけるなら衛兵を連れて行ってくれないと」

「衛兵は王族を護衛するのよ。私、まだリーセル・クロウよ?」

「来月にはクロウじゃなくなるだろ。――ま、そもそも殿下もリーセルに過保護だよなぁ。門限五時って、子どもか? 一度目の件が絶対影響してんだろうね、コレは」

「それにしてもあなた、よくあのレース屋が分かったわね」

「俺、こう見えても観察力あんのよ」

「凄いわ。……私がシンシアだったら、絶対にマックに惚れてるのに」

「それ、殿下の前で絶対言わないでくれよ。俺が殺される……」


 馬を爆走させて、どうにか王宮の敷地内に飛び込む。マックに手伝ってもらって背中を滑り降りると、丁度五時を知らせる鐘の音が遠くから響いた。

 門限を破らずに済んだ。


 ほっと安堵に胸を撫で下ろした矢先、建物の正面入り口から、王太子が姿を現した。

 いつもは温かみのある茶色の瞳が、少し不機嫌そうに据わっている。彼はまずマックに話しかけた。


「マック、流石は王都警備隊だな。仕事が速い」

「なんとか間に合いました」

「リーセル。頼むから、私をダメ人間にしないでくれ。心配で公務に支障が出てしまう。門限を守ってくれないなら、今後はやはり衛兵を…」

「守ります、守ります!」


 馬に揺られて髪がぐちゃぐちゃになったカトリンが、馬から降りる。三半規管がおかしくなったのか、フラフラの足取りで王太子の前までやってくる。


「殿下、申し訳ありません。私のせいです」


 王太子はどこか感慨深げにカトリンをじっと見つめ、柔らかな笑みを見せた。  


「カトリン。貴女には私からも、たくさん贈り物があるんだ。明日バラルに帰る時は、クロウ卿やイーサンへのお土産も持っていってくれ」

「アーノルドにもあるわよ! 王都最先端の筋肉鍛錬商品だから、有頂天になってくれること間違いなし!」

「ありがとうございます。皆様、喜ばれます」


 カトリンの心から嬉しそうな笑顔が、私も嬉しい。

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