第10話
「その首のひらひらしたものは、お前のいう『モテる』ための道具なのか」
「当たり前じゃないか。ボクはね、常に女性からの目を意識しているのさ」
「答える気が無いのならもう聞きはしないが、……メスが存在しないのに何を言っている」
パブは顎をグイン、と上げビーと並ぶと並走しながら見下すようにビーに言う。
「そりゃあメスが存在するのは、人間……人間しかいないだろう。人間の女性さ」
「聞いた俺が悪かったな」
前足を少し高く上げ、加速しようとするビーに対しパブは「まあ待ちたまえよ」と言って引き止めた。
「人間に好かれればキメラにとってはいいことしかない。それには女性に気に入られるのが一番手っ取り早いのさ。ケットシーなんかはそのいい例だろ? やつらは本来の狡猾さを隠し、愛らしい人間の隣人のような顔をして近づき、ヴィラゴシスの文明都に行った。なにもこんなレースで優勝しなくとも、彼らに取り入れるかもしれないじゃないか。
だけどね、そんなことよりも本音をいうと……人間の女性は美しい、美しいものを欲するのは生物として自然なことじゃないかね?」
「そうか。エゴに染まった愚かな持論だ。全く共感はしないな」
「ハハッ、手厳しいね。流石孤高の狼フェンリルだ。容赦ないね」
パブは「だけど」と前置きをした上で、ビーと同じく前を見据えて僅かに声を低くして言った。
「ボクたちキメラは文明人に作られた模造品さ。個性を持つのは当然、ボクと君との意見が食い違うというのはむしろ誇るべきところじゃないかね」
「答える義理はない」
ギュン、と風を千切るような音がパブの耳を抜けたかと思うと今話していたところにビーの姿はなかった。
「っひゅう、意外とすぐムキになるタイプなんだ」
パブはその場からビーが消えた理由を理解していた。理解していたからすぐに前に首を戻したのだ。
案の定、目の前の数十メートル先にビーが走っている。パブが話し掛けたときと同じく、銀色の尾を揺らしながら。
「あ~あ、怒らせたらダメじゃないの。彼があのままのスピードで一着だったら僕たち後続のザコなんかはなんの見せ場もないまま終わっちゃうじゃないの。そうなったらきっと心労で僕ちゃんの胃が穴だらけになっちゃってきっと死ぬんじゃないの?いっぱい血出るんじゃないの」
パブに追いつくか追いつかないかの距離を保っていたシーサーペント属のガガガが、置いて行かれたパブに話し掛け、やけにネガティブな思考に着地した。
「ふふ、相変わらず負の方向に思考するんだな君は。心配ないさ、彼が短気だってことはみんな知ってる」
「当たり前じゃないの。勝てるとか勝つつもりでいたら敗けたときに死んじゃうじゃないの。心配じゃないの。フェンリル属は冗談が通じないんだよ? 冗談が通じないということは君が怒らせたことによって、彼が僕ちゃんに牙を剥いちゃうかもしれないじゃないの。しんじゃうじゃないの」
「バトルになればむしろ君の方が有利だろう? 特に水辺なら……ね」
呆れたようにふぅ、とため息を吐いたガガガは「期待なんてしちゃいけないじゃないの」とゆるくパブを追い抜いて行った。
「みんな、もっとレースを楽しまなきゃ……モテないよ」
各予選チームのスタート地点から合流するα地点までは、それぞれのコースがほぼ予選で競ったものを同じコース。
一度そこで協議している彼らからすればこれはパレードコースのようなものだ。ここで張り切っても仕方がないことをしっている。
真にレースの本番は……αコース、いやβコースからだろう。ゴッデスカップに参加している全てのキメラたちの顔ぶれがそろったその時だ。
■ゴッデスカップ 本戦 1日目 α地点 グリーンエリア
緑の森が茂るα地点は、グリーンエリアと言う名がつけられていた。
各予選組は皆、最初にここをくぐるのだ。現在のところ、α地点を通過したのはジャック、リンドウ、それにフェンリル属のビーの三名である。
ジャックは最初からスピードを飛ばし、仮初の先頭に浸っているが後続のリンドウ、ビーはスピードをセーブしながら、様子を伺っている。
そんなビーたちの後を遅れてガガガとパブ追う。
次に姿を現せたのは予選C組のスレイプニルのカボッタ、カーバンクルのヴィヲン、ベヒモスのズブロッカである。
スレイプニルのカボッタを除いて、ズブロッカとヴィヲンは空を飛べない。よってグリーンエリアの地上を走っていた。
カボッタも空は飛べるが、あまり飛行は得意ではないため体力温存のために地上を走った。
そして10番目にドラゴがようやくα地点を通過。
不満そうな顔でドラゴはゆっくりとしたスピードで飛行しながら、ライドがなにかを喋るのを待っていた。
「なんだよ、まだ納得してないのか?」
「するわけじゃん……。だって、僕たち10位だよ?」
空中に大きく表示されている電子画像には現在の順位が映し出されていた。その中でもドラゴたちは11名中10位。
凡そ納得できるような順位ではない。
もちろん、ドラゴの性格上、全力での順位ならばいいのだが全く力を残している状況でのこの現状に、少なからずとも不満があるようだ。
しかし、だからと言ってドラゴは一人で飛行が出来ない。……よってライドに従うしかない、というわけなのだ。
「おい、ドラゴ……ちょっと待て、10位っていったなって?」
「そうだよ……僕たちの後ろにはたったひとりだけしかいないよぉ」
ライドは中腰になると体勢を崩さないように後ろを振り返った。
「見えない……、まさかなんてこった!」
「え?」
ライドは歯ぎしりをして悔しそうに叫ぶ。
「なんで最下位じゃないのかと思ったら、やられたって! 同じこと考えてるやつがいたとは……!」
憤るライドに訳がわかっていないドラゴは、動揺した様子で「ど、どうしたの? 最下位じゃないならいいじゃないか」とライドに向けて言うが、ライドはグリップを握る手を強く握ると苛立ったように答える。
「俺は最下位でこの本戦に出てやがる連中を全員この目で確かめてやろうと思ってたんだよ! なのに、10位ってことは奴も同じことを考えてやがった」
「え? え?」
「いいかドラゴ。こういうデカくて数日にまたがるレースはな、真っ先に飛び出したやつと、俺達のように後続で様子を見るタイプに分かれる。どっちもレースの本質を分かってる奴だって。だけど今回のメンツに俺みたいに後続から実際のプレイヤーを確認して作戦を立てるタイプは誰もいなかった。……奴を除いてな」
「や、奴って……!」
こうなっては仕方がないと、ライドはギアを一つ上げスピードをセカンドに乗せた。これまで散々低速で飛ばされていたドラゴは、一段階上がったスピードに戸惑いながらも、「誰がきてるの!?」とライドに尋ねた。
「わかんねーのかよってアホゥ! 奴は奴だ! ガーゴイル属……アンダーク!」
蒼黒く巨大な翼を大きく羽ばたかせながらガーゴイル属アンダークが、ドラゴの背を真っ赤な目で見詰めながらゆっくりと飛んでいる。
「作戦変更! ちょっとペースを上げるぞ!」
「う、うん!」
ドラゴは返事をしながら内心は(最初からそうして欲しかったんだけどなぁ……)と呟いていた。
レースのルールは単純である。
ゴールを目指していいのは日中。日没と共に空中モニターと各キメラたちに手配されたベルがタイムオーバーを告げ、そこまでが活動できる時間の限界というわけだ。
仮にそこから10メートル以上の前進をした場合、即刻失格となり翌日からのレース参加権をはく奪される。しかし、逆を言えば後方にならばいくらでも下がってもいいということになる。
翌日からのレース開始位置は、原則的には前日のポイントからだが、ポイント後方からも認められている。
各予選スタート地点からα地点→β地点までで大体一日目を使うと予想されている。
だが二日目から三日目にかけて到達されると予想されるΘ地点は、Δ1コースとΔ2コースと二つのコースのうちひとつのコースを選択でき、これが運命の分かれ道になる。
このΘ地点からφ地点までが最も長く、残りの期日をいっぱいに使ってのレースになる。
α地点、β地点のコースは公表されているため、各キメラはある程度の予測とシミュレーションを行ってレースに挑んでいるが、Θ地点からは完全に伏せられておりやはりこの地点からが鬼門になるのだ。
レースに参加しているキメラたちは当然のこと、ダービー券を買っている予想客たちからしてもそれは同じ。
データがない分、Θ地点からの予測が困難であった。
「そういった点も諸々踏まえて、お前は一体誰が勝つと思う?」
ターロ姫の父グラントは、特別観覧席でそうターロ姫に質問をした。
「いつも同じ質問しやがるんですね。グラント王様」
「それはそうだ。お前はこのレースの目玉賞品だからな。是非、聞いておきたい。答えにくいようなら質問を変えてもいいぞ。『誰が勝つと思う?』じゃなく『誰に勝ってほしい?』でもな」
グラントの意地の悪い質問に、ターロ姫は「ちっ」と舌打ちをした上で「そんな者はいねーですわ」と眉間にシワを寄せ瞼を閉じる。
「……ほう。そうなのか? 私はてっきり、あのドラゴンに勝ってほしいのかと思っていたぞ?」
「!?」
ターロ姫の顔つきが変わり、グラント王を睨みつけた。
やれやれと笑ったグラント王は、コロッセオに映るドラゴに目を移すと「まぁ落ち着きたまえよ、ターロ。なにも私はお前を怒らせようとしているわけじゃない。ただ、お前の思うキメラが勝てばいいな。……そう思っているだけだ」、そう言って笑った。
「相変わらずいい性格してやがりますわ……グラント王様、いえお父様」
「お前に褒めてもらえるとはな。今日はいいことがありそうだ。ははは」
憎らし気にグラントを睨みつけるターロ姫に意を返さず、グラントは真っ赤なワインを片手にモニターの映像を見詰め、あることを想った。
(ふん、お前がドラゴンライダーの村の出だということは、皇族にくる前から知っている。どこまで隠しても、お前のしていることは知っているのだ。ターロよ)
一方観客席の皇族来賓席では、第二王女のヨーリとカシタ皇太子が相変わらず仲睦まじげに観戦していた。
ケットシーのミュウは、スコーンとガレット。それに3年もののワインを用意し、ヨーリに呼ばれるのを待ちながらモニターのレース展開を眺めている。
(始まったニャスね。それにしてもドラゴを除く連中に関しては、妥当な選出メンバーではあるニャスが……ズブロッカにカーバンクル。元々予選Cは特別強いキメラが不在のエリアニャス。仕方がないとはいえ、中々ヒドイキャスティングニャスな。それよりも気になるのはやはりガーゴイルのアンダーク……。誰もガーゴイルなんてキメラ聞いたことないにゃす。しかもリザードマン種なんて、露骨に怪しすぎる種属。十中八九、グラント王の策略ニャスなぁ。そして三日目からのサプライズ……)
「ねぇ、ヨーリ姫。三日目のサプライズってやっぱり、あの二体かな!?」
ケットシーの思考を払うようなカシタ皇太子の言葉。ヨーリ姫はカシタ皇太子の顔に自分の顔を必要以上に近づけると、にんまりと笑った。
「ええ、それしか考えられないわ。ですのでおそらく……ほとんどのキメラがΘ地点に辿り着く三日目からがこのレースの本番。それまではお遊戯の延長だと思っていた方がよいですわね」
ミュウは二人に気付かれないように溜息を吐くと、動く訳にもいかないその位置でただ真っ直ぐモニターを見つめ続ける。
「ミュウ、喉が渇いたわ。アイリッシュティーを頂戴」
「かしこまりました。ホットでよろしいニャしょうか?」
「なに言ってるの!? コールドに決まっているじゃないの! やっぱり貴方は馬鹿な猫ね!」
ミュウは「これは失礼いニャしました」と静かに謝りながら、ワインボトルに入った冷たいアイリッシュティーをグラスに注いだ。
~αコース・グリーンエリア中間地点~
「クッソォ! なんなんだよォ!」
依然、先頭を行くのはジャックだ。
だが苛立ちを蔓延させる怒鳴り声を上げているのもまた、ジャックだった。
ジャックの後続にはすぐリンドウがおり、それは彼が先頭で飛び出てから変わっていない。変わっているのは、その構図ではなく第三者の存在であった。
2位のリンドウを追随し、ジャックにまとわりつくように追いかけているのは……フェンリルのビーだ。
「大体なんでフェンリルが空を走れるんだ! 反則じゃねえのか」
ジャックが苛立ちをぶつけるようにビーにそう怒鳴ると、ビーはやはり表情を変えずに答える。
「反則? それはお前が勉強不足なだけだ。今大会ではアイテムの使用は許可されている。俺は“スカイライン”を使用しているだけのこと」
そういったビーの尻尾の付け根に青く光るリング。これこそが彼のいう“スカイライン”というアイテムらしい。
「知ってるよ! そうじゃなく実力で戦えっていってんだ!」
「空を走るのが実力じゃないのか?」
ビーは、一定の距離を保ちながら走りつつジャックと話を続ける。
「それよりもお前、そんなにも序盤で飛ばして大丈夫なのか」
「ハッ、他人のこと心配してる場合かよ! 俺はこのままトップで優勝してやるんだよ!」
「……そうか。ではお前がこの先俺のライバルということになるのだな」
ビーがそのように話すと、ジャックはまんざらでもないような顔で「へへ、見てろよ」と笑ってみせた。
それを口を挟まずに見ていたリンドウは、息子であるジャックの敗北を確信していた。いや、敗北というより……ジャックのリタイアを予見したのだ。
現状トップではあるものの、すでに体力の消耗が始まっているジャックと、ジャックと同じスピードでついていきながらも全く呼吸の乱れのないビー。
回復系のアイテムをジャックが所持しているとして、それをいくら使用したところで回数は決まっている。それに体力が万全で、トップスピードを維持し続けることが出来たとしても、それが勝利に直結するかといえば、そうとは到底思えない。
ビーのジャックに放った「大丈夫か」という言葉にはそれらが全て含まれていたと考えるのが自然……。
そばにいて彼らのやりとりを聞いていたリンドウだけが、その意味を理解していた。そして、それは同時にビーがどれほど手ごわい相手かということも理解したのであった。
リンドウは、自らの持つアイテムバッグの中身を想った。
ジャックのアイテムバッグの中身が全て回復系だと踏んだのは理由がある。根拠があったからだ。
(ちっ、親子は似るんだよな)
そう、リンドウもまた持っているアイテムはほとんど回復系のもの。
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