第5話

「ワイバーン種ナルメス! 貴様が現状では制空技術点はトップだ。いいか、ドラゴン種は元々ダービーに向いているキメラとは言えん。なぜならばそもそもは戦ってこそ真価を発揮する荒ぶる種なのだ。どれだけ頑張ったところでフェンリル種や天馬種のペガサス、フェニックスにはスピードでは勝てん!」



『じゃあ自分たちのやっている訓練は無駄ではないのか』


 ナルメスを除いた6体のドラゴンたちは不安げな表情でパットギス隊長をちらりと視界の外れで覗き見る。


 パットギス隊長はそんな視線を感じつつも敢えてボリュームを上げた声でもって言い放った。


「今回のキメラダービー本選はな、3日間かけてのレースだ。分かるか、どれだけ早いキメラでも3日間ずっとは飛び続けられない。地形も天候もあらゆるものが変化するコースでは、スピードが全てではないのだ。

 それこを我らドラゴン種が得意とする戦闘能力が有利に動くことだって存分に考えられる! だから、この訓練には特別な意味があるのだ」


 キメラダービー・ゴッデスカップ本選。


 それはターロ姫と結婚する権利が与えられるキメラたちが歓喜に沸いたダービーである。


 キメラは連鎖の頂点に人間が君臨した日から、雌がいない。どのキメラも雄しか存在しないのだ。そのため、子孫を増やすにはかなり限られた方法しかなく、それはもちろん交配からではない。


 人間の手で人工的に受精した研究施設から、人工的に命が与えられたキメラが生まれる。そうやって、ドラゴやナルメス……パットギス隊長でさえも生を与えられたのだ。


 更にキメラは寿命が人間の3倍以上はある。それゆえ、人工的に子孫を創るスパンも長いというわけなのである。

 ターロ姫と結婚する権利を得たからと言って、彼女とキメラが交配し子を産めるわけではない。だが、少なくともターロ姫を妻にするということは【王族】に属することが出来るという意味にもなるのだ。


 そうすれば、王族となったキメラの種は見ずからの種の『雌』を作るように働きかけることが出来るかもしれない……。いや、どのキメラたちも出来ると確信していた。


 子孫繁栄という本能が、彼らを突き動かした。


 キメラダービーに大いに盛り上がっているキメラたちもまた、本能なのだ。



 文明王グラントが、なぜ自らの娘を賞品として献上したのか謎は尽きない。だがそんな外見上の謎など、キメラたちにはどうでもよかった。


 ターロ姫と結婚し、王族となって文明と共に生き、そして雌を獲得し子を産む。


 その事実さえあれば他はなにもいらない。その事実だけでいいのだ。



 パットギス隊長が言ったように、これまでのセオリーならばゴッデスカップ、勝ち目のないキメラ種は多い。逆に有利なキメラも出てくる。


 だが本選は3日間の耐久戦といっていい形式でのレースだ。スピード系のキメラはスタミナもないし、レース中夜中の走行・飛行は禁じられているため、純粋なレースというよりは頭脳戦に近い側面がある。


 そのくせ勝敗の付き方と言えば、単純にもっとも早くゴールにたどり着いたものが勝者だ。


 初の試みに、人間の予想屋も荒れに荒れ、どの種が有利かも大きく割れた。


 その中でもドラゴン種は、スピードに不安はあるもののタフさと戦闘力の強さで、暫定的に人気ランクトップ5に入る人気だった。

「ワイバーン属のナルメスがフロントレースのプレイヤーは堅いな。残るあとひと枠はどう決める? ……やはり、レースはレースで決めるしかない、か」


パットギス隊長の一人呟きから、急きょドラゴンたちはレースをすることとなった。上位2名が本戦への出場チケットがかかった『フロントレース』にエントリーする権利が与えられる。


 もはやこうなっては、パットギス隊長の中にドラゴはいなかった。飛べないドラゴンが本戦は愚かフロントレースに参加するなどと到底考えられなかったからだ。



「よぉし貴様ら。今日より3日後の同時刻。フロントレース選抜レースを行う。悔いの無いようしっかり仕上げろよ」


「はいっ!!」


 一際大きな声で返事をしたのはナルメスだ。


 彼の視界にもドラゴの入る余地は……なかった。




 訓練が終わると決まってドラゴは金色の大樹へとやってきていた。


 通常のドラゴンならば自らの翼で大樹の高く太い枝に上がり、この枝に座ることなど容易いこと。


 だが自分のコントロールで飛ぶことが困難であるドラゴはこの枝に一人で登ることなど出来ない。


 ならばどうやってこの枝まで来たのか?


 その答えは彼の隣に座る一人の少女にあった。



「また性懲りもなく落ち込んでやがるのですか?」


「え、違うってそんなこと……うん」


「いつもいつもくだらねーことで落ち込むんじゃありませんわ。そんなに落ち込んでばっかで疲れませんこと?」


「疲れるとか疲れないとかじゃないよ……」


 そういうと『しゅん……』という音が聞こえてきそうなほどドラゴはうなだれた。


 もうお分かりかと思うが、ドラゴの隣に座っているのは文明王グラントの第三王女ターロ姫である。なぜ彼女がこのような場所にいるのかというと――。


「ターロ姫こそ、こんなところに来ちゃダメだろ。今度のゴッデスカップでさ」


「はあ? 何言ってやがるです! ゴッデスカップでそなたが優勝すればいいじゃねーですか!」

 ターロ姫は立ち上がり、ドラゴを指差し威圧的に言いきった。だが言われた本人のドラゴはターロ姫の指先だけをちらりと一度見ただけで、彼女の顔を見ないで言う。


「そんなの……無理だよぅ。だって、フロントレースの選抜試験があと3日後なのに、僕はまだ自力で飛ぶことすらできないんだよ」


「甘えんな! あと3日ぁ? 《まだ3日もある》じゃねぇではありませんか! そなたのすぐに諦めるところは全く関心しませんわ!」


 ターロ姫は立ち上がったままドラゴに距離を詰めると「悔しくねぇのですこと!?」とさらに詰め寄り、ドラゴの着ていたドラゴン用のジャケットの襟を掴む。


「そなたは最強の神獣ドラゴンの末裔だろーじゃありませんか! その最強のドラゴンがそんな弱気でどうすんですか!? わたくしがどこぞのキメラに獲られてもいーのですか」


「それは……イヤ、だけど」


「もういいですわ! あれこれ言ってるこの時間が超勿体ねーです。飛びますわよ!」


「ええ……無理だよぅ」


「たった今諦めるなって言ったところでございましょう!」


 金の大樹は樹齢1000年とも言われている大木だ。数百メートルはあるかと思われる背丈に太い枝。鳥科の生物やキメラたちもこの樹で暮らしているものも多い。


 金の大樹という名前の由来は、朝日が上がる時と、夕日が沈む時の1日に2回、光に照らされてあ金色に大樹全体が光り輝くのだ。


 つまるところ、ターロ姫には夕日に照らされるドラゴが金色のドラゴンに見えていた。気の弱い少年ドラゴンは、とても自力で飛べないとは思えないほど立派で強そうに見える。


 だからこそ確信しているのだ。ドラゴには最強のキメラ……いや、神獣である可能性を。

「ほら、わたくしがまた背に乗ってやるから頑張って感覚を掴むのです」


 そう言ってターロ姫がドラゴの背におぶさると、ドラゴは渋々枝から飛び降りる。ドラゴの体重から解放された枝がぐいん、と震え先になっていた小さな木の実が落ちた。


「この落ちる瞬間、たまんないですわ!」


「そんな楽観的なこと言ってないでちゃんとコントロールしてよ!」


「おまかせあれ!」


 ドラゴの背でターロ姫は翼の付け根をグリップのように捻った。そして足を踏ん張ると前傾姿勢で「直進!」と指示を飛ばす。


「うん!」


 卵の黄身のように丸くオレンジ色の夕日を割るような勢いで、ドラゴは飛んだ。先ほどの訓練とはまるで別人のように安定し、スピードの乗った飛行だ。


「あっははっ! 気持ちい~い!」


「ちょっとターロ姫! 遊びじゃないんでしょ!」



 そう、ターロ姫だけが知っていた。ドラゴは、自分の力では上手く飛べないが、彼をコントロールする存在さえいれば、ドラゴン種の中でも断トツの飛行力を持っていることを。


「こんなにドラゴはすごいんだから、敗けるはずないじゃんですわ!」


「けど、一人じゃ飛べないよぉ」


「しつこい男ですわね。いいですわ、じゃあ試してやろーじゃねぇですわ」


 グリップを手放すとターロ姫は、不安定な足場なはずのドラゴの背で立ち上がった。

「ちょ、ちょっとターロ姫! 危な……っ」


 ドラゴの背に立ったターロ姫は、飛行中に体勢を保てるはずもなくものの数秒持たずにドラゴの背から墜ちてしまった。


「ターロ姫!」


 空中で旋回したドラゴは墜落してゆくターロ姫に向かって凄まじいスピードで追いかけ、彼女を背でキャッチしたが、金の大樹が見下ろす岩山のすぐ近く……。あわや大惨事になるところだ。


「なにやってるんだよ! ターロ姫!」


「……わたくしはわずかな不安も持ってねーでしたわ」


 ターロ姫はそういうと気丈に笑ってみせた。ドラゴはターロ姫の笑顔は見なかったが、背に感じる温もりに溜め息を……。


「ん……ターロ姫、僕の背中でなにか零した?」


「ああ、これはおしっこですわ」


「そっか。なぁんだおしっこか。……おしっこぉお!?」


 空中でドラゴはバタバタと慌てて滴る汁を払おうと暴れ、ターロ姫はそれにしがみつきんがら「あんな高いところから墜ちたんだから怖いに決まってんじゃねぇですか!」と、悪びれもせず失禁したことを高らかに言った。


「信じてたとかかっこいいこと言ってたじゃないかぁ!」


「信じていることと、超怖いってことは別ですわ! それはもうおしっこちびるほど怖かったんですもの!」


「なんで偉そうなんだよぉ! もう!」

「そんなことよりもドラゴ。ちゃんと一人で旋回できたじゃんじゃありませんか」


 ドラゴは小声で「そんなことよりもって……」と呟きながら、キラキラと滴る空を飛ぶ。


「旋回できたっていっても、あんなの一瞬だし……まだまだ僕一人で飛ぶことなんて……」


 ドラゴのもじもじと女々しい態度に、業を煮やしたターロ姫は「あ~もう!」と空に叫ぶと、グリップを握り叫んだ。


「とにかく! トップスピードで行くしかないって感じですわ!」


「タ、ターロ姫っ、急にそんな」



 ドラゴは特異体質とも言える、変わった性質を持っていた。背に誰かが乗り、誰かがコントロールすることでドラゴは無類のスピードとコントロールを誇り、背に乗った人間のコントロールを意思とは関係なく従ってしまう。


 すなわちそれは『乗り物』としてのドラゴンであり、自立して競い合うキメラダービーには向かないという欠点があった。


 だが他のキメラたちはもちろんのこと、ドラゴン種の中までさえドラゴのこういった特殊能力を知るものはいない。その中でドラゴのそれを知るターロ姫は、ドラゴにとっても特別な人間だといえた。


「ドラゴのお父さんって、ドラゴンライダーのドラゴンだったんでしょ」


「うんっ! お父さんはドラゴン種で最速のドラゴンだったんだ!」


 ターロ姫の問いかけに対して、竜ではあるがさながら水を得た魚のように生き生きとドラゴは答える。ドラゴは、父親の話題に対しては特別機嫌が良くなるのだ。


「だからきっとドラゴは誰かと一緒じゃねーとダメなんですわ。お父さんの血を引いたから、誰かがドラゴを操縦しなきゃ能力を発揮できない」

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