第3話

「お、おい……ちょっと待て! 待てって言ってんだろォがぁああ!」


 リンドウの絶叫が木霊し、それをドラゴの通り過ぎる風が無情に斬り裂いた。リンドウのプライドが音を立てて崩れゆく瞬間でもあった。


「ゥドラゴォオオオオオオオオオオ!!!!」



 空中に浮かぶ電子のテープとゲート。それはこのコースのゴールだ。


 先頭を飛んでいたリンドウに、ゴール前20メートルでドラゴは誰も寄せ付けないスピードでぶち抜いた。


 コカトリスやリンドウ、ジャックらが初めて見るスピードでドラゴは鮮烈に一位突破を成し遂げたのだ。




~観戦場コロッセオ~


『フロントレースA、グリフォン種ドラゴン種コカトリス種ワーム種選抜を勝ち抜いたのはなんと……ドラゴ、ドラゴン種ドラゴン属、ドラゴだぁあああああああ!』


 会場は大歓声が木霊し、陸の津波を思わせるほどの轟音が会場全体を呑み込んだ。常に歓声が渦を巻くコロッセオだが、この時のそれはその日一番の大歓声として丸く開いた夜空を劈(つんざ)いた。


「なんと……オッズでも最下層にいたドラゴン属の少年が勝ったのか。ははは、レースとはこうでなくてはならないなぁ、ははははは!」


 グラント王が満足げに高笑いをし、俯きながら高椅子に肘を置き頬杖を突きながら画面から目を逸らす。


「なにがそんなに楽しいんだか、理解に苦しみまくりって感じですわ」

 ふぅ、という溜息もグラント王の笑い声で掻き消された皇族用の特別観覧室の外では、より大画面の近くにある来賓席で第二王女ヨーリと隣国クリファニアの皇太子カシタが興奮に任せて叫んでいた。


「すごい! あのドラゴン属は何者ですの? 是非謁見したいですわ!」


「あんなに小さなドラゴンなのに、直線でのスピードは目を見張るものがあるな! 僕はこれほどまでにエキサイティングなレースを見たことがないよ!」


 カチャカチャとテーブルに置かれたティーカップから紅茶が溢れ零れるのを、ヨーリらの邪魔にならぬよう拭き取りながらケットシー種のミュウは心に思う。


(ドラゴといえば、ドラゴン種でも最弱のドラゴン。自分で飛ぶことすらままニャらニャかったはずのあの幼いドラゴンが優勝とは。ニャにかトリックがあるのか、純粋な努力か、それとも……)


「ミュウ! ワインよ、20年もののヴィンテージを開けなさい! こんなにも興奮するレースであれを飲まないなんて有り得ないですわ!」


「は……。ですが、グラント王から止められているのでは?」


「キメラが文明人に逆らうな! なにかあればお前が責任を取ればいい。わかったら黙ってワインを出せ!」


 ヨーリの肩越しにカシタが厳しい命令調でミュウに命じ、ミュウはそれに反論するはずもなく「かしこまりました」と一度頷きその場を離れた。


(文明人に近いケットシー種が恵まれているのか、そうでニャいのか。こうニャってくるとわからニャいものだニャ)


 コロッセオの地下にあるワインセラーに向かう暗くじめついた通路の中、ミュウはただ一人冷静な視点で思うのだった。

「おい、ドラゴのレース実績見てみろよ」


「えっ!? なんだこれ、全然ダメじゃん!」


 観客の中から前回までのデータを持つ者との会話が聞こえ、数人が集まるようにしてドラゴの一着入賞が如何に異例なことかを語らい合う。


 30センチほどの薄い板上に映し出される電子新聞を手にした者を中心に、持っていない数人がそれに注目しているところを見ると、誰も電子新聞を持っているということではなさそうだ。


「うえぇ~! すっげぇな、これ前回までの戦績全部最下位じゃんよ」


「いや違うさ、前々回のレースの時はワーム種のキメラが途中棄権したから12着だよ」


 同じだろー、というどこからか分からない声が飛び、それぞれがそれぞれの見解を述べる中、結果を知らせるアナウンスがスピーカーから放射状に鳴り響く。



『ただいまのキメラダービー、ゴッデスカップフロントレースAのレース結果をお知らせいたします。一着ドラゴン種ドラゴン属『ドラゴ』。二着グリフォン種グリフォン属『リンドウ』、三着グリフォン種ヒポグリフ属『ジャック』。以上の結果となりました。配当の確定までいましばらくお待ちください』



 アナウンスが結果を告げると、確かめるようにして歓声が再び沸きあがる。そして、興奮が冷めやらぬ内に正面大画面に配当額が表示された。


【298,329.5】


 それが表示された直後、ゼロカンマ数秒ではあるが、確かに会場中が沈黙した。数字の意味に理解が追いつかなかったのだ。

「29万8,329.5倍ぃい~~!?」



 前代未聞の倍率が掲示され、先ほどとはまた種類の違う歓声が沸き起こった。


「だ、誰か取ったのか!?」


 次に観客たちの関心が向くのは、この有り得ない倍率の有り得ない結果に賭けた者がいるのかどうかということだ。


 電子大画面には配当倍率の画面。その下には小さく、そのキメラ券を買われた人数……つまり、『勝った人数』が表示されている。誰もがほぼ同じようなタイミングで、この大金を勝ち取った人間がいるのかを確かめた。



【購入数:1】



「うおおおおおおおっっ!!」


「ひ、ひとりだぁあ! 一人だけが買ってるぞぉお! 誰だっ、誰だぁあ!?」


 キメラ券を購入したのが一人ということは、この大金を総取りしたラッキーボーイを探すのに躍起になるが10万人はいると思われる観客の中からその一人を探すのは、森の中から一枚の落ち葉を探すようなものだ。


 当然、特定など出来るはずもなければ暴動のようになりかけている観客を抑えるため、王族直近の騎士隊が鎮圧に乗り出し更にそれどころではなくなっていた。



「あははははははは! すごいですわ、この熱気! わたくしもこの熱充てられて身体が火照ってしまいそう!」


 ヨーリ姫も興奮状態で立ち上がり、群衆と共に叫びカシタ皇太子と共に大いにはしゃいでいる。

 特別観覧席のガラス越しにその熱狂ぶりを見渡しながら、グラント王も会場の熱を感じていた。


「ふふふ、庶民どもの娯楽は限られているからな。このように大きなレースで大番狂わせがあると、大盛り上がりだ。本選への切符にもなるフロントレースでこの状況だからな、この盛況ぶりを見るに本選がより楽しみになるぞ」



 グラント王がそう話しながらターロ姫を振り返ると、相変わらずターロ姫は退屈そうに俯いたまま一言も感想を話さないままだ。


 短い溜息を吐き呆れると、グラント王は「やれやれ、困ったものだな。こんなにも国民が熱狂しているというのに、お前ときたらまるで興味がないようだ」とした上で、再び観客たちに目を戻す。


「……にしても、たった一人だけあの最弱ドラゴンに賭けた者とは一体どのような者なのだろうな。少しばかり興味が沸いたぞ」


 薄笑みを浮かべてグラント王が呟き、腰の後ろで手を組むのをちらりと見たターロ姫は、やはりグラント王に聞こえないような小さな声で呟いた。



「あのメンツだったら、ドラゴ一択に決まってんじゃありませんか」


 呟きながらターロ姫は、手に握ったキメラ券をグラント王から見えないようにこっそりと眺める。


 ターロ姫が持っていたキメラ券は、『ドラゴ』が一着で入賞するという単勝券……。つまり、このレースでたった一人勝った者とは……ターロ姫だったのだ。



「ま、庶民には大金でもターロたち皇族にははした金ですわ……」


 そのように呟いて、ターロ姫はくしゃりとキメラ券を握りつぶし、ドレスの裾に隠したのだった。

~フロントレースA・ゴール会場~


 ゴールをトップスピードで破った慣性のまま放心状態で、真っ直ぐ飛び続けている背をライドが何度も叩いているのにドラゴは気付いていなかった。


「ドラゴ! ドラゴって!」


 放心状態で目の前にはただ流れているだけの景色。彼の頭の中は真っ白で、全ての思考が静止した状態。なぜにドラゴがこのような状態になっているのかというと……。


「ド・ラ・ゴ!」


 しびれを切らしたライドが持っていたナイフの握りをドラゴの尻の穴目がけて突っ込むと、ドラゴは絶叫と共にようやく正気に戻った。


「な、なにするんだよぅ!」


 涙目……いや、涙を流しながらドラゴはライドに振り返ると、ヒドイ仕打ちをしたライドを責める。だが、ライドはしばらくドラゴを見詰めると……


「なんだよぅ! なんとか言ってよライド! ごめんなさいとかすいませんとかなんかあるだろう?!」


「へへぇ~」


 ドラゴを見詰めると、得意げに笑った。歯を見せて笑うライドの歯は一本欠けており、額にかぶった飛行兵のキャップ、それにわずかな光を反射させるゴーグルが彼らしさを出している。


 ドラゴはライドの笑顔を見て、全く意味不明ではあったがつられて笑った。



「で? どうなんだよ、初めての一番は」

 ライドの質問で、初めてドラゴは自分が成し遂げたとんでもないことを振り返り、また固まりそうになる。


「おい、固まんなアホぅ!」


 すかさずドラゴの背を拳で突く。


「痛っ! 痛いって! ……これ、本当のこと? 夢とか、なんだよね?」


「お前今「痛い」って言っただろって。夢だと思って痛いって言うのは古今東西夢じゃないって相場は決まってんだ」


「じゃ、じゃあ……僕が一番って……本当に?」


 湖の果てから覗き込むような朝日が上がり、オレンジ色の光が空と海と、そして二人を照らしながら影を焼き付けた。


 ゆらゆらと飛び続けるドラゴたちに向けてドラゴン種ケツァルコルトル属のオテテテがやってきた。オテテテの背にはケットシー種の猫型キメラが乗っている。


「フロントレース一着での突破お見事でした。僭越ニャがらお祝い申し上げニャす。おめでとうございます。私はキメラダービー運営委員会のプレイヤーサポート係のケットシー種・ミャオでございニャす。ドラゴ様には本選エントリー権と共に一着入賞なので特別措置が受けられます」


 そう言いながらミャオは小型のカメラをドラゴの正面に向けた。


「ほ、本当に僕が一着? 今まで三着入賞だってなかったのに……」


「これまではこれまで。これからはこれからでございニャスよ、ドラゴ様。さぁ、勝利のコメントと本選への意気込みをどうぞ」


「ほらドラゴ、ドラゴン種唯一の本選出場プレイヤーとしてなんか気の利いたこと言う言う」

 オテテテがドラゴにコメントを急かし、困ったドラゴは背に乗るライドを自信なさげに見た。


 ライドは黙ってニヤニヤと笑って頷くだけで声はかけてくれない。困った顔のままカメラに向き直ったドラゴはぎこちない表情(本人は笑っているつもり)でカメラに話し始めた。



「が、がんばって……タ、ターロ姫をそのあの……もらいたいっていうか、あ、なんか物みたいな言い方しちゃったけどそういうことじゃなくって、あのがんばって、がんばって……その」


「めっちゃがんばってって言う言う」


 可笑しそうにオテテテが突っ込むのをミャオが止めると、「いいですよ。焦らないで」と優しく言った。


「とにかく! ドラゴンの誇りに賭けて二人で戦いたいと思います!」


「二人……でねぇねぇ」


 苦笑いのオテテテに構わずミャオは「いただきニャした」と微笑みながら、ごきげんようと手を振って帰っていった。


「気の利いたコメント言えないのな、っんとにお前はって」


「う~!」


 ミャオたちが居なくなり、オレンジ色の空に彼らだけになって少しの間があり、ドラゴは背に乗るライドに「ねぇ」と切り出した。


「なんだよ」


「あの、ライド……。一番って、気持ちいいんだね」

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