第2話

『おお~っとぉお! ナルメスがまさかの二位陥落ぅ!? リンドウが入れ替わりで一位で間欠泉地帯を通過したぁ! 続いてリンドウの子ジャックが続く! やはり今レースはグリフォン種が独占かーー!?』



 空中掲示板がナルメスのリタイアと順位逆転を、後続のドラゴらに状況を知らせた。ライドを背に乗せて飛ぶドラゴは安定したスピードで飛行していたが、後続も迫ってきているため安心できる状態ではない。


「ナルメスがリタイア……そんな、それじゃドラゴン種は僕だけだよぅ」


 順位だけを言うのならば、ナルメスがリタイアしたことで3位に繰り上がったがこのままでは後続に追い抜かれるのは時間の問題と言えた。



「アホか! んなことよりも俺の言う通り飛べよ! そうすりゃ必ずぶっちぎれるからよって!」


「ぶっちぎれるって、まだ一位突破できるって思ってるの!? 絶対むり……」


「絶対を使っていいのは『絶対に勝つ』って宣言の時だけだって言ってんだろ?! お前脳みそねぇのかよって!」


「うう、脳みそはあるよぉ……」


 ライドは腕の力を込めるとドラゴの翼の付け根をくいくいと二度掴んだ。それは【減速】を意味するものだ。


「えっ、減速ぅ?! 一位突破するって言った傍から諦めるの??」


「アホぅ! 何の為にグリップしてると思ってるんだって! 口に出してんじゃねぇよって!」


 そう言いながらライドはあたりを見渡し、今のを誰にも聞かれていないかを確認する。

「い~? ドラゴかぁ、身の丈に合わないことしちゃうからこんな時にスタミナ切れするんだあ」


 ドラゴが減速した途端、ドラゴの尾を掴まんばかりにコカトリス種のキメラが馬鹿にしたようにドラゴを今にも追い抜こうとしている。


「わあ! ララ、ライドぉ! 追い抜かれちゃうよぉ!」


「コカトリス種なんざ気にすんな。いいから抜かれろって」


 追い詰められているはずなのにも関わらず、余裕の口ぶりでライドは言い放つ。背に乗せたライドの顔は、ドラゴからは見えないが彼が笑っているだろうことだけは分かった。


「い~! ボソボソ言ってんじゃないよぉ~? じゃあ、まぁドラゴにしては頑張ったほうだぁね。お先ぃ~」


 土色の趣味の悪いジャケットをなびかせてコカトリスはドラゴを追い抜いていった。ゆらりと揺れるように飛ぶその姿を見送りながらドラゴは涙声で叫んだ。


「あんな名前もねぇモブなんざどうでもいいんだよって!」


「ライドぉ、そんなこと言ったら怒られるよぉ」


「ああ? モブじゃないのかよって。なんて名前だよあいつ」


「それはええっと……」


 ライドが「お前も知らねえんじゃねーかよって」と突っ込みを入れたのと同時に今度は2体同時に追い抜かれてしまった。


「ああ……もうダメだぁ~……やっぱり僕なんかがターロ姫と……」


「誰が諦めていいって言ったんだって! アホぅ!」


 恨めしそうな目をライドに向けながら、ドラゴはう~と唸りながら飛び続ける。

 8体のキメラが競うフロントレース。ドラゴン種、グリフォン種、コカトリス種、ワーム種の四種キメラ二体ずつが発走し、ワイバーン属ナルメスとワーム種一体がリタイアしている。


 6体レースとなってしまった現状で3位だったドラゴが3体に抜かれてしまった為現在の順位は最下位に転落。誰が見ても一位は愚か、ランクインすら困難な順位になってしまった。


 その状況に悲観的になったドラゴは、すっかり戦意を失いそうになりながら背中に乗るライドの指示に従う。その心境は複雑であった。



「もう諦めるなら諦めるでいいよぅ……変に期待持っちゃうから慰めないで……」


「何回アホぅと言わせるんだって。それとこれも何回言わせるんだ、狙うは一位! それ以外は負けだって! アホぅ!」


「分かった、分かったから! うあぁん、もうなにも考えないから」


「なにも考えないって? アホぅ、『勝つ』ことだけ考えろって!」


 ライドがそう言っている間にドラゴを抜いていった3体が間欠泉地帯に差し掛かり、ナルメスの時と同じように間欠泉に注意しながら減速して進んでいる。



「ほら、俺が言った通りだろって?」


「まだなにも言ってないよぉ」


 ライドはニタリと口角をぐいっと上げると、「行くぜ!」と尻を上げ前傾姿勢を取った。


「ギアアップ! 一気に加速しろぉお!」


 ドラゴの肩をグリップのように掴んだ手を三度捻ると、ドラゴの目つきが変わる。自信なさげだった垂れた目は釣りあがり、闘志に燃えた目だ。

「ギュゥォオオオオオォォオ!!」


 それは誰も聴いたことのないドラゴの咆哮。ドラゴがドラゴン種だということは周知の事実だが、性格的にもおとなしく温和なドラゴがこんなにも闘志の満ち満ちた咆哮を上げるだなんて誰も想像しなかったのだ。



「いっ!? なんですかぁ~!」


 ついさっき抜いていったコカトリスがドラゴの咆哮に振り返ると、最後尾に落ちたはずのドラゴがものすごいスピードで迫ってきている。



「ド、ドラゴッ!?」


 コカトリスに続いてドラゴを抜いた2体のキメラが声を揃えて反応し、コカトリスがいままさに見たドラゴからのプレッシャーが伝染してゆく。


 咄嗟に危機感を感じた彼らは、さらにスピードを上げようと前を向いた。



『ブッシャァア』



 3位のコカトリスを除いた二体に間欠泉が直撃し、それに驚いたコカトリスの動きが一瞬止まり、ここかが間欠泉地帯だと唐突に思い知った。


 思わず自分の傍にある間欠口に向いたコカトリスの後頭部あたりをなにか強い風が通り過ぎてゆく感覚を覚えた。


「いっ!」


 後ろを振り返ったコカトリスの視界にはドラゴの姿はない。姿がないということは、コカトリスは悟った。今後頭部に感じた風……それは。

「ドラゴォオオ!」


 コカトリスが叫び、絶叫のままにドラゴを追おうとしたのと同時に間欠口から熱湯が噴き出し、直撃したかと思うとナルメス同様向かいの岩壁にめり込み気絶してしまった。



「わかったかドラゴ! あいつら先に行かせりゃ間欠泉の盾になるだろって!」


「そんな……そんなの卑怯だよぉ!」


「卑怯? なに言ってやがるって! これは戦略さ、如何にコースを知りつくしてるか。より知ってる奴が勝つんだよ! そんなことよりも行くぞ! このままトップスピードだ!」


 いい負かされた形になり少し不服そうな表情を浮かべたドラゴだったが、これで残ったのはリンドウとジャックだけだと思うと俄然やる気が出た。


「でもさ、ライド。このまま行っても3着だから本選には出れるから僕は3着でも……」


「アホぅ! そしてアホぅ!」


 ライドが拳でドラゴの背を思い切り突き、ドラゴは「痛い!」と叫んだ。


「一着で決着しなきゃ意味ねぇだろ! ここで三着でいいとか言ってどうやってターロ姫を奪うんだよ!」


「う、奪うなんて……そんな乱暴なことしないよぉ!」


 背に乗ったライドは「とにかく」と前置きをした上で、グリップを握りギアをトップへとシフトアップする。


「お前は真っ直ぐ飛べぇえ!」


「うん!」

~一位リンドウ、二位ジャック~


 ジャックの父でありグリフォン種最強のキメラ、リンドウ。一位をひた走る彼の背を追うジャックは、我が父でありながらその実力に改めて思い知っていた。


 分厚い翼に天馬の足。空を蹴り走るように飛ぶ姿はやはり自分のルーツはここなのだと知る。そして超えなくてはいけない壁であり、グリフォン種の誇りでもあると。


 自分はヒポグリフ属とされているが、細かなところ以外はやはりリンドウと欲似ているとジャックは自覚している。だからこそ奪いたい一着……。



「世代交代しろよ! 父さん!」


「はぁ? なに言ってやがる、世の常はいつも下剋上だろうが!」


「言うと思ったぜ……!」


 だっはっはっはっ、と豪快に笑いながら残す直線コースを睨みつけ最後のスパートに掛かろうとリンドウは翼を広げ、前足を開いた。


「ガキにキメラダービーの走り方ってのを教えてやるよ!」


 リンドウの周りの空気が変わった。研ぎ澄まされた甲高い風を纏い、身体を低くするとクァアアアと啼きながら息を大きく吐く。


「マジか……!」


 息子であるジャックはリンドウのそのプレッシャーに戦慄した。キメラダービーで縦横無尽に走るリンドウは何度も見たが、こんなにも近くで父の本気の姿を見るとは思わなかったのだ。


 そもそもジャックが2位でこの場にいられるのもほぼリンドウのおかげといえた。

 間欠泉地帯の攻略法を予めリンドウから聞かされていたからである。


 間欠泉は、飛行しているものにとっては前触れのない噴射だと思われているが、実は岩壁越しに噴き出す前兆があるのだ。それは、岩壁越しに走ってこそ初めて分かるものであって、噴き出す直前に伝わる振動がそれを教える。


 つまり岩壁を走っていれば、直近の噴き出すタイミングが分かるという訳だ。


 だがそれを分かっていても、それを避ける瞬発力と前進しながらスピードを落とさずに判断力が要求されるため、誰でも岩壁を走れば攻略できるというわけでもない。


 彼ら親子だから出来る……というわけなのだ。



 ともあれ、ジャックはそれであるから2位の座に居座っていられる。自分一人では間違いなく間欠泉地帯でなんらかの痛い目には合っていただろう。


 そう思うと、父に尊敬の念を抱きつつも同時に闘争心にも火がつく。


「今に見とけよ、すぐに俺があんたをぶっこ抜いてやっぜ! このキメラダービー中になぁ!」


 フロントレースでは勝ち目がないと自覚しているジャックは、今回のレースは譲ってもゴッデスカップ最終レースは自分が勝利すると吠えた。



 ジャックのその雄叫びと、それを斬り裂く一閃の風。


 音速化と見紛うほどの瞬速に、その影を視界の隅でしか辛うじて捉えられなかった。だがそんな状況でも流石のジャック。通り過ぎてゆく風の色だけははっきりと捉えていた。



――緑。緑色の巨大な影の風が、たった今ジャックを追い抜いたのだ。

 残り100メートル。


 リンドウは加速状態からトップスピードに入った。彼の耳に入る音が風の音だけになり、無音に近くなる。ランナーズハイにも似たこの境地に入った時が、リンドウはたまらなく好きだった。


 なぜならば、その境地に至った場合必ず数秒後には【勝利】があるからだ。勝利にこだわるリンドウは、これさえ発動してしまえば揺るぎのない結果が待っていると知っている。だからこの緊張感が好きなのだ。


 リンドウが着込んでいたキメラ用の衣服。現代服に近いフードつきのジャケットに前足を守る防具はあるものの、極力重さを排しているため至極身軽な服。


 その身軽な服の裾がこの後に及んで風で浮いたのだ。


「風? どういうことだ」


 風を纏っているリンドウに、逆風が吹く訳がない。逆風でないと裾が揺れることなどないと、リンドウは分かっていたはずなのにこの時ばかりはそうは思わなかった。


「ジャックは違う。コカトリス……? いや、あの鳥にそんな実力はないだろう。ということは、気のせいってことかぁ?」



 決して気を緩めていたわけではない。油断をしていたわけでもない。


 ただ、そこにいたのだ。リンドウが気付いたその時、トップスピードで誰も近寄れない不可侵フィールドを張っていたはずの、トップレーサーの領域。その領域に居てはいけないはずのキメラ……。


「ド、ドラゴ……だとォォオ!!」


「気にすんなって! いけ、ドラゴ!」


 うん! と力いっぱいに叫びドラゴはトップスピードでリンドウを抜いた。

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