第29話 落涙

 いつもどおりに蓮華堂におもむき、顔色と覇気の復活した蓮純からクエストを受け取る。依頼内容は太宰近郊に跳梁する魔族の討伐で、まあそれ自体辰馬にとって目新しくはないが。


「……なんで、お前がいるかな……?」


 思わずうんざり、そう言ってしまう。盛大にため息が出た。


「あなたの道の全てを阻む、そう言ったはずですよ、ボクはね」

「ホントに鬱陶しいよなぁ~、お前。ガキじゃなかったらしばくとこなのに……」


「同行者がいるからちょっと待ってね」とクズノハが連れてきたのは、アカツキ三大公家最大門派・覇城家の若き当主、覇城瀬名はじょう・せな11才(11才ながら蒼月館3年)。辰馬としてはもうしばらく相手にすることもないだろうと思っていた相手だが、瀬名のしつこさはまるで蛇のそれだ。まあ、投げとか関節とか、組技が得意だけに執念深さがあるのかもしれない。


「魔物狩りということで、まあボクがあなたより使えるというところ、お見せしますよ」

「はー……」


 いかにも業物、それも魔法が付与されているらしい宝剣をゾロリと抜いて、自分を誇示する瀬名に、辰馬はあぁ、もう勝手にしてくれと思う。ほかになんの考えようもないし。


 とはいえ。


「あぶねーから振り回すな。素人」

「素人? ボクが?」

「おれから見りゃあ素人だよ。とにかく、さっさと鞘に戻せ」

「瀬名、言うこと聞いときなさいな」

「…………、……フン」


 あれ、と思ったがまあいいかと流す。雫以外の言葉には基本、反抗か蔑視でしか応えない瀬名が、クズノハの言葉にやけに素直だった。もとより肉体関係にある二人だが、瀬名の中でクズノハへの心持ちが変わってきた? そうは思うがまあ、辰馬にしてみればどうでもいいこと。大して気にもとめない。


 というわけで出立。


 太宰近郊の魔族……まあ魔族というのは大物で一度にそうそう数がいるものでもないが、討伐任務はそれだけ倒せばいいというものでもない。魔族に率いられる魔物たち、それを仕留め損なうと結局、人里に被害が出るので、全部ひとまとめ、ワンセットで叩かなくてはならない。


 とはいえ、皆殺しにするのは何か違う、と常々思うのが新羅辰馬。この少年はとにかく、殺したくない傷つけたくない病なので、できれば魔族も魔物も、適度にしばいて、人間を襲わないよう脅して、それで済まないもんかなと思っている。今までそれでやってきたし、今回もそうあるつもりだった。


 それが。


「甘いんですよ、新羅辰馬」


 振るわれる魔剣。かつえ、朽ちて、風化していく魔物たち。多重詠唱による、高密度の、しかし低級の筈の「霊力」による熱波の魔術。かつての四重詠唱ほど疲れる使い方はしていない、二重程度の重ね掛けだが、この場にいる程度の魔物相手なら十分すぎる。およそ霊力使い……人理魔術師としては比類がない覇城瀬名を、新羅辰馬はいかりに揺れる瞳で睨み付けた。


「なんです? やはり同胞が殺されるとメンタルに来ますか、魔王さま?」

「……ッ!」


 臆するどころか、いらって嘲笑う瀬名。完全に辰馬を挑発している。


「この……同胞とか関係ねーだろぉが! あいつらだって理由があって生きてんだよ、それを遊びみたいに殺すな!」

「ワケのわからないことを……所詮魔物、人間の敵じゃないですか。まあ、あなたには彼らを庇護しなければと言う理由があるわけですしね」

「てめ、ホントブッ殺してやろーか……」

「魔物は殺せないのに? ボクは殺せますか、さすが、ハハッ!」


 辰馬の頭の中で灼熱が奔騰した。一気に脳が煮えたぎり、理性をかなぐり捨てて本能で殴りかかりそうになる。というか、殴りかかった。歯止めがない。


 しかし本能による行動とはつまり最短距離、もっとも単純な動きでしかなく。


 実力ならともかく、覇城瀬名はこうして頭に血が上った単純な辰馬なら簡単に倒せると、確実に理解している。


 打ち込んだ手首に絡みつく、細い辰馬の腕よりさらに華奢な瀬名の細腕。それが蛇のように絡まったと思うや、瞬時に指先、手首、肘、肩を極める。アカツキ古流集成の使い手(別に、正統継承者というわけでもないのだが、腕前で言えばそう言ってしまっていい)の前に、辰馬の右腕は瞬時に破壊寸前に追いやられる。


「っあ!?」

「本当に疾い打撃の前に、関節は無力、でしたか? あの言葉、そっくりお返ししますよ、単調な打撃など、極めた関節の前には無力、とね!」


「ちょ、なにやってんの、瀬名くん!」


 離れた場所で魔物たちと斬り結んでいた雫が、まず気づいて駆けつける。雫の目は武技に関し実に特別すぎるほどの特別製。なので瀬名がこのまま、本気で辰馬の腕関節を破砕するつもりだということが一発でわかった。


 高速歩法……縮地法……でも追いつかない。


 だめ、これじゃ……!


 辰馬の腕が壊される。雫が絶望しかけた瞬間に、瀬名が苦しげに呻き、泣きわめく。


 その腕に絡まるのは、髪の毛より遙かに細い不可視の糸。しかし一本一本が強化タングステンの鋼度であり、瀬名の腕、その神経部分を巧みに締め上げて、斬り落とすギリギリで絞り上げる。実際一度、切り落とされたことのある瀬名。あのときはクズノハの力で再生したが、今彼の中に魔王の幻体などない。


「辰馬さまを、離しなさい……」


 底冷えする声で、晦日美咲つごもり・みさきがそう言った。彼女の赤紫の瞳……その色ゆえに魔族の血をしばしば疑われる……は、普段の怜悧からは想像も付かない強靱な怒りに満ちていた。


「く……所詮、魔王の女は魔王の手先、ということで……うぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~ッ! 痛い、痛い! 痛い痛い痛い痛いイィッ!! や、やめてください、し、死ぬ、痛みで気が……いぎあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~ッ!」

「人の腕を壊そうとしておいて、我が身は可愛いですか、大公閣下。都合のいいことですね」

「こ……の、お前、墓守の子孫の分際が! この、覇城のボクに……いあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~ッ! じぬじぬじぃぬぅ~っ! も、もうゆるじでぐだざいぃ~っ! ボクの、ボクの腕がぁ~っ!!」


 当初こそ虚勢を張った瀬名だが、腕を輪切りに絡め取るだけでなく神経を直接に突き刺してくる痛みにはあらがいえない。泣きながら許しを請うに至る。しかし見苦しく命乞いをした少年は、いったん鋼糸がほどかれるや禍々しいほどの怨嗟の声を上げる。


「ふ……ざけないでくださいよ、墓守娘! 貴様は殺す! ボクにあんな恥をかかせたんだ、絶対に、むごたらしく殺す! 最後は魔物専門の娼館に売り飛ばして、バケモノの子を孕ませてやる!」

「やれるものでしたら、どうぞ。わたしもそんな目には遭いたくないので、そうされる前に大公閣下の首、斬り落とさせていただきますが」


あくまでも静謐。それゆえに恐ろしく。美咲はそう言って指先を閃かす。鋼糸の射程は最長2㎞におよび、いちど絡みつけば勝負は一瞬、相手がどんな術者だとしても、常識の範疇にある存在が相手なら美咲はまず、負けない。


 その本気と決意を見せられて、悔しげに固唾を呑む、瀬名。凄絶な恐怖が背筋を駆け上がり、ぶわ、と冷や汗が吹き出る。恐怖から自然と涙まであふれた。


 それを見てなんとなしに切ない気持ちになったのが、牢城雫である。いつもなら「たぁくん」を守るのは雫の役割であり、辰馬が生まれて16年……もうじき17年間誰にも譲らずそれをやってきた雫としては、自分の存在意義を美咲に奪われた気がして足下がぐらついてしまう。


 やだなー、あたし、こんな嫉妬深かったっけ……。


 なんというか、他の娘ならよかったのだ。辰馬の特別は結局、自分だという自負があった。しかし、美咲は。すべてにおいて完璧な麗人。学問も武芸も神力も、家事一切から新羅邸の運営事務能力まで、およそできないことがない。そんな完璧少女を前にすると、自分の未熟さばかり突きつけられる。そして美咲がまた、辰馬と並んでまったく見劣りしないだけの超絶美少女であるということも雫の嫉妬に拍車をかける。


 泣きそうになりながら、それを隠して努めて明るく、辰馬に駆け寄った。


「だいじょーぶ? まったく、子供相手にすぐムキになるからだよー?」

「牢城先生、今の場合辰馬さまはまったく悪くありません。魔物にすら慈悲を与えようという辰馬さまの高潔を踏みにじった、大公にこそ非が……」


 そんなことはわかっている。わかっているから美咲の言葉が、雫は辛かった。それでも辰馬に、甘さや優しさだけでは生きていけないのだと伝えるのも雫の役目であって、彼女が辰馬をたしなめないわけにいかなかった。


「……晦日、しず姉に文句言わないでくんねーかな……別に、しず姉悪くねーし……」

「いえ、ですが……」

「いーから。しず姉は教師だからな、厳しいことも言わなきゃなんだよ」


 そう庇われて嬉しいはずが、惨めになる。辰馬と美咲がお似合いすぎて、自分は塵芥ちりあくたのような気になった。


 それはひとまず、置いて。


「瀬名」

「……クズノハ。なんだ……!?」

「あなた、調子に乗り過ぎね。わたしの前で同胞をこれだけ派手に殺して、それで許してもらえると思った?」

「は……ひっ……」


 金銀の瞳が妖しく揺らめく。その瞬間に瀬名は今度こそ命の危険を感じた。この相手は美咲のように情に訴えて許してくれる相手ではない。確実に殺しに来るし、それを防ぐ方法はない。不可避。


「やめとけって、姐貴……おなじになるぞ……」

「……そうね」


 辰馬が窘めると、クズノハは興醒め、といったふうに燐火を収める。かくて命の危機を救われた覇城瀬名だが、この少年が新羅辰馬に感謝することなどなかった。


「魔族同士で傷の舐めあいですか、人類の敵同士、お美しい姉弟愛ですね……」

「だからさー、お前……」

「ちょっと、瀬名くん?」


 雫が、瀬名の前に立った。一目で誰が見ても分かるほどに、怒っている。


「あたし、だいたいのことでは怒んないはずなんだけど。今のは瀬名くん、悪いよ。たぁくんに謝って」

「……雫、さん?」

「いーから謝る!」


 びっくりするぐらいの声が出た。辰馬を侮辱されて本当に、本当に頭の中がぐぢゃぐぢゃになるほどわけが分からなくなった。新羅辰馬という少年が人と魔と神と、それらの平等な世界を創りたいとどれだけ真剣に願っているか。それを誰より知るゆえに、雫の怒りはたぶん、辰馬が自分で抱いた怒りなどより、遙かに大きい。


 あー、あたしだめだ……あたっちゃってる……。


 それでも、義憤というより当たり散らしてみっともないという自分にしか思い当たらない。我慢してきた涙が、ぽろぽろ零れた。


「ちょ、しず姉!?」


 通常の三倍のスピードで跳ね起きる辰馬。しかし悲しいかな、こういうとき気の利いた言葉をかけてやれるだけの器量も経験も、辰馬にはない。ただ雫を抱きしめて途方に暮れるしかなかった。


 ただ。


 守れるようにならんと……しず姉も、他の皆も。一生ずっと泣かせる事なんてないように、強くならんと……。


 そう、辰馬は強く願った。武技や魔力や財力権力、そんなものではない、もっと大事で重要な力、辰馬はまだそれを名付けえないが、何よりも強くそれが欲しかった。


 その日の討伐任務はまずまず。本来の標的である大物の魔族に遭遇することはなかったが、魔物たちを払ってそれなりに成果を上げた。近所の農家のおばちゃんから大根と茄子を分けて貰い、茄子の味噌汁大好きな辰馬は大喜び。明日もまた来ますと約してとりあえず新羅邸に帰宅したが、その後も雫の動きはやや精彩を欠いた。


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