第25話 モード・アングレ

「実質的に、辰馬と彼……戚凌雲? 二人の一騎打ち、ということになりそうね?」

「そーだな。ま、おれのご主君があんな若造にゃあ負けまいが……ってわけで、特別演出頼むぜ、先生さまよ?」

「まあいいけど。わたしはただの非常勤講師で、国軍に何の借りも責任もないのだけれど」

「そんじゃ、俺が抱いてやるよ。淫魔でもたまらねぇ夢見心地につれてってやるぜぇ?」

「いらないわね。わたしの好みは可愛い子だから。あなたみたいなむさいのはおよびでないわ」

「……新羅公とか、覇城の若君とか。ガキばっかじゃねぇか。ショタコンか?」

「まあ、違うともいいきれないわね。筋張った男臭い男はまあ、苦手よ」


 二人の人影が、そう言って語り合う。一人は審判員長・長船言継であり、いまひとりは長くつややかな黒髪に肉感的な肢体を漆黒のドレスに包んだ、金銀の瞳の絶世美女、葛葉保奈くずのは・やすなことクズノハ。


「あの二人の盤面を仮想現実内に転送する。まあ、それほど難しくはないけれど。やるからには凝りたいわね。鳥の羽ばたきや水のせせらぎ、そういうものまで全部リアルに……」

「あんまし凝らなくていーぞ。とにかく二人の本来的な実力が見えればいいんだ」

「わたしに依頼したからにはわたしのやり方を貫かせて貰うわよ。まあ、とりあえずこんなものか……あとは適宜調整するとして……さて、あの子が驚く顔が見物ねぇ。ウチの弟はいちいち反応が可愛いから驚かせ甲斐があるわ……」

「あー……わかる。あのひとの反応見るとからかいたくなるよな」

「あら、なかなか話の分かること」

「まぁな。さて、そろそろ始まるか……」


・・・


「……なんだ、これ?」


 辰馬は草原にいた。

 なぜか蒼月館指定学生服でやってきたはずの服装は青基調のアカツキ軍服に代わっており、すぐそばに転移させられた瑞穗と穣の服装もやはり代えられていた。瑞穗のそれは修道服を露出高めにアレンジしたような代物に、上から白ローブという、まあ露出の激しさを除けばとりあえず一見してヒーラーに見えるそれ。穣のそれは瑞穗とは正反対に露出を極限まで抑えた、出来る女のスーツっぽいもの。それを襟飾りや帽子、袖や袖によって「軍師らしさ」を演出している。その背後には数千に及ぶ兵とこれまた2千近い馬、そして荷駄が並ぶ……のだが、なんとなーく、その兵士たちに人格が感じられない。


「おい、お前、だいじょーぶか?」

「……はい、大丈夫であります」

「?」


 最低限の応答は出来るらしいが、自主的に動く能力はないらしい。ということは……。


「まあ、こんな特殊な隔離世を作るバカが誰かってなると一人ぐらいしか心当たりねーが……この兵士たちを使って実戦さながらの模擬戦をやれと?」

「そのようですね」


 穣も、事態を平然と受け入れ、順応する。順応というか自分のえろい服装に納得いかないのかなんなのか、非常に不本意そうなのが瑞穗で、事態がどうこう以前になんとも複雑な表情をしていた。


「あーいいじゃんよ。可愛い可愛い」

「そ、そうですか? 辰馬さまがそう言うなら……」

「まあ、新羅は誰にでも可愛いという不実な男ですが」

「……あのさ、なんでそーやって管巻くかな。おれがおまえになんかしたか?」

「それはもう、いろいろと。ヒノミヤを転覆させたという大罪、忘れて貰っては困ります」

「あれはおめーらが悪いんだろぉがよ!?」

「黙りなさい侵略者! ヒノミヤは開闢かいびゃく以来、自主独立を貫いてきたんです!」


 などと怒鳴り合っているところに、ひぅ、と風切り音が辰馬の耳を劈く。ほぼ常人の耳で捕えられない音域だが、辰馬の聴覚は尋常ではない。逆に耳が良すぎて神経症になりがちなところがあるくらいだ。超音波レベルの音も、微かながら聞き取れる人間というのは存在していて、辰馬はそれにあたる。


「ッ!?」


 咄嗟。飛来する細く研がれた箭を掴み取る。「細く研がれた」と言ったとおり、普通の箭の太さからはかなり考えられないほどに細く、おそらく弓で射て折れないぎりぎりの太さと目視しづらさを両立させた、暗殺用の矢。


「もうあちらさんは動いてる、って事か。動きが早いな……」


 暗殺され掛かったことよりも敵の機敏さに感心する。暗殺を仕掛けたとは言え、殺すつもりではなく挨拶代わりの一矢であったことはわかっている。それよりもまず、こちらの体勢を整えなければならない。


 とはいえ、先に形勢取られると間違いなく不利だ……。


 実際のところ、兵法というのは「事が始まる前に決する」技であり、事が推移している最中に自在に陣法を動かすなどと言うことは完全に幻想。多少のリカバーはてもかく、千変万化の運用などあり得ないことでしかない。ゆえに先に陣を固め、先手を取った側が圧倒的に優位に立つのは自明の理だ。そしてその優位をフルに活かすのは、桃華とうか帝国征南将軍・呂燦の秘蔵っ子、戚凌雲。その軍略の冴えはさきに見せつけられた通り。初手から、辰馬たちはかなりの不利に立たされた。


「まず下がって陣を立て直す! このままだとやられるからな!」


 辰馬はやや自棄気味に叫んで後方に歩き出す。走りたいのだが、すぐ後ろにいる二人の少女が人並み外れた安定感の運痴であるために急げない。さらには数千からの兵士たちも、なんといえばいいのか、辰馬を主と認めてはいるが直接的な命令がないせいで、上手く機能せずこちらに付いてこない……というか一応、ついてくるものもいるはいるが、三々五々といった感じで軍隊としての統制がとれていない。


「確たる命令が必要なようです、辰馬さま。ここはひとつ!」


 瑞穗が期待に満ちた顔で辰馬を見上げる。なんかなー、恥ずかしいんだけどな、とか思いつつも幻体とはいえ一応は仲間の兵士。見殺しにも出来ない訳で辰馬はヒノミヤ事変以来、久しぶりに号令する。


「全軍、一時撤退! まず下がって陣を立て直す!」


 こう號すれば、兵士たちは「応!」と辰馬に従うのだった。


・・

・・・


「いったん引いた、か。なかなかいい判断だが、後手のままでは逆転の目はないぞ?」


 戚凌雲は間諜の報告に頷くと、静かに呟いた。


 現状、圧倒的に優位。軍師役のとりまき二人はこのまま一気呵成を進言するも、凌雲は軽く頭を振る。彼はネズミと思って踏んだ尾が猛虎のそれであった、ということがいくらでもあることを知っている。実戦経験こそ少ないが、呂燦の近侍きんじとして最も苛烈な戦場を体験してきた経験は彼に油断を許さない。


 まして相手は普通ではないからな。


 心中に呟いて、鋭い切れ長の秀麗な眉目をわずかに細める。これが兵法大会という趣旨である以上魔術を使ってくるとは思われないが、凌雲は辰馬をよく知るわけではないから、魔王の継嗣足るものいざとなればその圧倒的魔力を行使することを躊躇わないだろうぐらいには思っている。実のところ、辰馬が魔王の力を発言させると大陸全土に暗雲の光条と闇の王を言祝ぐ空のざわめき大地の震えが毎度、起こるわけで。実際に辰馬を相手にしたことのない凌雲であっても新羅辰馬=次代の魔王はかなり遠慮なしに魔王としての力を振るっている、と思われている。結構な誤解ではあるのだが。


・・

・・・


 辰馬たちは猛スピードで疾走していた。


 瑞穗と穣、そして足の遅めな兵士は全員尽く荷駄車に乗せ、カート状で推して驀進する。荷駄車3000に兵6000がほぼ無理矢理に押し込まれ、そして騎乗できる2000はちょうど、2000頭の乗馬に跨がる。こうすることで歩兵という、兵科的に重要だがどうしても足の遅くなるものを考慮に入れる必要なく、猛スピードで辰馬たちは進んだ。


「こんくらい進めばいいか。ここで陣を敷く! 磐座、敵の陣形、分かるか?」

「わたしを都合のいいレーダーみたいに使うの、やめてくれませんか? まあ、いいですけど……敵勢もほぼ同数、8000。だいたいここと、ここ、そしてこの地点の三カ所に、魚鱗で布陣しています」

「魚鱗か……突破狙い? にしちゃあ一極集中ってわけでもない……ふむ……」

「将としての経験や才覚では完全に負けているんです。いつもの、天賦と直感でなんとかしてみたらどうですか?」

「うーん……まあ、そーか。まぁ、そーかもしれんが」


 辰馬はそこでいらんこと口げんかを買うようなバカでもない。今はそれどころではないし、まあ天賦と直感は認めて貰ったのだからよしとする。


「瑞穗、前回のあの戦法は?」

「ワゴンブルクはたぶん、使えません。あれは敵が騎兵主体の際にもっとも威力を発揮するもの。歩兵相手ではもとより、荷車要塞で止める突進力がありませんから」

「あぁ……歩兵主体での戦法が必要、か……磐座にもう一度尋ねるけど、相手の弓ってどんなだった? 勢いは強かったけど、射程はそこまで長くなかったような……」

「玄弓(和弓)とは違いました。弩、いわゆるクロスボウですね。桃華帝国における兵制をそのままに模しているようです」

「ん。で、こっちは玄弓……よし、こりゃ勝てる。ある程度拓けた場所に、敵を引きずり出すぞ!」


 勝ち筋を見つけた辰馬は意気軒昂と高めの美声を張り上げる。つまりはこうこうことだ。向こうがこちらとおなじ玄弓……すなわちロングボウを使うのであれば、状況的にかなり不利だった。しかし敵の主武器は弩。威力は強いが、射程はロングボウに比べて遙かに劣り2分の1あるいは3分の1というところ。打ち合いになれば一方的にこちらが勝つ。穣の言う直感で着想しただけでなく、実際にそういう戦例があり、西方での戦争でロングボウがクロスボウを一方的に蹂躙したことを、辰馬は最近学習している。モード・アングレ《イングランド式》という戦法だ。


 問題は、飛び道具の打ち合いになる距離をうまく保って、さらには敵が騎兵2000……両軍に支給されている突撃兵器……を投入してきたときの捌き方も問われるわけだが、まあ、いけると思っていけなかったことなどない。


「ワゴンブルクも使おう。騎兵突撃を止める。で、後ろから玄弓で斉射。だいたいこれで勝てる。間合いさえ間違わなければな」

「その間合いを、あの呂燦将軍の秘蔵っ子が見誤るでしょうか?」

「そこをなんとかする。まず相手を焦らせるために、別働隊の一翼を叩く。まあそこの森に隠れながら潜んでる連中に、とりあえず突撃ぃッ!」


・・・


 戚凌雲の軍師というか副将格である耿羿こう・げいは、一丸で突撃してくる新羅勢に愕然と驚嘆した。彼は騎兵隊を率いて爆速で逃げる辰馬たちに追いすがり、そして森の中に騎兵を乗り入れていた。ルールを破って隠蔽魔術を使い、敵が油断した隙を突いて一気に森から飛び出す腹づもりが、完全に逆を突かれて辰馬の騎兵と試しの玄弓斉射に会って一気にズタズタに戦線を砕かれた。


「なぜだ? 俺の隠蔽は完璧だったはず。どうして、わかった?」

「鳥ですよ……でしょう?」


 辰馬に代わってそう告げたのは、穣。辰馬も「うん」と簡潔に頷いた。隠蔽は確かに完璧だったが、しかしそれでも鳥を怯えさせ、急いで羽ばたかせる不自然さの演出は隠せなかったのである。


「そんな、些細なことで……?」

「いや、結構目立つぞ、あーいうの。さて、そんじゃお前さんには、人質になって貰うか……」


 普段ならそういう手段に訴えることのない辰馬だが、この先の人生、一度だって負けられないと決めた以上は人質も取る。まあ、模擬戦だし。


 こいつを餌にして、凌雲? だっけ。あいつを平地に引きずり出す!


 それがうまく嵌れば勝ちだ。それでもまあ、半々かなーと思いつつ、辰馬は8000の軍を平野に向け移動させ始めた。

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