第26話 テルシオvs包囲殲滅

「さて。このあたりか。草原で適度な傾斜、そこらへんに自由な動きを阻害する岩場、そして風向き良し、と……」


 辰馬はそう言ってひとまず満足げに笑う。実際の戦争なら人を殺す、という罪悪感に自分がまず死にそうになるくらい心弱く脆い辰馬だが、今回の場合これはクズノハが作った隔離世結界……その応用……だ。なんの心置きなく、ここまで学習してきた成果を出せる。


「ふぁ、ふう……荷車の中、たいへんです……くらくらして……」


 瑞穗が汗だくでワゴンから這い出し、へろんとよろけて膝をつく。確かにワゴン《荷車》は人間を輸送するためのものではないから、乗り心地がよいとはお世辞にも言えない。たいそう寒がりで暑いのにはそれなりに耐性がある瑞穗だったが、ワゴンで蒸され、揺られてかなりへろへろになっている。そしてフラフラするたびにやたらとデカい柔らかいものがふるふると揺れてどうにも、こちらの集中を削ぐ。


 なので、辰馬は穣のほうに目をやった。


「うん……落ち着く」

「なんですか、失礼な。言っておきますがわたしは小さくないですから。瑞穗さんが異常に大きいだけです。勘違いのないように」

「あー、うん、そーだよなぁ……瑞穗って昔からあんななの?」

「わたしが知る限り、神楽坂家に迎えられた時点で幼女としては破格でした。だから相模さまが幼児愛好趣味に目覚めたとか、いろいろ物議をかもしたものです」

「はー……いろいろ大変だな。会ったことねーけど、相模さんも苦労してんな」

「大神官ですから、苦労は当然です。もちろん真の意味でその地位に相応しいのは、五十六さまのほうですが」

「あの色黒ジジイなー……どんな罪になるやら。つーか牢屋で死ぬんじゃねーかなと想いもするけど。食事とか断りそうな……」

「あのかたは泥水をすすってでも生きて捲土重来けんどちょうらいを期すかたです。簡単に死を選ぶ惰弱ではありません、新羅とは違います」

「あ、そう……まぁ、とにかく場は整った、と。あとは敵を誘い出すだけ。だが……」


・・・


耿羿こう・げいには悪いが、そう簡単に出て行くわけにはいかないな。飛び道具の射程でこちらが劣ることに着目したのだろうが、それはこちらも織り込み済みだ。敢えて打ち合いにに応じることはない。耿羿がやられた2000、敗残兵の帰還を待っている時間はないとして、現状6000。大楯と長槍の4000を敵前に出して白兵を挑みつつ、残余の2000で敵陣に迂回突撃うかいとつげきをかける!」


 戚凌雲せき・りょううんは今一人の参謀役、虎翻こほんに向けてそう言った。大楯を構えて敵の矢を防ぎ、長槍による刺突、あるいは投擲で敵を打破する戦術はいわゆるマケドニア・ファランクス。凌雲はその陣容を巧みに運用、槍を長柄のそれにし、密集の度を増しつつ攻防力を重厚なものとし、さらに烏銃……マスケット……は支給されていないので弩を集中させて強化火力とする。なのでこの戦法はファランクスというより、スペインのテルシオに近い……とはいえこの世界この時代、旧世界のマケドニアもスペインもほぼ人の記憶にないし、テルシオ的な陣形、とはいってもそれは凌雲が過去の名将から借用したのではなく、彼の独創による。


・・・


「そーだな。モード・アングレだけだと対策取られる可能性もあり、か。じゃ、予備兵を置いて前衛を左右両翼に展開、攻撃を加えつつ前進しつつで、上手いこと包囲……できればいいが」

「ちょ……それは!」


 さすがに瑞穗が顔色を変えた。服装のえろっちさとか気にしている場合ではなく、辰馬がぼそっと口にした戦法、それをあまりにもよく知るゆえに驚嘆、というか驚愕、というか、端倪たんげいした。旧世界においてハンニバル、あるいはハーリド・イブヌル・ワリードのただふたりだけが達成した兵法史上の最高峰、包囲殲滅。この世界に移ってからは新生ウェルス帝国の祖帝シーザリオン、その親友で腹心だったコルブロス将軍だけが成し遂げた先例を残すのみの、天才のみに許される高度な戦術。そもそも実戦の中で敵をじわじわ気づかれないよう翼で包囲し、そして前進、叩きつつ、敵が算を乱すタイミングを確実に見澄まして予備兵力の突撃を敢行するという同時進行をなすということが、あまりにも難しく、困難を極める。だが新羅辰馬という少年は敵の凌雲がテルシオに到達したのと同様、完全な独創だけで包囲殲滅に到達した。瑞穗はそこに驚き瞠目し、穣と視線を交わしあい互いに頷く。これをやるからには、自分達は全力で辰馬の作戦を支援する必要がある。


 瑞穗と穣がとつぜん、大人しくなったのに対して、辰馬はやや不安げな表情になった。


「あれ……だめか、これ……?」

「いえ、ダメというか……もし成功すれば戦術史上の偉業です……まさか、独創で包囲殲滅にたどりつくなんて……」

「なんか、いかんのかな?」

「逆ですよ。癪ですが、あなたの才能、作戦能力は認めざるを得ません。ただし、作戦を立てただけでは画餅がべい。実際に兵を運用できて初めて成功です。……そこはまぁ、わたしは瑞穗さんに任せていただきますが」

「任せていーなら、頼むわ。おれは左右両翼の状況を見ながら中翼弓隊の指揮を執る。できればワゴンブルクを中翼の前に置いておきたいが、これは大丈夫か?」

「ワゴンブルク自体、そのルーツは農民が騎士に勝つための単純でわかりやすい戦闘法です。戦術史の中で洗練されて簡単なものではなくなりましたが、敵の騎兵を止める、その役割だけなら運用は簡単だと思います」

「ん。なら問題なし。さて、敵さんもそろそろかな……」


 草埃を上げて、近づいてくる敵兵。6000いるはずのそれがやや少ないこと、そして指揮官格の男が戚凌雲ではなく大兵、短髪、浅黒い肌のいかにも豪腕な武人……虎翻であるところから、まず辰馬は別働隊がこちらを衝く心づもりであることに気づく。となれば時間との闘い。こちらが敵の全面を殲滅するか、それともその前に側面からの一撃で粉砕されるか。


「ほんとなら向こうに仕掛けて欲しかったが、まあしゃーない……。弓兵、ーっ!」


 辰馬の号令一下、中翼からの弓矢が一斉に放たれる。弓矢の威力というのはたいしたことがないと思われがちだが、実のところしっかり放物線を描き運動エネルギーを乗せた矢は鉄の盾をたやすく貫通する威力を誇る。ある意味、マスケットにも劣らない武器なのだ。……ただし、技能の熟練が必要なこと、引き絞り、狙いを定め、放つという性質上連射が難しいという欠点は、どうしてもあるが。


 よって、凌雲のテルシオも盾で被弾を避けるとはいえ、貫通してくるものまでは防げない。諸撃でかなりのダメージを、辰馬は虎翻に与えた。しかし虎翻もさるもので、矢で受けるダメージはそれとして二射目が発せられる前に突進、間を詰めてくる。こうなると至近、弓矢という武器は使いづらい。


「ならやっぱ、あっちの策か。頼むぜー、瑞穗、磐座」


 右翼には瑞穗が、左翼には穣が、それぞれ指揮官として出張っていた。そもそもからして公正を期すためなのか最低限の人格しか付与されていない幻体兵士たちに高度な軍隊運用は不可能であり、瑞穗と穣がやる以外の選択肢はなかった。ここまでどんくささばかりが目立った二人の少女だが、その頭脳は二人ながらに天才。巧みに敵を誘引しつつ、円を描いてその中に敵兵を押し包んでいく。二人が優秀ゆえというのももちろんだが、虎翻という男は参謀役でありながらむしろ直情の武人肌であり、思慮に欠けるという点も大きい。


 そして、包囲が完成。ほぼ兵力を減らしていない辰馬の兵は予備兵2000を残して6000、凌雲の側は虎翻が4000、別働の凌雲が2000なので、包囲という形を取るまでもなく数では辰馬優位。この状態から全方位的に叩くのだから、虎翻としてはたまったものではない。さらにこれで終わりですら、ないのだ。


「予備兵突撃! 一挙殲滅せよ!」


 敵が崩れた機を逃さず、辰馬が声を限りに咆哮する。包囲状態からの全包囲攻撃、そして予備兵投入による波状攻撃に、虎翻は完全に崩れた。凌雲であればこれとても凌いだのかも知れないが、虎翻では役者が足りない。以前「戦争における死傷率は存外に低く、完全な殲滅などない」と記述したが、この一線で辰馬は敵の半数を超す2300人を打ち倒すというほとんどわけのわからない数字を上げた。これで敵が呻きながら死んでいくと精神衛生上、非常に悪いのだが、今回のこれは幻体。よってあとくされなく消滅してくれるのみなのでやりやすい。


「ひとまずこっちはこれで……として……ッ」


 気を緩めたつもりは毛頭ない。しかしやはり無意識的な弛緩があったことは否めず、そこにとんでもない勢いでの猛突撃が、辰馬の中翼本隊を襲う。突然の自然災害にも似た毛突に、辰馬ですら支えることが難しい。


・・・


 勝った!


 戚凌雲はそれを確信した。新羅辰馬がほぼ完璧な包囲殲滅をやってのけたのには驚いたが、まず虎翻がやられるのは織り込み済み。虎翻を倒して油断した辰馬、その一瞬を衝いて鎧袖一触がいしゅういっしょくとするつもりだった。


 のだが。


 どうにも、辰馬がしぶとい。瞬殺できない。辰馬は粘りに粘り、自身剣を取り奮闘する。今回使うのは家伝の銘刀・天桜ではなく普通の剣。一人二人を斬れば折れてしまうが、その都度、辰馬は敵の剣を奪って次の相手を斬り、さらに剣が折れては別の相手を斬って、修羅か羅刹のごとくに荒れ狂う。


「凄まじいな……網を!」


 投網が投擲され、辰馬を絡め取る。辰馬はどうにか抜けようと暴れるが、これはどうしようもない。そして凌雲の前に引き据えられた。


「卿も相当のものだったが、私のほうが一枚、上手だったようだ」

「そりゃ、どーだろ」


 投網を絡みつかせたままに、辰馬は神速の踏み込み……縮地法……で間を詰めると凌雲の首元に切っ先を突きつけた。


三軍さんぐんすいを奪うべし、て言うんだよな? 逆転王手、この言葉だけは昔からよく知っててな。さ、どーする?」

「困ったな……私は呂将軍の威信にかけて、負けることを許されていないのだが……そすがにこの状況、こちらも打つ手がない。あの距離から一気に詰めてくる身体能力を侮っていたな」

「切っ先つきつけられてずいぶん冷静だなー。ま、実際殺すつもりもねーんだが……ま、ここは引き分けってことで」

「そうだな。本当の勝負は、わたしたちが正式な軍人になった後で」


 言い合って、辰馬と凌雲は固く握手を交わす。敵手ではあったが恨みのある相手ではない。むしろ人格の爽やかさに、互いが互いに対して好感を持った。のちに殺し合う運命だとしても、今、友誼を深めてはならない理由にはならない。


 ……と、そういうわけでアカツキaチームと桃華帝国チームの4回戦は両チームリーダーの話し合いにより、引き分けとなったのだが。


「おいおいふざけんなよ主公しゅこう! 俺はアンタの優勝に賭けてたんだぜ!?」

「知るかよばかたれ。主催者側がギャンブルとかやんな」

「あぁーあー……給料が、しばらくモヤシかー……」

「知ったことかよ。んで、姉貴もなんか言いたそうな」

「いえいえ、結構いい絵面だったわ~。美少年と美青年の友情。捗る!」

「魔王がヘンな妄想すんな! ブッ殺すぞ!」


 とまあ試合後、長船とクズノハからこんな言葉をいただいた。あと宰相から最優秀戦術賞としてトロフィーと盾と1万弊(10万円)を貰ったが、お金以外は実のところ、鬱陶しいだけなのでどうでもいい。金だけはもう、本の虫としてはいくらでも使うのであって困るものではないのだが。


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