第23話 諸魚、将に竜に化さんとす

 また少し時間が経って。


 6月19日。新羅辰馬と神楽坂瑞穗が出会った日がやってきた。


 別に記念のケーキを買ってくるような日でもない。悲劇の記念日なので、瑞穗としては思考の端にも上せたくはあるまい。だがこの日に限って、新羅邸に長船言継おさふね・ときつぐ……かつて瑞穗をもっとも激しく凌辱し、今も強く執着する男がやってくる。


「おっさん、ここ、一応学校の敷地内なんだけど?」


 辰馬は不機嫌そのものの表情で言った。尚父しょうほたらんと自負している長船はやや、鼻白んだが、その程度でくじけるほど軟弱なメンタルをしていない。そうでもなければヒノミヤを捨ててアカツキに寝返り、そこで参謀官として活躍などと言う優秀ながら厚顔無恥こうがんむちを地で行くような真似は出来ない。


「瑞穗は? いるでしょ?」

「うるせーよ。とりあえず髭剃って出直せ」

「いや、俺が髭剃ると美形過ぎて。女が寄ってきてかなわんのですよ」


 軽くへらり、と顎を撫でてみせるが、それはあながち、嘘でもない。長船言継という男は30過ぎのいいオッサンであり、それ以上に人格破綻のサディスト性欲肥大者だが、うっすら生えた無精髭を抜きにしても相当に美男子ではある。辰馬のような美少女的な顔立ちとは違う、どちらかというと野趣のある男らしい美形だ。神月五十六は褐色肌だったが、肌色が白いという違いを除けば、ある意味あの老人に似ていなくもない。長船は京城柱天の門番の息子だし、まさか五十六との血縁関係もなかろうが。


「……まぁ、いーや。なにしにきた?」

「瑞穗と一周年記念でセックスしに」

「死にたいらしいなお前!」

「いやまぁ、冗談ですって。新羅公も結構、軍略について見識を広めたってことで。ひとつ今日はそれを試しちゃ見ませんか?」

「試すって。まだ受験まで相当あるけど……」

「まあ、付いてきてくださいよ。楽しいところにお連れします。あ、それと瑞穗と、磐座を連れて。3人1チームですんで」

「チーム?」

「だから質問は現地に着くまでお休みですって。まあ、新羅公がぽんこつでも瑞穗と磐座がいれば勝てるでしょう」

「おいコラ、だれがぽんこつだよ?」

「あぁ、それなりに自信はあるようで。それなら結構」


・・

・・・


「辰馬さま……手、離さないでくださいね?」


 長船の存在に怯える瑞穗が、辰馬の手を強く握る。ちょっとの接触でも瑞穗の超弩級胸部装甲はこちらに触れて柔らかさを伝えてくるから、なにかと心臓に悪い。


「おー……」

「仲のいいこと。というかわたしはヒマではないのですけど、長船?」


 辰馬が瑞穗に生返事を返すなか、磐座穣いわくら・みのりはやや権高に長船に対して怒声を上げた。


「いつまでも人の上司ぶッてんなよ、小娘ェ。だいたい、ヒノミヤが負けたのはてめぇの実力不足だろぉが。負けたくせに責任とって凌辱されるわけでもなし、なにのうのうとイキってんだお前ごときがよぉ?」

「へぇ……それがお前の本性ですか。そういえば、那琴さんも寧々さんもお前に穢されたのでした……ここで、その罪を精算、させましょうか」


 穣は水干すいかんの袖から宝杖を取り出す。言い様は静かながら言うことは怒りに満ちており、その碧眼には瞋恚しんいの焔が燃える。


「すぐにキレんじゃね-よ、クソガキ。ったく、なんで五十六のじーさんがお前みたいなへちゃむくれを気に入ってたのか……ま、あの爺も耄碌もうろく……がふっ!?」


 五十六への暴言が吐かれた瞬間、穣の怒りが沸騰した。洗脳による盲信は解けたとは言え、やはりなお穣の中に神月五十六こうづき・いそろくの存在は大きく、辰馬に惹かれながら素直な態度を取れないのも五十六への忠誠が残っているからに寄る。


「死にたいようですね」


 冷然、冷徹、冷酷無比。それこそ魔王だってそうそう見せないほどの迫力で、穣は長船に宝杖を向ける。穣自信の能力は情報収集のみだが、宝杖に秘められた力は万象の支配という凄まじいもの。かつてヒノミヤ事変で穣が予定通りに「ホノアカの心臓」を手に入れ、そしてこの宝杖を駆使していたら。辰馬は負けないまでも苦戦し、そしてその先の五十六戦で敗北していたかもしれない。というかそもそも穣は最初からそれを想定していたわけだが、兄・遷の裏切り(というか妹思い)により失策した。


 ともあれ、宝杖の力を使えば局地的に酸素を奪って窒息させるていどのことは難しくもない。穣の怒りはさらに収らず、さらに宝杖の力を解放、天から光の柱を降らせ、長船を打ち据えた。


「…………ッ!!」


 人間が頸動脈を扼されて意識を保ちうる時間は4秒。これはどれだけ筋肉を鍛えようがどうしようもない。脳に酸素が届かなくなるのだから、意思や根性でどうにかできるものではない。だが、長船は4秒経過後もかろうじて意識を保っていた。幻影使い、長船言継の能力は幻覚を見せることだけではなく、認識を阻害するという力も備える。それによって締め付ける場所を、頸動脈からわずかにズラしていた。認識阻害してもやはりだいたいの部分では外せないわけで苦しいのは変わらないが、失禁脱糞して白目を剥くのだけは避けた。かれの魔術もまた覇城瀬名はじょう・せな同様、人理魔術に過ぎないのだが、応用性の高さはそれなりに高く、こうして神力に抗しうる。


「そんくらいにしとけよー。さすがに殺人とかシャレんならん」

「新羅……邪魔をしないで下さい! この男は許されないことを言いました!」

「あーもう、なんかなー……もうなんならあの爺のことわすれてさー、おれンこと好きになれよ、お前」


 それは、いろいろ吹っ切れた辰馬の博愛主義(ハーレム志向)が言わせた、喧嘩するより仲良くしろの言葉だったのだが、穣のほうは平静でなどいられない。なにせこの数ヶ月、ずっとこっそり意識し続けてきた相手のこの言葉である。自分があれだけ素っ気なく振る舞ってきたのに、もしかして全部見抜かれていた? そう考えると穣の頭の中は真っ白になり、瞳の中がぐるぐる回る。ヒノミヤの天才軍師は白面を熟柿じゅくしのごとく真っ赤に染め、何度も頭を振り、そしてもうどーでもよくなった長船への術を解いた。


「くはぁ! ……し、死ぬかと……この、とんでもねぇ凶暴だな、軍師様よォ?」

「黙りなさい」

「あァ? 新羅公に言われて照れてんのか? なんでぇ、可愛いとこ……」

「お前懲りろよ。またやられるぞ?」

「……あー、つい。いやいや、磐座さまがあんまり可愛いんでね、ちょっとからかいたく……」

「だからそれをやめとけって。で、何処行くって?」

「柱天ですよ。まぁ、ちょっとしたゲームがあるんで」

「ゲームとか、んなことやってる場合じゃねーんだけど……」

「いえいえいえいえ。ちゃんと新羅公を呼ぶ理由のあるゲームですよ。兵法の腕試し、っていうね」

「腕試し?」

「まあ、模擬戦ではありますが。どうです、やる気になったでしょう?」

「あーな……うん。そーいうことならやる気にもなる。で……おれにヒノミヤの天才が二人付くのか? 有利すぎじゃねーかな……」

「さて、どーでしょう。なかなか、侮れない連中が集まってるようですし。兵法鼻祖の国、桃華帝国の俊英……あの呂燦りょさん将軍の秘蔵っ子なんかもね」

「へぇ……」


 辰馬は呂燦を知らない。いや、ヒノミヤ事変の最終局面でアカツキ勢勝利を決定づけた、ひとかたの立役者だと言うことは知っているが、個人的なことはなにもだ。穣に聞けば知っていたのかも知れないが、いままで辰馬が穣に対してそのあたりを尋ねたことは一度もなく、穣も自分から語ることはなかった。実のところ、征南将軍・呂燦はあの勝利を演出しアカツキから大量の領土割譲を引き出したことで国家の英雄となった……はずだったのだが、そこでアカツキ宰相・本田の詭計きけいにかかり獲得した版図どころか逆に大量の国土を浸食され、愚将、無能の烙印を押されている。


 しかしそれは政治的な面での敗北。軍人としての呂燦は桃華帝国とうかていこく四隅将しぐうしょうの中でも傑出した軍事の才覚を誇り、とくにアカツキ屈指の勇将・井伊の猛攻をここ数年にわたり完全に封殺していた技量は彼にしかなしえない。猪武者というより知略の人であり、政治には無頓着ゆえそこを突かれて本田にしてやられたのだが軍略家としては東方諸国に比類なし、と言われるほどの人傑である。一度滅んだ世界、その上古の世の天才兵法家とすら、肩を並べるとも言われているほどで、しかも武芸絶倫でもあり、配下の勇将6人との7人がかりとはいえラース・イラのあの天才、世界最強、ガラハド・ガラドリエル・ガラティーンを撃退したほどの武勇を誇る。相当に信じられないレベルの人間である。


 まあ、今回登場するのはその弟子であって、呂燦本人ではないということなのでどれほどのものかはわかりかねるが。


 穣が積極的に長船に聞き始める。どうやら呂燦の秘蔵っ子に対して、見知り合う前からライバル心があるらしい。かなりにわかりやすい負けず嫌いであった。


「って離してる間に、柱天ですよ。図南の間には行ったことあるっしょ?」

「あぁ……ヒノミヤ事変の最初の日にな」

「んじゃ、俺はこれで。一応、審判役なんでね。これ以上は肩入れってことになっちまう」

「あー、ま、頑張れ」

「あんたが頑張るんですよ! ちゃあんとこっちの思惑通り、王を目指すとなってくれたんだ。こっから先しっかり勝ち続けてもらわねーと」

「そーだなぁ……負けたら終わりの世界だしな。全部勝つしかねぇわ」

「つーわけで、頑張って下さいよ。わが主」

「そんなもんになった覚えはねーが。ま、いーや。なんにせよ、勝つ」


・・・


「そう上手くいきますかね?」

「あ?」


 露骨に馬鹿にした口調に、辰馬は振り向きもせず巻き舌だけで答える。あんまり気配の消し方が下手すぎて、わざわざ確認のために振り向く気にもならなかった。まさかこの声の主が桃華帝国・呂燦の秘蔵っ子ということはどう考えてもなさそうだが。


「おい! ちょっと! こっち向きなさいよ、オイ! あなた新羅辰馬でしょう? 魔王継嗣の!?」

「あー……だったらなに?」

「やっと振り向いた……くく、あなたの最強伝説、私が終わらせて差し上げましょう……」


 自信満々、そう告げたのは、やたらちんまい、デブで顔も潰れて鼻も潰れ、細い糸目に丸メガネを掛けた、辰馬よりいくつか年上らしき若者。なんというか、「出水に似てんな」と辰馬はとんでもなく失礼なことを考える。出水は小デブだが、あれはあれでよく見れば端整な顔立ちといえなくもない。だが辰馬にとってころん、とした体格は一律で「出水っぽい」相手でしかなかった。


 そいつはくぃっ、くぃっ、とやたらせわしなくメガネのブリッジを上げ下げする。


「ふふ、怯えていますね? この私の自信に。どうやってあなたを打破するか、その……」

「邪魔だ」


 思いっきりドヤ顔で口上をぶちあげようとしたデブを、後ろから歩いてきた男たちの一団が無慈悲に突き飛ばす。桃華帝国の国象色、薄紫を基調とした民族服の一団、その先頭に立つ、長髪を後ろで結わえた眼光鋭い男は……。


 こいつ……。


 辰馬が思ったのと同時に。


 ほう……。


 男のほうもまた、わずかな驚嘆と興味の色を緑がかった黒瞳こくどうに乗せる。


「あんたが、征南将軍の秘蔵っ子ってヤツ?」

「その言われ用はあまり愉快ではないが、確かにそう言われてはいるな。お前は……魔族と……神族の臭いもするな。となると、盈力使い。なるほど、魔王の後継、新羅辰馬とはお前のことか。アカツキ内戦(=ヒノミヤ事変)では女装して兵士たちの指揮を爆発的に高めたとか。確かに、似合いそうだ……」


 さすがに少し驚いた。今まで、辰馬のことを「混ざり物」と呼ぶ相手は多かったが、初見で「神魔のハーフ=盈力使い」と看破した相手はほとんどいない。とはいえ後半部分のことばで辰馬の心証はきわめて、悪くねじくれたものになったが。


「ちょ、私を無視してライバル演出はやめていただきたいですね! 私はかのクーベルシュルト、マウリッツ・リッシュモンド伯の一の弟子レンナート・バーネル! 対戦表を見る限り、あなた方が激突することはないでしょう! なぜなら3回戦で呂燦将軍の秘蔵っ子、戚凌雲せき・りょううんどのは私に敗れるのでね!」

「ふむ……バーネルどの、か。確かに貴公の研鑽は相当のものがありそうだが。まあ、相手が悪かったな。勝つのは私だ。所詮西方の兵法はわが桃華帝国のそれの模倣。貴公はそれを思い知ることになるだろう」


 呂燦の秘蔵っ子……戚凌雲はそう言うと、二人の仲間を引き連れて整然と去って行った。


「……瑞穗、読めたか?」

「いえ、読めたというか読めなかったというか……清んだ湖面のような心で、読み取れるものはなにも……あんなのガラハド卿以外では初めてです……」

「うーん……学生レベルとか余裕で勝てるとか、その考えは甘かったな……ま、全力ていくしかねーわ」


 こうして、新羅辰馬を巻き込み、模擬戦大会が幕を開ける。やはり圧倒的に強いのは戚凌雲率いる桃華帝国チームであり、大口を叩いただけにバーネルのクーベルシュルト勢も強い。そして新羅辰馬も、破竹の快進撃で2回戦までを勝ち上がった。


 その前に、凌雲とバーネルの3回戦。


「これはもう、見ておくしかねーよなぁ」


 棋盤上で繰り広げられる、実戦さながら、虚々実々の駆け引き。さて自分の相手になるのはどちらかと、辰馬はテレビ画面(sponsored by 覇城瀬名)に映る棋面を見つめた。

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