第22話 魏囲趙救-弟を扼して兄を脅す

「……あの女ァ、まだ首が痛てぇ……」

「おれは膝外されてしばらく歩けなかったっつーの、なんだあのアマ」

「まぁ、女だけに多少、俺らより腕が立つのかもしんねぇが……金鷹きんよう学園総勢2200人、これだけ居れば敵じゃねぇ。ブチのめして泣きわめかせて、ズタボロに犯してヒィヒィ言わしてやるよ!」


 なにやら倉庫のような薄暗闇のなか、陰気な情念を感じさせる声で語り合うのは、かつて昨年6月、新羅辰馬に瞬殺されたチンピラ少年たち。そのリーダー格はそれぞれに伊丹直人、長和久、温井廉、平幸弘、三宅香月、遊佐幸二、おなじく遊佐の弟謙二の七人。


 彼らは今なお辰馬を絶世の美少女と思い違いしており、過去の報復に徹底的なレイプでもって報いることを誓い男子校、金鷹学園の総力を結集した。復讐という大義名分で美少女を犯せるとあって、性欲旺盛な学生たちはあっさりとリーダーたちのもと集結した。モラルの低いチンピラ学生たちは、このあたり非常にタチが悪い。


・・・


「なんか、寒気がすんな……」

「そうですか? わたしは暑いくらいですが……」

「お前のは巫女服……水干すいかんだっけ? 来てるからだろ、シャツにしとけ、シャツに」

「着衣の乱れは心の乱れ。正装を違えるわけには参りません。わたしは神楽坂さんのように簡単に、下界の文化に流されませんので」

「あ、そう……」


 ブルッと身を震わす辰馬。今日は瑞穗は図書委員のお仕事中であり、辰馬に勉強を教えるのは金髪ツンデレ、磐座穣いわくら・みのり。ヒノミヤ最高の頭脳はキレも冴えも瑞穗以上なのだが、教え方が厳しいうえに素っ気なく、辰馬としては少々やりづらい。まあ、ついて行けないほどのことはないので構わないのだが。


「今日の例題は囲魏趙救いぎちょうきゅう。魏とか趙というのは上古世界の、桃華帝国のルーツになった国の群雄の名前ですが、そこを覚える必要はありません。簡単に説明すると強敵を相手にするとき、これを直接相手にせず、別の所にある敵の急所を攻めることで鋭鋒を避ける、そういうものだとご理解下さい」

「はあ……まあ、わからんことはないか。大勢に喧嘩売られたら頭の家族を人質に取って逆転とか、そういうことだろ? やっぱ兵法ってえげつねーわ……」

「えげつなくて大いに結構。勝つために手段を選べるなんて幸せな状況が、そうそう転がっているものではありません」

「まあ、そーかもなぁ。少なくともそーいう手を平気で使えるよーにならんと、軍人にはなれんか……」


 言いつつ、一枚の封書を見遣る。それは長船言継からのもので、ヒノミヤを脱し要領よくアカツキの軍属になった長船は、大尉、参謀として北方、桃華帝国戦線に活躍しているということを自慢たらたらに書き付けてあった。


 桃華帝国とアカツキはヒノミヤ事変の際秘密同盟を結び、征南将軍・呂燦が大軍をひきいてアカツキを助けるという友好をしめしたのだが、アカツキ宰相・本田馨綋ほんだ・きよつなは謝礼として一度、割譲かつじょうした領土に軍を入れて逆にもとより以上の版図をとりかえし、そして桃華帝国以北の極寒の国ヘスティアと結んで挟撃の構えを見せることで、うかつに桃華帝国が動けない状況を現出、その間隙を縫って軍部の№2、大将軍・井伊率いる北面軍が桃華帝国に侵掠戦をかけている。今までは辰馬にとって無縁のニュースだったが、誰にも後ろ指指されることなく自分の女を自分のものとして守るために王となる、その大望のためにまず軍属を目指す辰馬としては、このあたりの情報にもしっかり目を通さねばならない。


 とはいえ。やはり瑞穗と穣とでは一緒に居るときの気疲れが違う。少々、披露した辰馬は「少し、休憩いいか?」と切り出した。


惰弱だじゃくですね。かりにも王になるなどと大言壮語を吐いたなら、もっと集中力をしっかりもたなけばなりませんよ。まあ……新羅は始めたばかりで集中の方法にも不慣れでしょうから、1時間だけ許します。外の空気を吸ってきて下さい」

「あー……そうする」


 惰弱、と罵りながら一応、一時間の休憩を許してくれるあたり、言うことは手厳しいが穣は案外優しい。まあそれを言うとたぶん怒られるので、素直に褒めることもできないが。


・・・


 しばらく外を歩いていた。学園の敷地を出て、実家の近く、艾川よもぎがわの近辺の芝生にすこし腰掛ける。心に去来するのはかつてこの地で首討たれた新羅家の祖先、伽耶聖かや・ひじりのこと。凌河帝りょうがていの命を盾に取られ、どちらにせよ帝は殺されるとわかりながらなお忠節を貫き、果てない凌辱の末に大逆人として斬首させたアカツキの民族英雄。


 だめだな。どーせなら勝てよ、ばかたれ。


 結局、そう考える。悲劇のヒロインだろうがアカツキ最大の英雄だろうが、結局負けて主君も守れず、というのは辰馬好みではない。辰馬の望みは全員揃ってのハッピーエンドであり、出来れば悪役だってなんだって殺したくない、というのは甘すぎるのだろうが、それが偽らざる気持ちだ。


 ふと、ボールが転がってきた。鞠とかではなく、近年アカツキにも普及してきたサッカーボールだ。


「おねーちゃーん、ボールとってー!」


 クソガキ……つぁーらんことを……。


 とは、思いつつもまあ、大人げなく激昂はしない。もう大概女扱いにも慣れてきた。逆レイプばっかされて徹底的に受け役を仕込まれてきたことでもあるし。とりあえず、座ったままひょい、と足先だけでリフト、ひょい、と浮かせて立ち上がり、子供の力でも受け止められる程度のボレーを放ってやる。


 すると。


「す、すげー! ねーちゃんすげー!」


 なんか感動された。相手してるヒマ、ねーんだけどな。帰るか……と思うも、子供は辰馬にしがみつく勢い。相手が大人なら「うるぁ!」と投げ飛ばすなり蹴り飛ばすなりするのだが、純真無垢に慕ってくる子供相手にそれはできない。


「俺、悠斗ゆうと。伊丹悠斗って言うんだ! ねーちゃんは?」

「あー、新羅辰馬。ねーちゃんじゃなくて、おにーさんな」

「へ、おにーさん? 男なの、そんな顔で? ヘンなのー!」


 さすがにおいガキ、殺すぞと言いたくなるが、ぐっとこらえる。まあ悠斗に一切の悪気はないので、辰馬としても引きずることはなく。適当にサッカーの指導というか、相手をしてやると悠斗はもうプロ選手でも見るような目で瞳を輝かせた。アカツキのサッカーレベルはまだまだ低いし、辰馬が、それほど得意とは言えないとはいえやはり卓絶した運動神経を有すということで、ある意味実際、プロに近いといってもいい。


「一時間過ぎたな……こりゃ、磐座の雷が落ちそうな……。そんじゃーな、悠斗」

「うん。またね、おにーちゃん!」


・・

・・・


「30分の遅刻。いったいどこでなにをしていたんですか?」


 辰馬の方には一瞥もくれず、懐中時計の針を見ながら、磐座穣は静かな怒りを放出する。その強烈な意力マナスは、こいつ情報収集以外になんか神力持ってるのか? と辰馬を怯えさせるほどのものだった。はっきり言って、怖い。


「いや、ちょっとガキとサッカーを……」

「へぇ……王になる、その意思をあっさり放り出して球蹴りあそびですか。それはさぞかし楽しかったでしょうね。そんなことでは大願成就、けっして不可能でしょうけど」


 そこから辰馬は穣にネチネチといびられた。穣にとってこれは素直になれない愛情表現の形なのだが、そんな迂遠うえんなことをされても基本的に鈍い辰馬には届かないわけで、ただひたすらに「磐座は怖い」ということしかインプットされない。辰馬もそれなりに放胆ではあるのだが、女性の機嫌を損ねて平気で居られるタイプでは全然なく、おろおろと狼狽える。


・・

・・・


 それから数日、辰馬は悠斗と暇を見つけて遊んだ。


 悠斗は家庭のことに関しては異常なまでに口が硬く、特に家族のことは頑として口をつぐんだ。まあ、辰馬だって自分が魔王の継嗣けいしと名乗るつもりはない。とはいえ瞳の色を隠しもしていないので「混ざり物」ということはわかってしまっているだろうが。


 そして、昼は悠斗と遊び、夕方からは瑞穗か穣と兵法授業、という日々が続いたある日。


 一度に2000人近い不良学生に、河原で辰馬は囲まれる。雲霞の大群に、河原が黒く埋まった。


 まずいなー……いや、別に怖い相手じゃねーが、今は悠斗もいるしな……。どーすっか……。


 心の中で頭を搔く。もういっそ盈力をぶっ放して一斉に半殺し、とか物騒なことすら考えるが、また暴力事件で案件になるのはごめんだ。


「よぉ~、お嬢ちゃん。この前の借りを返しに来たぜェ~……?」

「………………、………………? 誰?」


 辰馬は相手のことを思ってしっかり熟考、思い出すことにつとめたのだが、まさか半年前にいらんちょっかいをかけてきたチンピラなど覚えているわけがなく。申し訳ないが首を傾げて聞き返すしかなかった。伊丹はガクリと膝にきたもののチンピラ特有のゴキブリ的しぶとさですぐに復活、いやらしい笑いを顔にはり付ける。


「ま、いいさ。見ろよこの人数! いくらおめーが神力使いだか武術の達人だかしらねーが、ボッコボコのギッタギタの、ボロ雑巾にして気が狂うまで犯しまくってヤっからよぉ、覚悟しろやおじょーちゃん!」


 あまりにもチンピラ全開な下卑た台詞に、辰馬以上に過剰反応したのは悠斗。


「にーちゃん……」

「あァ? 悠斗……おま、なんでこいつと……」

「てゆーかにーちゃん、師匠になんてこと言うんだよ! ホント最低だな、にーちゃんは!」

「あー……兄弟?」

「うん……恥ずかしながら、俺の兄貴」

「う、うるせーよ! 関係ねぇ! とにかく……」

「おっと待った」


 辰馬は悠斗の身体を抱き抱えると、首に手を掛ける。


 魏囲趙救。うん、ちょうどいいシチュエーションだわ、これは。


「じっとしろよー。お前の弟の首が、ポッキリ行くからなー。おれ、これでも握力80ちょいあるし。子供の首くらい簡単だぞ」

「ちょ……おまえ、外道! 悠斗を離しやがれッ!」

「うるせーわ、数に飽かして人を襲うよーな外道が、言えたことか」

「ナオトくん、なにビビってんだよ、弟だかなんだかしらねーけどあんなガキ!」

「黙れ黙れ黙れッ! 悠斗はなぁ、あんなガキ、なんかじゃねーんだ……ッ!」

「そーだよなぁ。で、そこらの連中にも。大事な家族や仲間や恋人が居ると思うけど。おれやおれの仲間にいらん手ぇ出すなら、お前らの大事なもんを全部むごたらしく壊して、殺す。年取った母親だろうが、つきあい始めの可愛い後輩だろうが関係なく殺す。さて、ご諒解?」


 思い切りハッタリだが、効果は絶大だった。なにせ幹部連中は実際、辰馬がやろうと思えばそれを可能な身体能力、戦闘力をまのあたりにしており、さらには悠斗が兄への義憤か師匠たつまへの恩義からかいかにも苦しそうに演技してみせるのも効果大だ。


「さ。どーする? おれはどーでもいいぞー。どうせ、2000が5000でも結局、おれが勝つし」


 にらみ合いが長く続くことはなかった。辰馬の頭のおかしい(演技ではあるが)発言に恐れをなした連中は自分の大事なものを壊されるリスクをえらんでまで、襲いかかる道をえらべない。結果、三々五々解散、という事になった。


「もういーだろぉが! 悠斗を離しやがれ、外道がッ!」

「あいよ。悪かったな、悠斗」

「ううん、バカ兄貴を懲らしめられてすっきりした!」

「……ぉ、お前、今のアレ……?」

「ま、そーいうこった。けど、おれやおれの仲間に手ぇ出したら。そんときはホントにお前らの大事なもの、ぶっ壊すかんな。そこんころ覚悟しとけ」


・・

・・・


「だから! なんでこの程度の簡単な設問が解けないんですか、バカ! あなた本当に王になるとか……そもそも軍学校だって怪しいですよ、いまのままじゃ」

「う……すんません」

「今後一問間違えるごとに、あなたの大事な本を燃やします。そうしたら、多少は必死になるでしょう?」

「ちょ……そ、それは!」

「問答無用です! わたしは神楽坂さんのように甘くないですからね、びしびし行きますよ!」


 今日も、辰馬の講師は磐座穣。少々難しい件に入ってミスを連発する辰馬に、穣の怒りが炸裂した。大事にゆっくり読んでいてまだ読了していなかった絶版書を本当に焚書されるに至って、辰馬は勉強に本腰を入れることを誓うのだった。

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