71、赤
慌ててレイナン様の執務室に伺うと、すでにフレイア様とイリルが来ていた。私はすぐに謝罪する。
「申し訳ございません。お父様とミュリエルがご迷惑をおかけしたとお聞きしました」
レイナン様は首を振った。
「いや、クリスティナ。申し訳ないのはこちらだ。部下が不用意に謹慎という言葉を使ったようで、そのことを告げてからすぐミュリエル嬢と一緒に宮殿を出たらしい。まさかそんなにすぐ出て行くとは思ってはいなかったようでね。いろんな意味で厳重に注意したところだ」
「不用意過ぎるわ」
「まったくだ」
フレイア様とイリルは厳しい顔をしているが、私はその部下の方を責める気にはならなかった。
「謹慎……が嫌だったのでしょうか?」
問いかけるようにイリルを見ると、イリルは頷いた。
「罪に問われると思ったんじゃないかな」
私はため息をついた。それだけのことをしているのに。
「あまりにもお見苦しい態度です……本当に……申し訳ございません」
「クリスティナ」
何度も謝る私の目を、フレイア様が慰めるように覗き込む。
「あなたのせいじゃないわ。公爵のなさりようがおかしいのよ。ね? レイナン」
「ああ。なぜ余計に怪しまれることをしたのか。今、公爵邸に人をやっているところだ」
「あの……」
いてもたってもいられなくて私は言った。
「よろしければ、私も様子を見てきてもいいでしょうか。屋敷の様子も気になりますし」
お兄様の卒業式の最中に私とイリルが逃走したことは、トーマスの耳にも入っているだろう。宮廷から人が来るのであれば、余計に何が起こっているのか不安になるはずだ。彼らの気持ちを落ち着かせるためにも、一度屋敷に戻りたかった。
そう説明すると、レイナン様もフレイア様も納得してくれた様子で呟いた。
「確かに。短い間にいろいろあって屋敷の人は動揺しているでしょうね」
「そうだな。だがすぐに帰ってきてほしい。それに護衛もしっかりつけて。なんといっても君は『聖なる者』なのだから」
「もちろん、すぐに戻りますわ。ありがとうございます」
「クリスティナ」
イリルが私の隣に立って、私をじっと見つめた。
「私もついていく」
「え、でも」
気持ちは嬉しいがすぐには頷けない。今回の件についてイリルは多方面へ報告と指示を出さなくてはいけない立場なのだ。こんなことに関わっている暇はない。イリルは私の戸惑いを見抜いたように目を細める。
「言っただろう? 私がクリスティナを守るって」
「でも……家に帰るだけよ? 大袈裟だわ」
「全然、大袈裟じゃない」
話しながらどんどん顔が近づいてきた。
——近い近い近い!
こほん、とレイナン様の咳払いがした。イリルは渋々、一歩離れる。
フレイア様が笑った。
「クリスティナ、あまりにもイリルが無茶を言ったら逃げるのよ?」
「わかりました」
イリルは心外だと言わんばかりに口を尖らせてから、レイナン様に視線を向けた。
「いいだろう? レイナン。私がクリスティナの護衛ということで屋敷に行っても」
「仕方ないな。他の護衛も連れていけよ?」
と、そのとき。突然扉が激しくノックされた。
「誰だ?」
レイナン様が問うと。
「失礼します! 殿下、至急の伝令があります!」
突然現れた騎士が、レイナン様に何かを耳打ちした。
「なんだと?」
レイナン様の顔色が変わる。そして、イリルに向かって言った。
「すまないが、予定変更だ。イリルは残ってくれ」
「なに?」
「ドーンフォルトの宰相と第三王子が突然、倒れて亡くなったそうだ」
‡
イリルは最後まで一緒に来たがったが、結局ルシーンとカール、そして数名の護衛で私は公爵邸に戻った。
馬車の中でルシーンからギャラハー伯爵夫人と、陛下のお世話をしていた侍女のポリーという方が倒れたことを聞いて私は驚いた。
ポリーのことはわからないが、ギャラハー伯爵夫人といえばドゥリスコル伯爵と常に傍にいた方だ。
伯爵がいなくなったタイミングで倒れるとは、どういうことだろう。
レイナン様から去り際に聞いた言葉がよみがえる。
——ドゥリスコル伯爵は、シェイマスの卒業をサプライズで祝うつもりで会場に来ていたと言っていたよ。
お兄様の卒業をあの伯爵が?
私の知る限り、お兄様と伯爵の接点はなかった。お父様を通じて知り合ったのだろうか?
——待って。確か、ミュリエルの家庭教師はギャラハー伯爵夫人の紹介だったわ。
同じように夫人から父に、ドゥリスコル伯爵が紹介されていてもおかしくはない。
私の知らない間に随分と私の領域に入り込んでいたのだ。あの男は。
ぞく、と背筋が冷える思いがした。
——本当にあれで終わったの?
私は思わず御者に叫んだ。
「悪いけど急いでくれるっ?」
「かしこまりました!」
‡
「クリスティナ様! おかえりなさいませ」
公爵邸に到着すると、トーマスがほっとしたような顔で出迎えてくれた。一緒に階段を上がりながら質問する。
「お父様とミュリエルは?」
「お部屋にいらっしゃいます」
「宮廷から人が来なかった?」
トーマスは気まずそうに答えた。
「旦那様たちが帰ってらしてからすぐにお見えになったのですが、追い返されたようです」
「追い返す? 宮廷からの遣いを?」
「はい。客がくるとかおっしゃって」
「誰か来たの?」
トーマスは躊躇ってから口を開いた。
「宮廷の方たちと入れ違いでダニエラ・イローヴァー様がいらっしゃいました」
お父様とお付き合いされていると噂の女優だ。
——そんな場合じゃないでしょうに。
憤りを感じながら私はお父様の部屋の前に立った。ノックをするが返事はない。
と、異臭を感じた私は扉の隙間に鼻を近づけた。
「……お酒の臭い?」
「そのようですね。しかしこの量は」
これだけ臭うからにはかなり飲んだのだろうか。それにしては臭いが強すぎる。不審に思っていると、急に扉が開いて、中から人が出てきた。
「何度でも言うさ! もうあんたとは終わりだよ! 今さら結婚なんて言われても迷惑だ!」
鮮やかな深紅のドレスに、羽のついた髪飾り。
「ダニエラ・イローヴァー様?」
思わず呟くと、ダニエラ様は今度は私を見て叫んだ。
「ああ! お嬢様!! 公爵様を頼みましたよ。もう私とはなんの関係もない人なんでぎゃっ!!」
ダニエラ様が最後まで言い終わらないうちに、部屋からお父様が現れ、ダニエラ様のドレスの裾に、手にしていた瓶の中身をぶちまけた。
——この臭い。
「お酒?」
ダニエラ様は思い切り眉間に皺を寄せた。
「だからそれなんなのよ? さっきから。飲まずにあちこち酒を撒いて」
「ああ、クリスティナ。帰ってきたのか。やっぱり思った通りだ」
ダニエラ様を無視したお父様は私を見て満足そうに笑った。
「何がですか?」
「お前は絶対ここにくると思ったよ」
そしてどこに持っていたのか、蝋燭の火を部屋に向かって投げつけた。
——ボッ!
「お父様?!」
「旦那様!」
お父様の部屋はみるみるうちに、火の海になった。カーテンが、絨毯が、炎が舐めるように侵食していく。燃えていく。
「嘘でしょう……?」
目の前の光景が信じられず私は呟く。
過去を思い出して足がすくむ。
なにこれ。
もしかしてダメだったの?
もしかして——
「さあ、どうする? クリスティナ」
お父様は目が赤く光っているのは、炎を映しているからだろうか。
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