67、十年前
「落ち着いて、さあ、ここに座って」
最初に私を迎えてくれた修道女の方が、会堂の入り口にある長椅子を勧めてくれた。確か、この方はネリー様。私より十歳ほど年上だったはず。ウィンプルで今は隠れているが豊かな金髪が美しく、いつも凛としてらした。
「水よ、飲める?」
私に水を手渡してくださったのは、パウラ様だ。
ルシーンと同じくらいの年齢で、明るい茶色の髪を上手に編み込んでいる。おっとりした喋り方が愛らしかった。
「ありがとうございました」
コップを椅子の上に置いて、私は立ち上がる。
「申し遅れました」
はやる気持ちを抑え、淑女の礼をした。
「私、クリスティナ・リアナック・オフラハーティと申します。どうしても、いますぐ王笏を手にしなければいけない理由があるのです。無茶を承知で申し上げますが、どうかひととき、お貸しいただけないでしょうか」
「オフラハーティ? って、もしかしてあの、四大公爵家の」
パウラ様が目を丸くした。真剣な目で私は頷く。
「不躾は承知です。突然、こんなことを言って申し訳ありません。ですが、どうしても必要なのです」
「そんな……」
「急に言われてましても」
ネリー様とパウラ様が判断つきかねる様子で顔を見合わせる。迷う気持ちはわかる。だけど私も時間が惜しい。急いで戻らなければイリルがどうなっているか。
「お願いします! 後で必ず戻ります。お礼ももちろん致します」
見返りで動くような人たちではないと分かっていながら、そうとしか言えない。ネリー様とパウラ様が宥めるような声を出す。
「落ち着いて。まずは院長にお聞きしますから」
「今すぐ呼びに行きますから、ここで待っていてくださいね」
「お願いします!」
ネリー様が会堂を出ようとしたそのとき。
「呼びに行くまでもありませんよ」
「院長!」
インゲルダ様、と口に出しそうになり、なんとか飲み込んだ。
開け放たれた扉から、小柄でお年をお召しになった修道女姿の女性が現れた。
ネリー様がそっと近付いて、状況を説明される。インゲルダ様はこちらを見て小さく微笑み、私の側まで来て仰った。
「ではあなたはオキャラン様の?」
はい、と私は再び淑女の礼をする。
「ナイオル・コルム・オキャランの孫娘に当たります」
「先代当主様のお孫様ということは、アルバニーナ様のご息女様になるのね」
インゲルダ様は懐かしそうに目を細められた。そして、ネリー様とパウラ様に向かって告げた。
「この方に王笏を貸してあげましょう」
「インゲルダ様?」
ネリー様が驚いた声を出した。パウラ様は口を手で抑えて固まっている。
「ありがとうございます!」
私は心を込めて頭を下げる。インゲルダ様は私の肩に手を置いて、顔を上げるように促した。
「元より、アルバニーナ様に頼まれておりました」
「お母様に?」
「クリスティナ様がご結婚する前に、一度は必ず王笏を手にする機会を与えるように、と」
「……そんな約束を? いつですか?」
「もうかなり前です。おそらく、十年ほど前になるでしょうか」
——十年前? お母様が亡くなる一年前に?
なぜ、と考え、私はひとつの考えに思い当たる。
もしかして。まさか。でもそうとしか考えられない。
——私を守るために?
「こちらです。付いてきてください」
「はい!」
インゲルダ様の後を歩きながら、私は考える。
私がイリルと婚約したのは七年前。
病弱だったお母様がご自分の命が短いことを察してオキャランのお祖父様やエルザ様に託して結んでくれた縁談だ。私はそれをお母様の愛情の現れだと思って受け止めていた。
だけど。
——もしかして、お母様は何か具体的な危機を感じていらっしゃったのでは?
だからこそ、十年も前から私が王笏を手にする機会を計画していた。イリルとの婚約を整えながら。
では、その具体的な危機とは?
「階段になります。気を付けて」
「はい」
インゲルダ様と一緒に細く長い階段を登りながら、私は以前ルイザ様が仰ったことを思い出した。
エヴァ様がお母様の出産の手伝いをしたことを。
——まさか。本当にそんなことを?
お母様は、私を出産することでさらに体調を崩し、長い間寝込んでいたと聞いている。
回復したお母様は、私が守り石を持っていないことを不審に思ったのではないだろうか。
……クリスティナが守り石を持っていたはずですが。
調べてください、とお母様が頼んだとしても、お父様はお母様の話を信じてくれただろうか。
いや、きっと信じない。
お父様はそういう人だ。自分がそうだと思ったことを否定されて、きっとお母様を怒鳴りつけただろう。
「ここです。天井が低いから気を付けて」
「ありがとうございます」
案内されたのは、修道院の塔の一番上だった。
「これですよ」
インゲルダ様は古い木箱の前に立った。同じだ、と私は思う。「前回」と。
あのとき私がここに来たのは、お祖父様が強く勧めたからだ、イリルとの結婚式の前に必ず行くようと。
あのときは守り石のこともその色も知らなかった。だから、短い時間手にしただけだった。
それでも、私が巻き戻ったのは、あのときここに来たおかげかもしれないと思う。
つまり、私を守ってくれたのはお母様なのだ。
ぎいい、と音がして木箱が開けられた。
「どうぞ」
「……ありがとうございます」
先端に輝く濃い紫の石。
紛れもない王笏だ。
私は、ゆっくりとそれに手を伸ばす。
「まあ!」
インゲルダ様が声を上げた。
ほんの一瞬だけど、石が光ったのだ。
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