64、食堂が一丸となって叫んだ

トロフェンの村を発つ前に、ブレスレットの加護で事故を免れたというマーリーザさんと話すことができた。


朝食は食堂で配膳してもらうのだが、私の席にパンを配ってくれた女の子の手首に、見覚えのあるブレスレットが見えたのだ。


「もしかして、ブレスレットが光ったマーリーザさん?」


思わず話しかけると、マーリーザさんはうんざりしたように答えた。


「そうよ。そして本当にこれが光ったのよ。疑ってもいいけどさ」


いろんな人に同じことを聞かれたのだろう。マーリーザさんは面白くなさそうに、手首のブレスレットを見せてくれた。濃い青。間違いなく私が作ったものだ。茶色い巻毛とそばかすが可愛らしいマーリーザさんは、口を尖らせた。


「あんたもどうせ信じないんだろ?」

「いいえ、信じるわ」


即答すると、マーリーザさんは驚いたように目を見開いた。


「あんたみたいなお貴族さんが私らみたいな者のこと信じるのかい」

「えっ」


今度は私が驚く番だった。貴族とは言っていないはずだ。おかみさんが飛んできた。


「こら、マーリーザ、こういうときは知らないふりをするもんだよ」

「バレていたようだね?」


ずっと話を聞いていたイリルが隣で笑った。


「そりゃあね。お兄さんはまあ誤魔化せるとしても、お嬢ちゃんはどう見てもいいとこの子って丸わかりだったからさ」

「兄妹ってことにしといてくれないか。訳ありは訳ありなんで」

「いいけど」


突然、イリルが私の手を取って、手の甲に口付けた。おかみさんとマーリーザさんがキャアっと騒いだ。


「ええええ?」


もちろん私もだ。イリルは楽しそうに目を細める。


「こういうことなんだ。駆け落ちしてきたんだよ」


途端に、食堂がわあっと沸いた。みんな話を聞いていたのだ。マーリーザさんとおかみさん以外のお客さんまで騒ぎ出す。


「やっぱそうだと思ったよ!」

「よしきた! 任せておけ!」

「兄ちゃん、姉ちゃんを大事にな!」

「つまり、姉ちゃんが身分のある人で、兄ちゃんがさらったんだな?」


間違った憶測が飛ぶけれど、もちろん訂正できない。


「追っ手が来てもそう言ってもらえるかな? ここの支払いは奢るから」

「任せとけー!」


食堂が一丸となって叫んだ。

イリルは何故かずっと楽しそうで、私もまあいいか、と見守った。そして、ふと、思った。

今まで淑女の鑑として頑張ってきた私だけど、貴族以外の生活は知らなかった。反対にミュリエルは、うちに引き取られるまで貴族の生活を知らなかった。

私が思っている以上に戸惑いの連続だったのかもしれない。だけど、それをわかってあげようとしているのが私だけなのはやっぱりおかしい。


「ティナ? どうした?」

「ううん、なんでもない」


偽名で呼ばれて慌てて答えた。父に対する怒りがまだ湧くことにうんざりしながら、私は騒がしい中で朝食を食べ終えた。




それからすぐに私たちはトロフェンの村を発った。馬に乗りながら、イリルに聞く。


「あの人たち、本当に口裏を合わせてくれるかしら」

「無理だろうね」


イリルはあっさり答える。


「そうなの?」

「駆け落ちにしろ、訳ありの兄妹にしろ、若い男女が泊まったらすぐに教えろと知らせが来たら話すよ、きっと。でもそれでいいと思う。この馬なら先を越されることはないし、ペルラはもうすぐだ。そうしたら君が『聖なる者』だと証明される。公爵にだって手出しはできない」


イリルの説明を聞いた私は、迷ってから付け足した。


「馬だけが安心する材料じゃないでしょう?」

「ん?」

「宮廷と連絡を取っているよね?」


おそらくこの村が中継所なのだ。だから泊まったのだろう。


「バレたか」

「私だってちゃんと見てます」

「レイナンは事情をわかっている。僕らを捕らえることはしないはずだ。公爵が自分で動けば別だけど」

「あの人は何もしないわ」


父が自分から何かすることは滅多にない。人を使うことは好きだけど。

その後も一度だけ休憩をした。馬を川のほとりにつないで、私たちは腰を下ろした。おかみさんがくれたパンを食べながら、私はイリルに聞いた。


「私の喋り方はやっぱり、貴族っぽいのかしら」

「貴族だから、当たり前だと思うけど」

「じゃあ、イリル、お願いがあるんだけど」

「何?」

「悪い言葉を教えて」

「悪い言葉?」

「少しくらい知っていてもいいでしょう」


イリルは気の進まない素振りを見せたが、私は強引に頼んだ。


「別に知ったからって、使うとは限らないわ。でもひとつも知らないのも世間知らずだなって」


しょうがないなあと、イリルはひとつだけ教えてくれた。ペルラの修道院は、もうすぐそこだった。


          ‡


国王陛下代理としてレイナンは、何人かの護衛騎士をペルラに向けて送った。捕まえるためじゃなく、守るために。そこにはカールもデニスもブライアンも入っている。オフラハーティ公爵がなんと言おうが、レイナンから見て胡散臭いのは公爵だった。


ドゥリスコル伯爵とやらにも、話を聞くという建前でしばらく宮廷に拘束するつもりだった。いくらギャラハー伯爵夫人がかばっても強行するつもりだった。

ところが、レイナンがそう命令を下す前に、伯爵は姿を消した。


「なぜだ? 今消えてどこにいく?」


レイナンはひとり呟く。


やはりクリスティナが『聖なる者』でペルラに行くのを阻止したいのだろうか。だが、自分が動いたら怪しまれるくらいわかるだろうに。


オフラハーティ公爵とミュリエルは大人しくしていた。試しに、ミュリエルにブレスレットを作らせてみたが、一つも満足に作れず投げ出したらしい。ミュリエルからもクリスティナとイリルを捕まえるように要請があったが、レイナンは追っ手を向かわせている、とだけ伝えた。


          ‡


「イリル、あそこ!」


潮の匂いが近付いて、見覚えのある建物が小さく見えた。馬は調子良く駆けている。


「ああ、やっとだね」


防風林の向こう、岬にそびえるように建っているのは、ペルラの修道院だ。


「あの林に馬をつなごうか」


イリルの言うままに私は馬から降りた。

すると。


「やはりここでしたか」


背後から、気持ちの悪い声がした。

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