63、こんなに退屈なところ

ミュリエルとオーウィンが宮廷で暮らすようになってから、フレイアはずっとイライラしていた。


二人が贅沢をしていることに、ではない。クリスティナが今どこにいるかわからないのに、心配もせず毎日はしゃいでいるその態度に腹が立っていたのだ。


「公爵、失礼します」


ついに我慢できずに、フレイアはミュリエルとオーウィンの続き部屋を訪れた。


「これは妃殿下、どうしました?」


まるで自分の屋敷のように寛いだオーウィンが出迎える。ミュリエルは離れたところで何をするわけでもなく、侍女の隣で座っていた。フレイアを見ると一応出迎えようとしたが、それを制してフレイアはオーウィンに言った。


「またドレスを新しくしたと聞きましたわ」


オーウィンは機嫌よく答える。


「これはお耳が早い。『聖なる者』としてミュリエルは活躍の場が増えるでしょうから、必要なのですよ。あのマレードというのは優秀なお針子らしいですな」

「では、早速活躍していただきたいのですけど、よろしいかしら?」

「というと?」

「陛下の体調を治してくださらない? できるんでしょう?」


オーウィンは、はっはっはと腹からの笑い声を上げた。


「もちろんできますよ、妃殿下。それが『魔』によるものだとしたら」

「では一度診てくださらない」

「そうしたいのは山々ですが」


オーウィンは芝居がかった仕草でフレイアを見た。


「……守り石がないんですよ」


フレイアの苛立ちがさらに増したことに気付かず、オーウィンは続ける。


「残念ながら、第二王子とその元婚約者が持って逃げていったので手元にないんです。早く取り戻してください」

「元婚約者って……クリスティナとイリルはまだ婚約中です」

「そのうちにここにいるミュリエルの婚約者になる予定ですよ」


フレイアは耐えきれなくなって叫んだ。


「クリスティナだってあなたの娘でしょう?! どうしてそんなにミュリエル様とイリルの婚約にこだわるんですか?!」

「それはもちろん」


ところがそこでオーウィンは、ぜんまいの切れた機械のようにぎこちなく固まってしまった。


「それは……もちろん……もちろん……もちろ……ん?」

「……公爵?」


ただごとではない何かを感じ取ったフレイアは、思わず距離を取った。それまで黙っていたミュリエルも心配そうにオーウィンを見ている。そして。


「……ああ、これは失礼しました。疲れているのかもしれません」


オーウィンはまた滑らかに喋り出した。


「とにかく、クリスティナとイリル殿下を探してください。守り石はミュリエルのものだ」

「……わかりました」


どちらにせよ、クリスティナたちを保護しなくてはいけない。フレイアは今見たことをレイナンに報告しようと部屋を出た。

その場に残されたミュリエルは、自分も一緒に外に出たいと思った。でも言えなかった。どう考えてもフレイアが自分を連れ出してくれるとは思えない。それくらいはわかっている。


「寝るわ」

「かしこまりました」


ここ数日自分の世話をしてくれる宮殿の侍女にそう言い、ミュリエルは続き部屋の向こう側に行った。そこには公爵邸よりも豪華な天蓋付きの寝台がある。ここでずっと眠ればいい。

いつもそうだった。

辛いことやわからないことがあれば眠る。眠っていればなんとかなる。小さい頃からそうだった。


——それにしても。


絹のシーツの感触を味わいながら、ミュリエルは考える。


——宮殿がこんなに退屈なところだなんて思わなかったわ。


クリスティナが出仕した当初はうらやましくて悔しくて、お姉様ばかりずるいずるいとオーウィンやトーマスを困らせていたものだ。しかし、いざ自分が毎日そこで過ごすとなるとただただ退屈だった。身を飾ることしかできない。


……やっぱり私への対抗意識だけでそこに立っているのね。


不意に、クリスティナに言われたことがよみがえった。


「何よっ!」


ミュリエルは思わず宙に向かって枕を投げた。枕は柔らかい音を立てて、床に転がる。


「どうされましたか?」


侍女が様子を見にきたが、ミュリエルは答えない。侍女は黙って足元の枕を拾い、どこかに行った。


……ミュリエル、あなたに覚悟はあるの? 


投げる枕はなくなったのに、クリスティナの言葉はミュリエルの頭の中で響き続ける。仕方なくミュリエルは寝具に顔を押し付けて叫ぶしかない。


「知らないっ!」


くぐもった声はすぐに消えるのに、クリスティナの言葉は次から次へと現れる。


……自分に課せられた重責をきちんと背負う覚悟よ。


「うるさいってば!」


……私のものばかり欲しがってもあなたは幸せになれないのよ?


「うるさい! うるさい! うるさい!」


どんなに叫んでも、もう誰も来なかった。屋敷ならトーマスが駆けつけてくれるのに。マリーなら何度でも様子を見にきてくれるのに。


「何よ、どうすればいいのよ……」


オーウィンは続き部屋の向こうで寝てしまったのだろう。ひとりぼっちなのを確認して、ミュリエルは呟く。


「欲しがらなきゃ、何も手に入らないじゃない」


何も持っていないミュリエルは、何もかも欲しかった。それだけだ。


エヴァもオーウィンも、ミュリエルを見ているようで、利用しているだけなのは薄々気づいていた。だけど、ミュリエルにはどうでもよかった。だって、あの二人は欲しいものをくれないもの。ミュリエルですらわかっていない、本当に欲しいものを。


ミュリエルがクリスティナにばかりわがままを言うのは、クリスティナだけがちゃんと困ってくれるからだ。

シェイマスは、本ばかり読んでミュリエルを見ていない。トーマスは論外だ。クリスティナだけが、何度も何度も困ってくれる。だからミュリエルは何度も繰り返した。もっと困って欲しかった。


「……捨てないって言ったのに」


クリスティナの誕生パーティで令嬢たちに囲まれたときのことを、ミュリエルは何度も思い出す。あのとき、クリスティナは令嬢たちに向かって、ミュリエルを捨てるなんてありえないと言った。そのくせ、自分はどんどん家から離れていってしまう。ミュリエルのことなんて忘れて新しいところに行こうとする。嘘つき。


——あれはやっぱり嘘だったのよ。だって、私、お姉様に何もあげていないもの。何かをあげなきゃ、人は優しくしないものでしょう? お父様が優しくなったのは、私が「特別な子」だから。そうじゃなければ、きっとずっと放って置かれた。お母様のように。


だからお姉様の一番大切なものが欲しい、とミュリエルは考える。それはつまりイリルだ。イリルの隣に立てばきっと満たされる。お父様のことなんてどうでも良くなる。


「私が『聖なる者』だとしたら、お姉様は泥棒よね? 私から守り石とイリルを盗んだもの……だとしたら、取り戻さなくちゃいけないわよね?」


——そうだ、明日それを言ってみよう。お姉様を捕まえて。イリルを取り戻してって。


そこまで考えたミュリエルは、ようやく眠りに落ちることができた。最後まで侍女は枕を持って来なかった


          ‡


ブリビートの村で、リュドミーヤは祈っていた。せめての希望は呪いが成就しなかったら、かけた者に呪いが跳ね返ることだ。リュドミーヤは、イリルが今クリスティナとペルラに向かっていることを知らない。だが、この祈りが届くように、何かの手助けになるようにと願うことはできる。


公爵邸を任されたシェイマスは着々とオーウィンを隠居させる手筈を整えていた。アルバニーナの実家にも協力を頼み、根回しをする。領地での祭祀も忘れない。クリスティナのブレスレットを見つめながら、シェイマスはクリスティナとイリルの無事を祈る。


そして、王妃ルイザは、オトゥール1世の看病をしながら、クリスティナのブレスレットを陛下の手に通した。


「……効いて」


医者に診せても原因がわからなかった。あとはこれしか。


          ‡


ギャラハー伯爵家の別邸にいるドゥリスコル伯爵は、ここにきて張り巡らした蜘蛛の巣のような罠がうまく動かないことに気付いた。「人形」たちの調子も悪い。


「やっぱり、あのブレスレットのせいか?」


予想以上にブレスレットが広まっているのだ。それらが『聖』の気を張り巡らしているのだろう。


「邪魔だな……元から断つか?」


仕上げくらい動いてもいいだろう。だいぶ力は溜まった、とドゥリスコル伯爵は思う。クリスティナを殺すことはできないが、イリルなら操れるかもしれない。追いかけてイリルにクリスティナを殺させようか。本当は血縁のものーーミュリエルに殺させるのが一番確実なのだが。


「ねえ、アラナン、トロフェンという村でブレスレットが奇跡を起こしたらしいわ。あなた、ブレスレットのことならなんでもいいから知りたいと言っていたでしょう?」

「ああ、ケイトリン」


ドゥリスコル伯爵は満面の笑みを浮かべて、ギャラハー伯爵夫人を抱きしめた。


「君は一番嬉しいニュースをいつもくれるね」

「役に立てたなら……嬉しいわ」

「ケイトリン、もちろんさ」


「彼」の目が赤く光った。


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