58、必要ない

          ‡


卒業パーティの少し前。

ミュリエルはデザイナーのゾラと一緒に新しいドレスのデザインを考えていた。


「お色はどうされますか?」

「お姉様は……」

「クリスティナ様ですか?」


ミュリエルははっとして言いかけた言葉を飲み込んだ。ごく自然にこう思っていたのだ。お姉様は何色にするのかしら。以前に言われた言葉がよみがえる


……なんでも私と同じじゃなきゃ自信がないのね。


違う、違う、違う、とミュリエルは唇をぎゅっと噛み締めた。


「ミュリエル様?」


ゾラが不思議そうな顔をしたが、ミュリエルは黙り込んだ。イライラが爆発しそうだった、


——私はただお姉様ばかりちやほやされるのが許せないだけよ。私の方が可哀想なのに。お姉様はなんでも持っているのに全然分けてくれない。そうこれは正当な権利なのよ。


そこにオーウィンが現れた。


「ミュリエル、ドレスは決めたかい?」


ゾラがさっと頭を下げる。ミュリエルは不自然なほど素早く笑顔を作った。


「お父様。今、お色に悩んでいたところなの。お父様なら何色がいい?」


オーウィンはそれには答えず、ゾラに言った。


「できるだけ華やかにしてくれ。主役だからな」


その言葉にミュリエルは首を傾げる。


「お兄様の卒業式でしょう? どうして私が主役なの?」

「そこでお前とイリル殿下の婚約を発表するからだよ」


あまりに唐突な話に、ミュリエルは口をぽかんと開けた。


「婚約? 私とイリル殿下が? お姉様は?」

「そのときついでに婚約解消を言い渡そう。お前の方が素晴らしいからな」


なんの感情もこもっていないような平板な声だったが、ミュリエルにとってはオーウィンの様子などもうどうでもよかった。


——あの人の隣に私が立つの? お姉様ではなく、私が。


王子様然としたイリルの姿を思い出し、胸をときめかせる。ミュリエルはにこやかに告げた。


「ゾラ、緑にして。緑以外あり得ないわ」

「ドレスのお色ですか?」

「そう。そして思いっきり華やかなデザインにするの。できるでしょう?」

「もちろんです」


あの人の隣に立つなら、お姉様は絶対にこの色を選ぶはず。だから私もこれにする。


「わかっていると思うが、すべて内密にな」


オーウィンはゾラにそう付け足した。ゾラは黙って頭を下げた。



それからドレスが仕立て上がるまでの間、ミュリエルは幸せな気持ちで日々を過ごした。お姉様の代わりに私があの人と婚約する。お姉様はどんなに驚くかしら。きっとすごく悔しいでしょうね。

ミュリエルは事の重大性をわかっていなかった。何しろ父親であるオーウィンの采配なのだ。自分は言うことを聞く。それだけだ。


だから、こんなにみんな怒るなんて思っていなかった。


          ‡


「公爵、私はクリスティナとの婚約を解消するつもりなどありません」


怒りを滲ませた低い声で、イリルが言う。続いてお兄様が。


「父上、私も反対です」

「私からも撤回を求めます」


フレイア様までもがそう発言し、ルイザ様も怪訝な顔をしていた。そうだ、私も呆然としている場合ではない。言い返さなくては。けれど私が思うより少し早く、父が反論した。


「そうおっしゃられても、『聖なる者』であるミュリエルはこれからどんどんお国の役に立つでしょう。王家と結びついた方がそちらのためにもなりませんか?」

「私とクリスティナが結婚することで、公爵家と王家の結びつきは十分なはずだ」

「おやおや、イリル様、いいのですか? 『聖なる者』であるミュリエルが他国に嫁ぐこともあり得ますが」

「公爵、それは国家に対する叛逆では?」

「例えばの話ですよ」


会話の断片から、『聖なる者』が国にとってかなり重要であることが窺える。父が言っていた「ミュリエルこそ特別な子供」とは、『聖なる者』のことなのだろう。では『魔』とは? 私は以前、ルイザ様と交わした会話を思い出した。


……各地で不穏な出来事が起こっているの。


それのために奔走していたイリル。怪我をしたリリアナ様。令嬢たちのために作った大量のブレスレット。全部つながっている? 何が起こっているの? もしかして私が気付かなかっただけで「前回」もそうだったの? 私は思わずドレスの裾を握りしめた。


「何があっても私はクリスティナとの婚約を解消しません」

「それを決めるのは殿下ではないでしょう」


父とイリルの言い争いは続いていたが私はミュリエルに近付いた。


「おい、クリスティナ、何をするつもりだ」


父の言葉を無視して、私はミュリエルに話しかける。ミュリエルの形のいい額にはうっすらと汗が滲んでいた。


「ミュリエル」

「な、何よ」

「あなた、どうしてその色のドレスなの?」


ミュリエルの肩から力が抜けた。嬉しそうに話す。


「ねえこれ素敵でしょう? イリル様の瞳の色に合わせたのよ、お姉様、やっぱり悔しいのね。私とイリル様の婚約が」


私は眉を下げる。


「やっぱり私への対抗意識だけでそこに立っているのね。ミュリエル、あなた覚悟はあるの?」

「覚悟?」

「自分に課せられた重責をきちんと背負う覚悟よ」


父の思惑はともかく、「特別な子供」であるミュリエルが大切な役目を担うことに間違いはないのだ。ミュリエルは軽快に笑った。


「重責って。大袈裟よ、お姉様」

「しっかりしてミュリエル」


私はなんとか届くようにと願いながら言った。


「私のものばかり欲しがってもあなたは幸せになれないのよ?」

「またお説教?」

「そうだ、何を言っているんだ。クリスティナ」

「お父様は黙ってください。ミュリエルと話しているんです」

「何?!」


父を無視してミュリエルに続ける。


「ミュリエル、自分の不幸に酔って流されるだけじゃダメよ。あなたのことをあなたが一番見ていないわ。もっと自分の幸せについて考えて。そのためには周りもきちんと見なきゃ」


父が苛立った声を上げる。


「さっきからなんだ、お前は偉そうに!」

「お父様こそ本当にミュリエルのことを考えていらっしゃるのですか!」

「そんなものは必要ない!」


父が手を振りかざした。私はとっさに目を閉じた。しかし何も起きなかった。恐る恐る目を開けると、父の手を、イリルがぐっと掴んでいた。


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