57、ここは卒業を祝う場所

お兄様の方でも私に対して特に感慨はなさそうだった。私はわざと素っ気なく言った。


「本日はお兄様もご卒業おめでとうございます」

「あからさまについでに祝われた」


ふふふ、と笑った私は、お兄様の隣に人がいることに気付かなかった。


「あの、ご無沙汰しております、クリスティナ様」


声をかけられて気が付く。

いつもと違って柔らかく下ろしたブルネットの髪に、茶色い瞳。少し照れたようにはにかむその方は、よく知っている人だった。


「グレーテ様?!」

「はい」


なんと兄のパートナーはグレーテ様だった。


「私なんかが出席していいのかと思ったのですが……」


遠慮がちなグレーテ様を励ますようにお兄様が言った。


「僕が無理に誘った。どうしてもグレーテに来て欲しくてね」

「はあ」


私でさえまだ敬称をつけているのに呼び捨てですかそうですか。と、明らかに状況を楽しんでいるイリルが口を挟んだ。


「シェイマス、そちらは?」


お兄様は胸を張って紹介する。


「こちら、シュタウビッツ男爵令嬢のグレーテ……グレーテ嬢だ」

「初めまして、グレーテ・シュタウビッツと申します」


グレーテ様がスカートの裾を摘まんで挨拶し、イリルもそれに応える。


「イリル・ダーマット・カスラーンだ。よろしく」


そしてからかうようにお兄様に言った。


「領地の仕事が忙しいのかと思っていたが、そうではなかったんだな?」

「嘘じゃない。あれはあれで死ぬほど忙しかった」


グレーテ様が心配するように言った。


「まあ、シェイマス様、そんなにお忙しかったのですか?」

「いや、そんなことはない! 余裕だった!」


イリルがお兄様の肩にポンと手を載せた。


「今度じっくり聞かせてくれ」

「いくらでも」


笑って聞いていた私だが、ふとグレーテ様のネックレスと耳飾りが目に入った。

紫水晶アメジストだ。顔を上げると私と同じ瞳の色のお兄様と目が合う。


「お兄様がこれをお贈りに?」

「ああ」


思わずお兄様のカフスを見ると琥珀だった。グレーテ様の瞳と同じ色。


「まさか、このドレスもお兄様が?」

「悪いか?」


グレーテ様は薄い銀色のドレスを身に付けていた。とてもよく似合っていたが、こんな素敵なドレスやアクセサリーをお兄様が贈ったことが信じられない。

今にも余計なことを言い出しそうな私を心配したのだろう。お兄様が私にだけ聞こえるように言った。


「……ルシーンが手紙で協力してくれた」

「まあ」


それならわかる、と納得した。


          ‡


その後、しばらくしてから国王陛下とルイザ様、そしてレイナン殿下とフレイア様が会場にいらっしゃった。陛下のお顔の色が優れないように見えたが、声はいつも通り張りがあった。


「皆、卒業おめでとう」


卒業を祝う陛下の短いお言葉の後、レイナン殿下とフレイア様がファーストダンスを踊った。次に私とイリルが踊る。注目されながらのダンスに少し照れたが、イリルの手を取って踊れるのは嬉しかった。


「こうやって踊るのも久しぶりだな」

「本当に」


どこか逞しくなった手の温もりに、私は胸を高鳴らせた。そんな私の内面を察しているのかいないのか、しばらく黙った後でイリルは言った。


「クリスティナ、後で話があるんだ。曲の変わり目でホールを出よう」


私は頷いた。


「私も、イリルにお渡ししたいものがあるんです」

「僕に?」

「はい」


そこで曲が終わった。

目配せした私たちは、そっとホールを出ようとした。

ところが。

誰か遅刻したのか、ホールの扉が大きく開いた。


「まあ、誰かしら」

「陛下より後に来るなんて非常識な」


人々の声をかき消すように、係の者が名前を告げる。


「オーウィン・ティアニー・オフラハーティ様とミュリエル・オフラハーティ様、いらっしゃいました」


——え?


私が、まさか、と思うと同時に、父とミュリエルが悪びれなく会場に足を踏み入れた。イリルが私に素早く聞いた。


「何か聞いているかい?」

「いいえ」


遠目でお兄様の様子を窺うと、私と同じように戸惑った顔をしていた。お兄様も知らないことなのだ。

戸惑う私に見せつけるように、ミュリエルはお父様と腕を組んで歩いていく。


「あのドレス……」


ミュリエルのドレスも緑色だった。嫌な予感がする。


「父上、いらっしゃるとは知りませんでした」


お兄様がそう声をかけたけれど、父はそれを無視して、ミュリエル共々陛下の元に行った。目の前まで来ると、ミュリエルと二人でお辞儀をした。


「陛下が本日ここにいらっしゃると聞き、このオーウィン馳せ参じました」

「まるで私のために来たみたいな言い方だな。ご子息の卒業を祝うためだろう?」

「いえ、陛下にお会いするために来たんですよ」


ざわめきは大きくなった。父は一体何を言うつもりなんだろう。イリルを見ると、怖いくらい険しい顔になっていた。何? 何が起こっているの?

父は芝居がかった仕草で、陛下と会場全体に向かって言った。


「今この場にいる、未来への希望あふれる若者とそのご家族にお伝えしたいことがあるのです」

「オーウィン、その話は後で聞こう。ここは卒業を祝う場所だ」


陛下がはっきりと窘めた。なのに父はそれを無視した。ミュリエルに視線を落としてから、幸せそうに続けた。


「みなさん、聞いてください。私の娘、ミュリエル・オフラハーティこそ、今国中に災いを撒いている『魔』を防ぐ『聖なる者』なのです」


——『魔』? 


人々の戸惑ったようなざわめきを切り裂くように、イリルが鋭く叫んだ。


「公爵、なにをおっしゃるのです!」


父はゆっくりと私とイリルのいる方向に体を動かした。唇だけで狡猾な笑みを浮かべる。


「イリル殿下、そちらにおりましたか」

「公爵、ご自分が何をおっしゃっているのかわかっているのですか?」

「もちろんですよ、そしてイリル殿下、あなたにも朗報です」

「私に?」

「イリル殿下。あなたとクリスティナの婚約を解消して、このミュリエルと新たに婚約を結びましょう」


まるで舞台俳優のように、朗々と父は語った。心底それがいいと思っているかのように。

ガタン、と音を立ててフレイア様が立ち上がった。


「公爵様、今なんとおっしゃいましたの?」

「これはこれは妃殿下。聞こえないはずはないと思うのですが」


父はやはり嬉しそうに繰り返した。


「クリスティナではなく、『聖なる者』であるミュリエルとの婚約を新たに結びましょうと申し上げたのです。国にとってもその方が利があるでしょう? 陛下」


会場が一斉にざわめいた。


「公爵は一体何を?」

「どうしたのかしら?」

「クリスティナ様の婚約を解消っておっしゃったわ」


信じられない思いの私だったが、それでも父になにか言い返そうとした。だが、先にミュリエルと目が合った。緑のドレスを着たミュリエルがあのときの、「前回」のミュリエルと重なって、聞こえないはずの声が聞こえて足元が一瞬ぐらついた。


——お姉様のもの、もっともっと全部欲しい。


やり直せてるはずなのに。

そうじゃなかったと言うの?

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