56、ドレスの色
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いよいよアカデミーの卒業式の日となった。
「クリスティナ様、イリル殿下がお迎えにいらっしゃいました」
午前中に卒業式を終えたイリルが、夕刻からのパーティのために私を迎えに来てくれた。卒業式は学校関係者だけで行う代わりに、パーティでは身内も参加して祝うのだ。
「おかしくない? 本当におかしくない?」
私は扉を開ける前に、もう一度ルシーンに聞いた。
「誰よりもお美しいです」
ルシーンはその度に同じことを答えてくれる。その微笑みに励まされ、扉を開けてもらった。
「やあ、クリスティ……」
扉の前で待っていたイリルは、私と目を合わせた途端言葉を詰まらせた。
「イリル?」
「あ、いや、久しぶりだね、クリスティナ」
「本当、久しぶりね。元気そうでよかった」
たわいない会話を交わすイリルは、どこか落ち着きがないように見えた。
——やっぱり何かおかしかったかしら。
不安になった私は新しいドレスの裾を見下ろす。薄い緑色を基調に、ところどころ深い緑色でアクセントをつけたドレスは、胸元や袖口にもレースがふんだんに使われ、同系色の刺繍が全体を引き締めている。
——ルシーンもフレイア様も、派手すぎないのに控え目ではない絶妙な上品さがよく似合う、と言ってくれていたけれど、イリルの好みではなかったのかしら……。
ちなみに髪は、後毛の位置まで計算してニナがまとめ上げた。胸元と耳にはイリルが贈ってくれたエメラルドのアクセサリー。そこまでチェックして私は気づいた。
——このドレスはいつもよりもほんの少し、胸元の空きが広いのよね。
フレイア様もマレードも絶対こちらの方がいいと言うのでそのままにしたけれどこれがいけないのかもしれない。どうしようかと考え込んだ私の隣に、ルシーンが立った。
「よろしいでしょうか? イリル様」
「ああ、ルシーン。なんだい?」
「イリル様が何かおっしゃってくださらないと、クリスティナ様は今からでも着替えようかと思っていらっしゃいますよ」
「え? どうして?」
目を見開いたイリルに私は説明する。
「その、何もおっしゃらないのでお気に召さないのかと。今からならまだギリギリ間に合いますので、少しだけお待ちいただけたら——」
「着替えなくていい!」
慌てたようにイリルが遮った。ルシーンが目でその先を促している。イリルは肩を落として続けた。
「すまない……その、すぐに賞賛できなかったのは、久しぶりな上にあまりにもそのドレスが似合っていたから、綺麗すぎて……なんと表現していいのかわからなかったんだ……見惚れて言葉も出なかった」
イリル様の耳の縁はほんの少し赤くなっていた。私は思わず確かめる。
「では、このドレスで大丈夫ですか?」
「もちろんだよ! というかそんなに美しく緑を着こなしてくれるとは思ってなかったので、ちょっと感動している。全身私の色じゃないか」
全身、イリル様の色。
——確かにっ!
あらためて本人からそう言われると、羞恥がわきおこって、今度は私が何も言えなくなってしまった。
「クリスティナ様、イリル様のお召し物はいかがでしょうか?」
ルシーンが助け舟を出す。はっとして私は口を開く。
「もちろん、今日のイリル様もとても素敵です! 上着もよくお似合いですわ」
イリルは、第二王子らしく白を基調にした上品な上着を身につけていた。控え目な金の縁取りが高貴さを表してとても似合っている。そしてカフスに私が贈った
カフスに視線を落としてイリルは言った。
「今日の格好は、カフスを中心にあつらえてもらったんだよ」
「カフスのために全体を?」
「当たり前じゃないか。私もクリスティナの色を纏っているつもりだよ」
「……!」
真っ赤になりそうな頬を私は必死で抑えた。
「二人ともとてもお似合いです」
ルシーンが微笑んだ。
‡
パーティはアカデミーの敷地内にあるホールで開催された。
「アカデミーに来るのは初めて?」
馬車から下りると、イリルが聞いた。
「はい。お兄様の入学式は出席していないので、今日が初めてですわ」
「入学式に出席していない? どうして?」
私は苦笑する。
「お兄様が誰も来なくていいとおっしゃったのよ」
「そういえば昔のシェイマスはそんなだったな。最初は僕らにも心を閉ざしていた」
でしょう、と頷いた私はホールの前で立ち止まり、ため息をついた。
「……すごいですね」
チラチラと見えていた校舎も重厚な建築物だったが、夕闇に浮かぶホールはそのどれよりも豪華だった。先日ローレンツ様を招いたグラトゥラチオーン・ホールの次くらいの大きさだ。
——さすがは貴族や王族の御子息が集まる学校だわ。
感嘆する私にイリルが説明する。
「このホールで観劇や、演奏会も行われるんから、どうしても大きくなるんだろう。バルコニー席以外の椅子は可動式だから、全部取っ払ったら舞踏会も開ける」
さらりと言われたがバルコニー席まであるのだ。
「今日はバルコニー席は立ち入り禁止で、陛下とルイザ様にはフロアの特別席にいらっしゃる予定だ」
「はあ」
呆気に取られて頷くと、イリルは謙遜するように付け足した。
「ホールはまあまあ豪華だけど、他のところは質素だよ。寮なんてひどいもんさ」
絶対違うと思ったが、なにも言わなかった。
「じゃあ、行こうか」
「はい」
ホールの扉の前で、私たちは腕を組み直した。係が声を上げる。
「イリル・ダーマット・カスラーン様とクリスティナ・リアナック・オフラハーティ様、ご入場です」
開けられた扉の向こうは予想通り、煌びやかだった。着飾った方たちがイリルに挨拶する。
「ごきげんよう、イリル殿下」
「やあ」
「お久しぶりですね」
「まあね」
だが、イリルは足を止めずに、飲み物を配っているところまで私と腕を組んで歩く。通り過ぎるたびに、ご婦人たちの噂話が耳に入る。
「イリル殿下のお連れ様、なんて素敵なドレスなの」
「どちらで作ったのかしら」
「ご卒業されたことだし、そろそろご結婚かしら」
「結婚といえば——」
男子校なのでここにいる女性は皆、卒業生の婚約者か家族だ。そのせいか噂話にも仲間意識を感じる。一緒に混じって話したいと思って、少し微笑んだ。そんな気持ちは初めてだったのだ。「前回」の私は淑女らしくあろうと肩に力が入っていて、こんな場所では一際気を張っていたから。
——楽しい。
まだ何も始まっていないのにそう思う。
「レイナンとフレイアはもうすぐ来るよ。陛下とルイザ様も来るだろう」
「早くお会いしたいわ」
陛下もルイザ様も、レイナン殿下とフレイア様も王族としての出席だ。それでも一緒に祝えるのが嬉しかった。
「まずは何か飲もう。クリスティナ、何がいい?」
飲み物を渡してくれるカウンターで、イリルが聞いた。
「そうね、ラズベリーの
「わかった」
イリルが手渡してくれるそれを取ろうとしたとき。
「あ、失礼」
「こちらこそ」
誰かと肩が当たった。
——ん?
聞き覚えのある声に振り返った。見覚えのある銀髪、私によく似た紫の瞳。
「お兄様?」
「なんだクリスティナか」
久しぶりにイリルに会えるので忘れかけていたが、お兄様も卒業生だった。
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