55、賢人会議
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大量生産に取りかかったブレスレットの第一陣をなんとか出荷し終わった私は、大きく息を吐いた。
このブレスレットが本当にみんなを守ってくれるのだろうか。考え出すと不安ばかり募るが、今は出来ることをするしかない。
「これで様子を見ましょうか」
「はい」
フレイア様と頷き合う。
「少し休みましょう」
招かれるまま、フレイア様のお部屋に伺う。ここでお茶を飲むのも久しぶりだった。
「イリルと結局会えてないのね。ごめんなさい」
私と同じかそれ以上に忙しかったはずのフレイア様は、いつもと変わらぬ優雅さでカップを傾けた。さすがだわ、と思いながら私は答える。
「フレイア様に謝っていただくことではございませんわ。イリルも多忙なようですし……それに卒業パーティでは会えますもの」
「やっとあの緑のドレスのお披露目ができるのね!」
出仕したばかりのときにフレイア様が作ってくださったドレスだった。袖を通すのが待ち遠しい。
「アクセサリーは? 贈られた?」
「はい。エメラルドのネックレスと耳飾りが」
「やるわね、イリル」
言うまでもなくそれはイリルの瞳の色だ。フレイア様はわざとらしくお聞きになる。
「クリスティナは何か贈ったの?」
「……紫水晶のカフスを」
私の瞳の色に合わせたカフスを付けたイリルと、イリルの瞳の色に合わせた出で立ちの私。想像するだけで照れるけれど、嬉しくもあった。
「あらあら、まあまあ!話だけでそんなになるなんて、なんてかわいいの!」
耳が熱くなってきた私をご覧になったフレイア様はふふふと笑った。
「早く当日にならないかしら」
同感だった。
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「それでは行ってくる」
謹慎が解け賢人会議のために出かけるオーウィンを見送りながらミュリエルは、なんだか違和感を覚えた。
待ち望んでいた謹慎の解除。いつものオーウィンならもっとはしゃぐはずなのに淡々と行き先を告げ、にこりともせず馬車に乗り込むのだ。
「お父様、どこか体の具合が悪いのかしら?」
遠ざかる馬車を見つめながら思わず呟くと、隣のトーマスが頷いた。
「私もそれを心配していました。ですが、どこも悪くないとのことでして」
まさかトーマスに同意してもらえるとは思っていなかったミュリエルは目を丸くした。トーマスは真面目な顔で続ける。
「私の思い過ごしならいいのですが、そうおっしゃるわりにお元気ではなさそうで」
「わかるわ」
ミュリエルも頷いた。あのオーウィンがもうずっと怒鳴っていない。かと言って穏やかな気性になったわけでもなく、ただぼんやりと過ごすことが多くなった。
ミュリエルは珍しくため息をついた。オーウィンだけではない。実は、サーシャもブリギッタも最近様子がおかしいのだ。二人とも、なんだかんだと理由をつけてミュリエルに近づこうとしない。
それだけではない。ミュリエルは、ブリギッタがミュリエルのブレスレットを盗もうとしていたところを見てしまった。
——うっ!
しかし、まるで熱いものを素手で持ち上げようとしたかのように、ブリギッタはブレスレットを掴んですぐに落とした。その音で気付いたふりをして、ミュリエルはブリギッタに声をかけた。
——何しているの?
——な、なんでもございません。
慌てたようにブレスレットを元の場所に戻したブリギッタだが、その手は火傷したかのように真っ赤だった。ミュリエルはそれ以来、ブレスレットを鍵付きの引き出しに仕舞い込んだ。
「お暇させてください」
サーシャとブリギッタが公爵家を辞めると言い出したのはそんなときだった。
「……どうして?」
ミュリエルの衝撃は大きかった。大きすぎて何も言えなかった。
「体調が悪くて」
「私もです」
その言葉に嘘はなさそうだった。ブリギッタの火傷はずっと治らず、サーシャも寝込むことが多いようだ。だけど、あまりにも突然すぎた。
「また元気になれば戻ってくる?」
せめてもの気持ちを込めてそう聞いたが、二人とも首を振る。トーマスも引き止めたが、結局は聞かずに出て行った。
サーシャとブリギッタがいなくなった後、ミュリエルはまたわがまま三昧に戻った。無理もない、とこのときばかりはトーマスも思った。
「あの、ミュリエル様。旦那様もお留守ですし、クリスティナ様にお手紙を書いてはいかがでしょうか? シェイマス様でもよろしいかと思います。お二人ともミュリエル様が困ってらっしゃることを知ればなんとかしてくれますよ」
ついに、見かねたマリーが食事を運ぶついでにそんな提案をした。ミュリエルの家庭教師が決まらないままなのだ。
だが。
「冗談じゃないわっ! お姉様なんかに相談するくらいなら自分でなんとかするわ!」
ミュリエルはキッとなって言い返した。
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賢人会議では、議長のダーモット公爵に代わりファーガル・オトゥール1世から直々に、各地の領地や王都でおかしなことが起きていることが話された。皆、領地の異変には気付いていたので、静かに聞き入った。しかし。
「この会議に出席している者なら、シーラ様のことは覚えているだろう」
唐突に登場したその名前に会場がざわついた。
「シーラ様というと……」
「何代か前の女王陛下の妹様だ」
「そのお方がどうされましたか」
オトゥール1世は鋭い目つきで言った。
「わからないか? あのときと同じなのだ。今が」
「あのとき?」
「まさか」
「そのまさかだ。『魔』が入り込んでいる。すぐにでも『聖なる者』を探さなくてはいけない」
何人かの出席者から失笑が漏れた。
「ただの伝承では?」
「王ともあろう方がそんなことをおっしゃるとは」
「だとしても、教会に任せておけばいいのでは?」
オトゥール1世はそれらの者をきつく睨んで言った。
「教会に任せておいたからこのようなことになったのでは?」
びくり、と司教が肩を震わせた。司教とて各地の状況は把握している。その上で何も改善出来なかったのだ。
「司教のご意見を伺おう」
しかし、真っ向からそう聞かれては逃げられない。
「……こちらでは『聖なる者』が現れたとは把握しておりません。早急に探した方がいいかと」
それだけ言うのが精一杯だった。出席者たちはようやく事態を呑み込んだ。
「まさか本当に『魔』が?」
「個別の事例については後でまとめたものをお渡ししよう。各自、混乱を避けるために秘密裏に『聖なる者』に該当する人物がいないか探すように」
「特徴は?」
「十六歳前後の女性で、守り石を持って生まれた者だ」
そこまで聞いて、オーウィンは立ち上がった。ガタン、と椅子が大きな音を立てた。注目を集めながらオーウィンは発言した。
「議長、いえ、陛下、よろしいでしょうか」
「オフラハーティ公爵か、どうした」
「僭越ながら、私、『聖なる者』に心当たりがございます」
「なんだと?」
議会がざわめいた。オーウィンは丁寧にお辞儀をした。
「準備を整えてから然るべきところで発表いたします。この件、私がなんとかいたしますので、ご安心ください」
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ミュリエルはオーウィンが戻るのを待ち構えていた。
「お帰りなさい、お父様」
「ああ、ミュリエルか。ただいま」
機嫌が悪くないことを感じ取ったミュリエルは、すぐにおねだりした。
「あのね、お父様、お願いがあるの」
数学をきちんと教えてくれる家庭教師を探してほしいと頼むつもりだった。マリーに啖呵を切ったがミュリエルに当てはない。オーウィンならなんとかしてくれるだろうと思った。だが。
「ああ、お前のお願いならわかっているよ」
すべてを話す前に、オーウィンは穏やかにそう言った。
「本当に?」
ミュリエルは安堵した。しかしオーウィンは全く予想もしないことを言い出した。
「新しいドレスを作ろう」
「ドレス?」
「お前の存在をみんなに認めさせるんだ。うんと豪華なやつにしよう」
「お父様? ドレスも欲しいですけど、私、家庭教師が」
「家庭……教師?」
「はい」
家庭教師という単語を思い出すように何度か呟いてから、オーウィンは笑った。
「そんなものはいらないよ」
「え?」
「お前が一番尊い存在になるんだ。今更誰かに物を教わらなくていい」
「……そうなの?」
「ドレスのデザインでも考えておきなさい」
腑に落ちないものを感じながらも、ミュリエルは頷いた。そうするしかなかった。
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