37、損得以外の理由で動く人

「待ってたわ、クリスティナ!」

「フレイア様、ただいま戻りました」


そのままイリルに宮廷に送ってもらい、無事にフレイア様と再会を果たした。


「ありがとうイリル」

「どういたしまして」


いろんな予定が立て込んでいるはずのイリルは、そんなことを少しも感じさせない余裕のある態度で微笑む。


「今日はゆっくり休んで。またじっくり話し合おう」

「ええ」


離れ難い気持ちを押し隠して、私はイリルの背中を見送った。

フレイヤ様が冷やかすように言う。


「仲良しね?」

「そ、そんなこと!」


しかし、すぐに真面目な顔になり、私をソファの隣に座らせて言った。


「クリスティナ、疲れてるところ悪いんだけど聞かせてくれる?」


フレイア様の金色の瞳が私を捕らえた。


「ただ遅くなっただけじゃないのね?」

「……はい」


私はすべてを打ち明ける覚悟で頷いた。ルシーン以外の侍女を下がらせ、ゆっくりと口を開く。


「お恥ずかしい話なのですが——」


時が巻き戻ったことまでは、さすがに打ち明けられなかったが、予定より長く実家に逗留した理由は包み隠さず話した。


父のこと、妹のこと、屋敷に閉じ込められていたこと、イリルによって脱出できたことを。


「何それ」


ルシーンが淹れたお茶を飲みながら、フレイア様は自分のことのように憤ってくれた。

カップを置いて一気に捲し立てる。


「なかなか戻ってこないから、てっきり久しぶりの実家が居心地がいいのかなって思っていたのに! まさかそんなことになっていただなんて! 王子妃をそんなふうに扱ってどういうつもりなのかしら。私からも陛下に申し上げて抗議してもらうわ」

「ありがとうございます……ただ」


私は顔を曇らせた。


「どうしたの?」

「イリル様も父に抗議してくださるとおっしゃってました。とてもありがたいことなのですが、それで大人しくする父かと懸念しております」

「そうではないと言うのね?」


私もカップを置いて頷く。


「父が単に、損得で動く人間ならそれで大人しくなるでしょう。ただ、損得以外の理由で動く人間もおります。父はそちらかもしれません」

「損得以外って、どんな理由?」

「面子といいましょうか。自分の沽券を守るために、父はこちらの予想もつかない愚かなことをしそうな気がするのです……本当にお恥ずかしい話ですが」

「クリスティナ……」


フレイア様は座ったまま私をぎゅっと抱きしめた。


「あなたって人は、まだたったの十五歳なのに、そんなことまで考えているのね」


そう言うフレイア様はまるで姉のような優しさを私に感じさせた。


「年齢なんて……それをおっしゃるならフレイア様だって私とそんなに変わりません」

「私のことはいいのよ。ここでのびのびと暮らしているもの。でもクリスティナは」


抱擁を解いたフレイア様は、私をじっと見つめておっしゃった。


「その年齢で実のお父様をそんなふうに俯瞰して見れるなんて、かなりいろんなことがあったと思うの」


私は驚いてフレイア様を見つめ返した。「前回」も今も、誰にもそんなことを言ってもらったことはなかったからだ。


「わかるのですか?」


フレイア様は微笑む。


「自分から距離の近いものを離れて見られるようになるには、それなりに痛みが必要よね」

「それではフレイア様も……?」


フレイア様はそうね、と頷く。


「私の場合は、生まれた国だったわ。当たり前だと思っていた自分の国、あの国の言葉、食べ物、空気、季節。それらと距離ができて、離れて見るようになって、やっと自分の輪郭がわかったの」

「自分の輪郭……」

「あ、勘違いしないで。ここの生活が嫌なわけじゃないわよ? レイナンともうまくやっているし、王妃様も陛下もとてもいい方たちだし」


私は小さく頷いた。私の目からもフレイア様は宮廷で確固とした立ち位置を築いていたからだ。


「だけど、そうね、エルディーノの母はとても厳しい人だったわ。母のことはこちらへきてようやく少し理解できるようになったのかもしれない」


フレイア様のお母様はエルディーノ王国の王太后としてその名前を近隣に轟かせている方だった。私が言葉を探していると、フレイア様はもう一度小さく笑った。


「内緒よ? 女同士の……もうすぐ義理の姉妹になるクリスティナだから言ったの」

「……ありがとうございます」


私は心を込めてお礼を言った。そこでようやく本音が出た。


「フレイア様、私、自立したいんです」

「自立?」


「前回」の私はイリルと結婚さえすればあの家を出れると思っていた。だから我慢していた。でももうそこまで待てない。


「父に関係なく、できれば王子妃という身分にも関係なく、私自身の足で立ちたいんです」


そんなことは無理よと言われると思ったが、こぼれ落ちた本音は思いの外、私を大きく揺さぶった。


「そうすればもうあの家に戻らなくても大丈夫ですもの」


誤魔化すように笑うと、フレイア様は真面目な顔で私を見て言った。


「そうね、考えてみましょう」


私は目を見開いた。


「笑わないんですか?」

「笑わないわ。それが今のクリスティナにとって大切なことなんでしょう?」


フレイア様は考え込むように腕を組んだ。


「私や王妃様も身分やしがらみに縛られているようでいて、自分のしたいことを見つけて行動に移しているのよ。ほら慈善院とか」


あ、と私はつぶやいた。

確かに、現王妃様の代になってから慈善院は増やされ、フレイア様はそれを手伝いながら、さらに孤児を保護する政策を進めていた。


「クリスティナにもそう言うものが必要だわ。今までのあなたからは考えられないことだけど、したいことを見つけたらうまくやると思う。でもそんな政治に関わることじゃなくてもいいと思うの。まずは小さなことから始めましょう」


そこでフレイア様は自分の手首を目の高さまで上げた。

私が差し上げたブレスレットが揺れていた。


「これが可愛かったから、これを売る?」


私は微笑みながらも、首を振った。


「ありがとうございます。ですが、すでにそれは領地の特産品になっておりますし、貴族の女性は宝石を持っていますから、それほど需要はないのではないでしょうか」


フレイア様はうーんと唸った。


「庶民に売るなら高くは売れないしね」

「売値は安くてもいいのですが、必要のないものを庶民は購入しないでしょう」

「それもそうね」


実は、ブレスレットを売れないかは一度考えたことがあったのだ。なので、すらすらと言えた。


「でも、ありがとうございます、フレイア様」

「お礼ばかりね?」

「本当に嬉しいんです。私、何か考えてみます。ですから今はまずは演奏会を成功させることに集中します」


フレイア様は、そうね、それもあったわねと呟いた。


「だけど、今回はあの大陸中に名前を馳せているあの有名ピアニストを招致できたから、集客は問題ないわ」

「そうでしたね。どなたでしたっけ」

「ローレンツ・フェーディンガー。顔立ちも整っているということで女性の支持者が多いそうよ」


そうですか、と私は短く相槌を返した。


「その方が指定するピアノを搬入するとのことでしたね」

「顔にはまったく興味なさそうね」


フレイア様が笑った。

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