34、懐かしむ前に深い眠りに落ちた

         ‡


父と話をしたその夜から警備は増えていた。

窓から見下ろせる範囲からでも、充分な人数が私の部屋を窺っているのがわかる。


「ご苦労様ね」


カーテンを閉めながら呟くと、見計ったようにルシーンから声がかかる。


「クリスティナ様、湯浴みの準備ができました。まずは体を休めましょう」


「ありがとう。今の私にとって一番魅力的な提案よ」


とりあえず今できることをしようと、ルシーンとマリーに手伝ってもらいながら湯浴みをした。


「石鹸の匂いが宮廷と違うわ」


今まで当たり前すぎて気付かなかったことに気付く。


「……家にいるのね」


ちゃぽんと、何かを振り切るように温かいお湯に手足を伸ばした。


「はぁ。一日目からいろいろあったわ。『俺のワインをよけるな』はあんまりだと思わない?」


マリーはきょとんとしていたが、あの場にいたルシーンは吹き出しそうになっていた。

笑いを残したままルシーンは言う。


「ミュリエル様とは、明日お話になるのですか?」

「そうね、まだ何も話せていないし……」


一生懸命髪を洗ってくれているマリーに思わず声をかけた。


「ミュリエル付きだったんでしょう? マリーも大変だったわね」

「それはもうとっても」

「マリー!」


素直すぎるマリーの返事をルシーンが軽く咎めたが、私は首を振った。


「いいのよ。お疲れ様」

「いいえ! クリスティナ様にそうおっしゃっていただけるなんて嬉しいです!」


ふふふ、と笑いながら私は、


「そうだわ、マリー」


と付け足した。


「なんですか?」

「明日、トーマスに言ってメイドと使用人を広間に集めてもらえる? 私から話があるの」

「かしこまりました!」


そのあとは、いつものマリーのマッサージで疲れを癒してもらった。

お陰ですぐに眠くなった。

気が張って眠れないかと思っていたのに。やっぱりマリーの腕は一流だ。


「おやすみなさい」

「おやすみなさいませ、クリスティナ様」


眠りに落ちる瞬間、久しぶりにお母様の顔が浮かんだ。

だけど、そのことを懐かしむ前に深い眠りに落ちてしまった。


          ‡


次の日。

身支度を整えてからまた窓の外を見ると、門の警護がさらに増えていた。


「いくらなんでも多くない?」

「旦那様は今日お出かけだそうですから、そのせいではないでしょうか」

「ああ、そうなのね」


自分のいない間も目を光らせておくつもりなのだろう。


「でも、いつまでも人を割いていられないでしょう。どうするのかしら」

「クリスティナ様がすぐに諦めると思っているのでは?」


そうかもしれない。

なし崩しに言うことを聞くのを待つつもりなのだろう。


「まあいいわ」


家の中は自由に動けたので、ひとまず集めてもらったメイドや使用人たちのところに行った。


「仕事の手を止めて悪いわね」


知った顔が集まっている。

だけど、こんなふうに一堂に会するのは初めてかもしれない。

皆どこか不安そうに黙っていた。

ルシーンとトーマスを私の隣に立たせて、私はゆっくりと話し出した。


「みんな知っての通り、私は今、王太子妃殿下にお仕えしています。とても大切な役割だけど、この家を留守にしているのも事実。その間、みんなが家を守ってくれていること、とても誇りに思っています」


何人かが困惑した表情を浮かべた。

私にそんなことを言われるとは思っていなかったのだろう。

私はさらに声を張る。


「私が留守をしている間、何か不満があるようなら、いつでも言ってちょうだい。直接が難しいようなら、トーマスにでもルシーンにでも伝言なさい。秘密は守るわ」


使用人たちの視線が一斉に、私の隣に立っているトーマスとルシーンに動いた。二人は何もかも承知だというように会釈する。


「それと」


私はわざとそこで言葉を切った。ゆっくりと時間をかけて、一人一人と目を合わせる。

目を反らす者、見つめ返す者、不思議そうにする者、赤面する者、様々だ。

だけど、


「公爵家に不満がある人はいつでも辞めてもらって結構」


私がそう言うと、皆一様に息を呑んだ気配がした。


「次の職場への紹介状もちゃんと書いてあげるから、我慢しなくていいわよ」


言葉を発する者はいなかったが、さざ波のように皆からの動揺は伝わった。


「もう一度言うわね。不満がある人はいつでも辞めてもらっていいから。ところで」


ほんの少し高飛車に見える目つきで、私は全員に微笑みかける。


「私宛にオコンネル公爵家から招待状が来ていたはずなんだけど、届いていないのよ。誰か理由を知らないかしら」

「……」


誰も何も言わなかった。

気まずい沈黙が続く中、トーマスが一歩前に出て、一礼した。


「申し訳ありません、その件、すぐにお調べいたします」

「早くね」

「はい」


言いたいことを言った私は、皆をねぎらってからその場を解散させた。


「次はミュリエルね。どうせまだ寝ているんでしょう」


廊下を歩きながらそう言うと、マリーが、はい、と頷いた。


「いつも遅くまで横になってらっしゃいます」

「起きたら知らせてくれる? それまで本でも読んでいるわ」

「かしこまりました」


ミュリエルの支度が整ったのは、午後になってからだった。

部屋に通された私は、挨拶がわりに微笑みかける。


「ごきげんよう、ミュリエル、遅い朝ね? こんなに読書が捗るとは思わなかったわ」

「頭が痛かったのよ」


ミュリエルはきちんと着替えを済ませていた。私は向かいのソファに腰かける。


「もう治ったのね」


相変わらず血色もいいし、張りのある頬だ。ぷいっと横を向く。


「お姉様、どうせ治らなくてもしつこく来るでしょう。だから早めに済まそうと思って」

「ええ、その通りね」


私が否定しないので、ミュリエルは苦い薬を飲んだような顔をした。


「淑女がそんな顔をしてはいけませんよ」


もう一度ぷいっと横を向いてから、諦めたように私を見た。


「それでなんの用?」

「そうね、いろいろ話したいことはあるんだけど、まずはさっき取り戻したこれについて聞こうかしら」


私は先ほどトーマスから渡されたそれをテーブルの上に置いた。


「リザ様からの招待状。あなたが隠すように指示していたのね? なぜ?」


ミュリエルは悔しそうに唇を噛んだ。




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